釈尊の生涯

1. 釈尊とは

仏教の開祖=釈迦仏=歴史的実在としての仏
超歴史的仏(アミダ仏,ビルシャナ仏など)との関係
浄土真宗における釈迦仏--教主世尊

2. 出生

年代 BC.463-383(中村説) BC.565-486(南伝伝承)
場所 ルンビニー(四大聖地の一,現ネパール)
名前 ゴータマ・シッダッタ Gotama Siddhattha (p)
   
ガウタマ・シッダールタ Gautama Siddhārtha (s)
   
成道後 釈迦牟仁, シャーキャ・ムニ Śākya-muni,ゴータマ・ブッダ...
出自 シャーキャ族の指導者の息子
種族 アーリヤ人(印欧語族)? モンゴロイド(チベットビルマ語族)?
当時の社会のようす
農耕部族社会の衰え - バラモン教の地位の相対的低下
都市国家の成立,商業経済の発達 - 自由思想家の出現
(六師外道 -ジャイナ教- など)
釈尊は,当時のインドの正統派宗教=バラモン教から離れ,それを批判した自由思想家のうちのひとり.
さまざまな伝説(天上天下唯我独尊など)

3. 青年時代

母の死,奢侈な生活,四門出遊の故事
何が出家を決意させたか?(資料1
カースト制度の問題
四門出遊は単に,釈尊の感性の鋭さや宗教者としての資質を語るだけではない.カースト制度の下での世俗の生活,すなわち差別者・抑圧者・搾取者であることを放棄することを決意したのが釈尊にとっての出家の意味.(真の人間たる道へ)
(資料2

4. 求道生活

29歳 ラージャグリハ(王舎城)へ
アーラーラ・カーラーマおよびウッダカ・ラーマプッタを師とし,瞑想修行.
無所有処定,非想非非想処定=修定主義
煩悩は心によって起こるから,瞑想によって心を無にする.(資料3
なぜ修定主義ではだめなのか?
無心や無の境地の獲得は仏教の目的ではなく,覚りでもない.
(ただし,瞑想は手段として利用されることがある)
禅定と修定のちがい
6年間の苦行生活へ
苦行の目的は,煩悩の由来を肉体に想定し,肉体を徹底的にいためつけることで,精神の煩悩からの解放をめざす,というもの.
実際には苦行で覚りはひらけない.
苦行して覚った,のではなく,苦行を捨てて覚った.(35歳)

5. 悪魔の誘惑

悪魔ナムチの誘惑(資料4
悪魔は何を象徴しているのか?
(1)自分自身の心の揺らぎ
釈尊は超人ではなくふつうの人間であった.
(2)当時の宗教(バラモン教)的常識
(聖火へ供物を捧げるのはバラモン教の習慣)
世間的な「善」を超越することで受けたであろう迫害や忠告
(悪魔とは,悪の権化ではなくむしろ常識的な善を勧める「親切な人」)
イエス・キリストと釈尊の世間的常識への接し方の共通点と違い

6. 成道

35歳で覚り,ブッダとなる.(ブッダガヤー=四大聖地の二)
ブッダ Buddha =(宗教的に)目覚めた人 -- 固有名詞ではない
→仏陀,浮屠→ホトケ -- 死者のことではない
釈尊は何に目覚めたのか?
(あえて言葉で表現するならば)縁起(pratītya-samutpāda)の法を覚った
言葉と覚り
「不立文字 教外別伝」(『無関門』)
「法は本より言無けれども,言に非ざれば顕われず.真如は色を絶すれども,色を待ってすなわち悟る.」(空海『御請来目録』)
十二支縁起(資料5
縁起=縁って起こる=諸条件によってすべては生じる
さまざまな縁起説
<経典の伝承について>
大切なのは,支の数や配列ではなく,時間的因果関係を見い出そうとしたこと,とともに,「宿業」を倫理的に位置づけたこと.(資料67
(関係主義←→宿命論←→無因論←→絶対者決定論)
「無明」---「苦(生老病死)」
無明とは,物事の道理にくらいこと.主観的願望を交えないで,「如実知見」(ありのままにみる)ことが苦悩の解決につながる.

