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同朋会交流のページ:投稿(釋太信)

私の聞法

2002年7月28日、それは私が45年間勤務してきた会社を退職した日でした。それまではいわゆる会社人間、日本の高度経済成長期の波に乗って前ばかりを見つめて人生を過ごして来ました。

半世紀に近い歳月を産業社会に身を置いた後、退職後の第二の人生を踏み出すにあたって、これまで心の片隅にありながら、なかなか手つかずにしていた、"物事の根本"について自分なりに勉強したいと考えました。

私の考える"物事の根本"は二つありました。一つは物についてです。私たちを含む宇宙は137億年前に誕生して、現在まで進化しつづけて、全ての元素が生れ、銀河が生れ、限りなく多くの星が生れては消え、太陽が生れ、地球が生れ、生命が生れ、そして我々人類が誕生しました。その長い道のりと、「自然の理(しぜんのことわり)」を明らかにし、理解することです。二つ目は今、阿弥陀さまから私に与えられている限りない命の尊さ、ありがたさを受け、「自然の理(じねんのことわり)」を得ることです。これにより心の持ち方、行動、ひいてはこの社会の一員としての自分の人生を少しでも意義深いものにしたいと考えました。

ここでは後者の命の尊さ、「自然の理(じねんのことわり)」について述べます。

私は浄土真宗門徒の家に生れ、小学生の頃から父について仏前で正信偈をお勤めしていました。その頃正信偈の意味は知りませんでした。当時、父親が大切なこととして云っていた言葉がありました。それは、「ありがたい」、「もったいない」、「恥ずかしい」の三つです。その当時は深い意味は理解できず表面的に言葉を聞き覚えていました。しかし、この教えは、これまでの私に少なからず影響を与えていると思います。

2002年7月、浄土真宗本廟の住職研修に正福寺住職の供として研修を受け、御真影の御前にて帰敬式を受け法名を賜りました。その際は、ただ研修の場に身を置いたものの、見るもの、聞くもの全て新しい別世界でした。それは物質的な面よりも、同じ時空に存在しながら、価値観とか、心の置き方が全く異なるものに深い感銘を受けました。

その後2002年10月から、正福寺にて毎月開かれている「同朋会」の一員に加えていただきました。今までの経済性、効率性を追求する企業活動とは全く別次元で、人の心に直接働きかける世界です。出席者は、亀井鑛先生、杉浦新一先生、成瀬住職、成瀬前住職、それに参加者の皆さんで12~3名、教材は 現代の聖典「蓮如上人御一代記聞書」です。まず住職が朗読され、その後亀井先生などから分かりやすく熱のこもった解説を頂き、参加者からの疑問の投げかけ、問題提起など、活発な発言のやり取りが続きます。最近は亀井先生ご自身の著書「日暮らし正信偈」を先生ご自身が朗読され、勉強をしています。仏教用語にはどれも深い意味が含まれていますが、そのたびに亀井鑛先生、杉浦新一先生の噛み砕いた解説・指導により、よく理解を得ることができました。本を自分だけで読むのとは異なる深い理解・吸収ができました。また、出席者からの実体験にもとづく問題の投げかけ意見のやり取りには、つい時間の過ぎるのを忘れるほどです。

同朋会に参加して3年余り、出席者に恵まれて皆さんにいろいろ教えられ、そのおかげで、私なりに成長できたとは思いますが、知識を求める方が先に立ち、生活の場で実行することがおろそかになっています。気が付くと、自我そのままの自分に気づき反省する次第です。

また、一歩前に出ると五つの疑問が生れ、三歩進むと十の疑問が生じ、関心を持てば更に奥深さの広まることを感じています。

2005年1月から7月に、名古屋教区第30組 真宗入門講座を受講して、仏説観無量寿経序文の「王舎城の悲劇の物語」を教材に経典を読み、その深い意味を知る貴重な機会を頂きました。入門講座の最後を締めくくる7月の京都ご本山の教習では親鸞聖人の膝元で、真宗門徒の生活、お内仏とお給仕のあり方などを理解し、体験でき、以後の心の持ち方、行動の規範を明らかにすることができました。

またとない先生、会員に恵まれた正福寺同朋会の輪が広がり、私も一緒になお一層の勉強をさせて頂き、且つ、聞法している時の自分と、生活の場の隔たりを少しでも少なくしたいと念ずる私です。

釋 太信

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