ブッダとキリスト

ゴータマとイエス、この二人の名前は人類の歴史上もっとも重要である。皇帝や将軍や狡猾な政治家たちはどんな歴史の本にもわんさかと登場するが、この二人は(かつてはその実在を疑った歴史学者もいたのだが)今日に至るまで幾世紀もの間、圧倒的多数の人々に影響を与え続けてきた。人間の生活にもたらされた結果という観点で意義をはかるとすれば、数多くの戦場の著名人や権謀術数に長けた陰謀家による騒音や破壊や震撼は、この二人の地味な存在の傍らに、ほとんど無意味なものとなって色あせて見える。もしこの二人が同時代に同じ場所で共に生きていたとすれば、どういう仲間・兄弟になっていたことだろう!あなたがゴータマやイエスというモデルに従って生きたいと望むならば、このことをよく考えてみるべきだ。そして、異教徒を愛さねばならない、ちょうどあなた[の宗教]の開祖が他者を愛するように。

ブッダは弟子たちに常に寛容ということを教えた。「異なる信仰をもつ人々との関係において寛容である人は、正しく考える人である」とブッダは言った。そしてしばしば、寛容とは喜びであると。それはつまり、寛容が他者に与えるものが自らにも返ってくる、そのような互恵的な関係にあるからである。キリスト教徒の過去の非寛容については忘れるようにしよう。そして未来に向けて、より大きな寛大の精神を希望しよう。すぐれた宣教師であったC.F.Andrew師は長年にわたってヒンドゥー教徒や仏教徒の間で暮らし、他の宗教の教義へ非党派的な尊敬を示すことで、寛容への希望を実現する道をひらいた。彼は次のようなブッダの言葉を引用している。

「愛によって怒りに打ち克て。善によって悪に打ち克て。献身によって貪欲に打ち克て。真実によって虚偽に打ち克て。」

これらの言葉は、たまたま出たものではなく、仏教の精神そのものであり、何千という人間の生活をじっさいに形成したのだ、とAndrew師は言う。

お返しに、われわれは聖パウロの次の言葉を引用することができよう。

「悪に負けてはならないが、悪に勝つには善をもってしなければならない。」

Andrew師はまた、ブッダの次の言葉を引用している。

「だれかがあなたを殴って棒を落としたとしたら、あなたは不満をいわずに棒を彼に返せ。」

これにたいしては、キリストの次の言葉を対置することができる。

「悪に逆らってはならない。あなたの右の頬を殴る人には、あなたの左の頬を差し出せ。」

「あなたの敵を愛せ、あなたを迫害する者のために祈れ」とキリストは言った。「憎しみはが憎しみによって止むことはない、憎しみは愛によってのみ止む」とブッダは言った。これらの言葉の精神は、二人の開祖の教えにとって本質的である。

二つの宗教が違っているのは用語の面だけだ、などと言うつもりはない。根本的な相違点はあり、それは人間愛についての考え方である。キリスト教では、それは神の愛に基づいており、神と個々の人間とは完全に個的な性格をもつ。それに対して仏教の愛は、人間とあらゆる存在が統一的につながりあっており、個的ではなく、また神についての観念は枝葉でしかない。

出典:La Budhismo, 第18号, 1936年

著者:ゲオ・ヨクソン(Geo Yoxon, 1898-1980)。イギリス(ウェールズ)。無神論から仏教に転じ、1931-36年の間、国際仏教エスペランチスト連盟の機関誌 La Budhismo を、自ら印刷機を購入して編集発行した。彼の最大のしごとは、パーリ長部経典のエスペラントへの全訳である。