7. 梵天勧請

梵天=ブラーフマン=バラモン教の最高神
釈尊の説法へのためらい(資料8
当時のインドの宗教的指導者は積極的に布教せず,ごく少数の弟子に伝えるか,まったく弟子をとらないのが通例.(秘義,独り法悦にひたる)
なぜ,バラモン教の神が説法を勧請するのか?
(1)歴史的には,仏伝作者の単なる創作--釈尊権威付けのため--であるが,
(2)暗喩として読めば,梵天は俗世間の代表者として現れ,人々が表面的には欲にまみれつつも,その奥底には真実を求める願いがあることの象徴.
釈尊が説法に踏み切った理由(資料9
覚りとは,他者に伝わってはじめて意義のあるもの.
また,縁起説じたいが他者存在を前提とし,閉鎖的世界観を許さない.

8. 初転法輪

法輪(ダルマ・チャクラ)=教法の象徴
サールナート(鹿野苑,四大聖地の三)で,苦行時代の仲間5人に説法
その内容は
苦楽中道,八正道,四聖諦
5人が簡単に釈尊の説法を聴いて理解したわけではない(資料10
釈尊以外に仏はあるか?
5人は覚って仏(覚者)になった.後世,釈尊を神格化するあまりに,釈尊ひとりが仏であり,弟子はいくら優れていてもアラカンどまり,という区別は,(律蔵の記述を信ずれば)正しくない.すなわち,教えを正しく理解すれば覚れる,成仏できることは明らかである.

9. サンガの形成

サンガ(僧伽)=集団,共和国,組合,教団
サンガ形成の過程
  1. コーンダンニャ以下5人の受戒
  2. ヤサへの説法
  3. ヤサの父の受戒(初の在家信者)
  4. ヤサの受戒
  5. ヤサの母と妻の受戒(初の女性在家信者)
  6. ヤサの友人54人の受戒
  7. 受戒の作法として三帰依三唱,剃髪を整備
  8. カッサパ三兄弟とその弟子1000人の転向
  9. マガダ国王ビンビサーラの帰依,竹林園を寄進
  10. サーリプッタ(舎利弗),モッガラーナ(目連)とその兄弟弟子250人の転向
  11. マガダ国の人々の恐怖と非難
  12. サーヴァッティのスダッタ長者が給孤独園(祇園精舎)を寄進
  13. コーサラ国王パセーナディの帰依
サンガの四衆
比丘,比丘尼,優婆塞,優婆夷
初期教団では,比丘と比丘尼は別々のグループを形成し,在家信者も教団の正式なメンバーとみなされた.乾期は少人数のグループで活動し,雨期には精舎に結集して集中講義を受けた.
サンガ拡大の要因
  1. 積極的な布教(資料11
  2. 対機説法,比喩説法,次第説法(資料12
  3. 二大強国国王の帰依による威信の高まり
  4. 整備された教育システム

10. 最後の説法,入滅

45年間の遍歴・布教・教育生活
アーナンダ(阿難)への最後の教誡(資料13
「師に握拳なし」-->仏教には秘儀はない,すべての教法は普遍的に開放されている.教法は釈尊の主観的意見ではなく,むしろ,法が仏に先立つ.
「自灯明・法灯明」-->仏教にはいかなる個人崇拝も人格神崇拝もありえない.真実の自己とは法に依拠した理性的存在であり,それを求める仏教は理性宗教である.
釈尊の最後の言葉
「すべてのものは壊法である.放逸ることなく精進するがよい.」
-->無常を情緒的にとらえるのではなく,客観的事実としてとらえ,自己の生き方に反映させる.(資料1415

