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同朋会交流のページ:投稿(釋薬之)

第30組門徒会長として

門徒の皆様には平素より宗門活動に絶大なる御理解と御協力を賜り、厚くお礼申し上げます。

この度、第30組のホームページへの投稿依頼を頂きましたのを機会に、自己紹介を兼ね一文を寄稿させていただきます。
2006.3.10 組門徒会員に
2006.3.23 組門徒会会長に
2006.4.1 教区門徒会員に
任命され、今日に至っています。会長就任以来すでに一年余りを経過した今、経歴をお話しますにはいささか遅きに失したと思われますがお許し下さい。

名古屋市中村区で  を受け(昭和9年)、小学校は第二次大戦による疎開を始に学区変更、新設校の開校と、卒業までに5回の転校を繰り返し、更に中学校は新制中学校の第一回生という得がたい経験も記憶に残っています。その後薬剤師として製薬会社に勤務し定年を迎え、更に医薬品の開発研究所に再就職し、  救済と防止にいささかなりとも奉仕できたことは幸いな職業であったと思っています。しかしこの間十数回の転居を数えました。たいへん不遜な譬えですが、親鸞聖人の越後流罪等、苦難の御生涯に重ねられ、今にして思えば感慨深いものがあります。

それまで両親の「南無阿弥陀仏」のお念仏を耳にすることはあっても、真宗門徒の自覚も薄く、また職業柄、宗教には特段の関心を持たない世界で過ごしてきてしまい、ただ漫然と、秩父・坂東・西国の合計百観音、四国八十八ヶ所、国宝建築物二百九件、世界遺産巡り、全国四十七都道府県訪問など、  防止と観光を目的に夫婦で旅行してきました。

2005年、突然父親の  に直面し、法光寺(島津住職)と強いご縁を頂くこととなり、「真宗入門講座」を受講し、「帰敬式」を受式し、上記のごとく薬学と縁の深い「釋薬之」の法名を授かるに至りました。そして「本山会長研修」「聖人越後配流地巡拝」「本山小屋組み見学」「名古屋教務所研修」等々を通して、真宗門徒の自覚を強くするようになりました。

親鸞聖人は二十九才の折、法然聖人の「ただ念仏せよ」との励ましに突き動かされ「念仏申さんと思い立つ心」が呼び覚まされたと聞いています。それよりもはるかに過ぎた年齢となりましたが、生・病・老・死の避けて通れぬ道を、即ち煩悩にまみれて生きる姿、濁流に流されるように生きてきた我々が、ひとたび「本願を信じ念仏」するならば「正定聚に住する」(必ず仏となるべき身を決定した命のあり方)と示されていますお言葉を、絶えず念頭に置き行動したいと願っているこの頃です。

門徒の皆様には、宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要に向け、聖人に一歩でも近づくためにも、真宗門徒として帰敬式を受式頂きたくお願い申し上げます。

最後に私事で恐縮ですが、六十の手習いで華道(池坊)、茶道(表千家)を十数年続けていますが、いずれにも付随して陶器、漆器、染色、建築、書、織物など、諸々の道に関心を持つこととなり興味は尽きません。

筆をおくにあたりまして、この場をお与え下さいましたホームページ編集部ならびに第30組組長(法光寺住職)の皆様にお礼申し上げますと共に、門徒の皆々様の御健勝を祈念し、御挨拶とさせていただきます。

合掌
釋 薬之

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