資料

1.「比丘たちよ,わたしは,そのように富裕な家に生まれ,そのように幸福であったのに,私は思った.愚かなる者は,自ら老いる身でありながら,かつ未だ老いを免れることを知らないのに,他人の老いたるを見ては,おのれのことはうち忘れて,厭い嫌う.考えてみると私もまた老いる身である.老いることを免れることはできない.それなのに,他の人の老い衰えたるを見て厭い嫌うというのは,私にとって相応しいことではない.比丘たちよ,私はそのように考えた時,あらゆる青春の誇りは悉く立たれてしまった.」(以下,病,死について同様の回想)
(アングッタラ・ニカーヤ3:38)
2.「生まれによって賎しい人になるのではない.生まれによってバラモンになるのではない.行いによって賎しい人にもなり,行いによってバラモンにもなる.」
(スッタ・ニパータ142)
3.「修定主義というのは,精神を肉体の外に抽出しようとするもので,精神の陶冶に眼目をおき,精神を統一鎮静し,精神の奔放な活動である邪念を制御して,肉体とのかかわりから起こる物質的欲望の発動を抑え,平静な精神的至福の境地に入ることを念願する...絶対空無の境地...」
(山口益「仏教思想入門」)
4.「ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいてきて,言った,『あなたは痩せていて,顔色も悪い.あなたの死が近づいた.あなたが死なないで生きられる見込みは,千に一つの割合だ.きみよ,生きよ.生きたほうがよい.命があってこそ諸々の善行をなすこともできるのだ.あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをし,聖火に供え物をささげてこそ,多くの功徳を積むことができる.苦行につとめはげんだところで,何になろうか.』...わたしには世間の善行を求める必要は微塵もない.」
(スッタ・ニパータ426-428)
5.「比丘たちよ,かようにして,無明に縁って行があり,行に縁って識があり,識に縁って名色があり,名色に縁って六処があり,六処に縁って触があり,触に縁って受があり,受に縁って愛があり,愛に縁って取があり,取に縁って有があり,有に縁って生があり,生に縁って老死があり,愁・悲・苦・憂・悩が生ずるのである.これが,すべての苦しい人間存在の縁りてなるところである.)
(サンユッタ・ニカーヤ12:1)
6.「もろもろの法は因によって生ずる.如来はその因を説きたもう.もろもろの滅についても,如来はそのように説きたもう.」<縁起法頌>
(律蔵大品)
7.賢者はこのようにこの行為を,あるがままに見る.かれらは縁起を見る者であり,行為(業)とその報いとを熟知している.」
(スッタ・ニパータ653)
8.「『わたしがいま証得したこの法は,はなはだ深くして見がたく悟りがたく,微妙にして思念の領域を越え,深妙にして賢者のみよく知るべきものである.しかるに人々は五欲を楽しみ,五欲を喜び,五欲に踊る.かかる人々には,この縁起の理は見がたく,この涅槃の理は悟りがたいであろう.もしわたしが法を説いたとしても,人々はわたしの言うところを了解せず,私はただ疲労困憊するのみであろう.』」
(サンユッタ・ニカーヤ6:1)
9.「『いま,われ,甘露の門をひらく.耳あるものは聞け.ふるき信を去れ.』」
(同前)
10.「ある時は,二人が教えを受け,三人は行乞した.三人が食を持ってくれば,六人が食べるに足りた.ある時は,三人が教えを受け,二人は行乞した.二人が食を持ってくれば,六人が食べるに足りた.かようにして教えたので,コーンダンニャがまず真理に眼を開いた...かくしてこの世に六人の聖者があることになった.」
(マッジマ・ニカーヤ26)
*『律蔵大品』によれば,コーンダンニャは「覚った」とある.
11.「『いま比丘たちは,諸方より出家の希望者をともない来り,わたしに請うて戒を受けしめるが,そのために,比丘たちも,出家希望の者も,疲労することが少なくない.わたしは当然,比丘たちが自ら出家を許し,戒を授けることを許可すべきである...比丘たちよ,わたしは一切のきずなを脱し,なんじらも一切のきずなを脱した.比丘たちよ,いまや,多くの人々の利益と幸福のために,世間を憐れみ,その利益と幸福のために,諸国をめぐりあるくがよい.一つ道を二人仕手行かぬがよい.』」
(律蔵大品)
12.「世尊は彼のために,次第をおうて法を説いた.布施を説き,持戒を説き,生天の法を説き,欲楽のわざわいを説き,出離の功徳を説き,やがて彼にやわらぎの心生じ,余をいとう心生じ,法をよろこぶ心生じたる時,世尊はさらに,彼のために,本真の法を説いた.(以下,四聖諦について説かれる)」
(同前)
13.「『しからばアーナンダよ,比丘たちはわたしに何を待望しているというのであるか.わたしは,内もなく外もなく,ことごとく法を説いてきた.アーナンダよ,如来の法には,あるものを弟子に隠すというがごとき,教師の握りしめる秘密はないのである.まことにアーナンダよ,あるいは<わたしは比丘サンガを導こう>とか<比丘サンガはわたしを頼っている>とか,そのように思っている者ならば,最後にあたって,比丘サンガについて何事かを語らねばならぬやも知れぬ.だが,アーナンダよ,如来は<わたしは比丘サンガを導こう>とか<比丘サンガはわたしを頼っている>とも思っていない...さればアーナンダよ,なんじらは,ここに自らを灯明とし,自らを依所として,他人を依所とせず,法を灯明とし,法を依所として,他を依所とせずして住するがよい.」
(マハーパリニッバーナ・スッタ)
14.「学道の人は後日を待って行道せんと思うことなかれ.ただ今日今時を過ごさずして,日々時々を勤むべきなり.」
(正法眼蔵随聞記)
15.「仏法には明日ともうすことあるまじく候」
(蓮如上人御一代記聞書)