真宗カトリシズム批判

はじめに

「真宗カトリシズム」とは、大村英昭氏(浄土真宗本願寺派僧侶、大阪大学・関西学院大学教授)の造語である。この語は、大村氏が真宗僧侶でありながら、戦後の真宗教団がすすめてきた近代教学や信仰純化運動(例えば、本願寺派の「基幹運動」や大谷派の「同朋会運動」)へのアンチテーゼとして持ち出してきたものだ、と私はみている。その主張は要するに、「戦後の真宗教団は民間習俗を切り捨てる方向できたが、それはまちがいで、習俗を含み込んでいくべきである」というものである。同様の主張は、たとえば山折哲雄氏(前国際日本文化研究センター所長)にも見られる。

私は、大村氏や山折氏の言論に看過できぬものを感じている。たまたまインターネット上で見つけた大村氏の講演記録を題材にして、批判を試みてみたい。これは、「死ねない時代の仏教」という題で、日蓮宗のセミナーに招かれて行った講演のようである。(このタイトルをクリックすると、別ウィンドウで講演全文が読めるようになっているので、私の批判とあわせて読まれたい。)

ポストモダンは前近代への「回帰」なのか?

宗教の近代化は呪術の園から解放され、呪術の時代は終わるのだと思われていました。ところが、NHKの世論調査研究所が「宗教回帰」という言葉を使いましたし、西山茂氏の言葉を使えば「再呪術化」ということになりますが、「宗教回帰」とか「再呪術化」と言われるような時代が、一九八○年(昭和五十五年)以降に出てきました。近代化し、世俗化し、合理化していくという時代は、一九八○年ぐらいまでの話であって、その後のトレンディな議論は、「宗教回帰」に関することになってしまいました。この時期を、我々は戦後のモダニズムが終わったという意味で、「ポスト・モダーン」と言います。これは日本だけではなくて、世界的な傾向であります。

この現状認識は、多くの論者が語るところではあるが、そして実際「ポストモダン」なる語がいたるところで使用されているのではあるが、多くの場合、近代合理主義への批判として語られているに過ぎず、近代合理主義から学ぶ姿勢が欠如している。そのような風潮は危険ではないのか。近代合理主義の精神を十分に学んで、その足りないところを補おうというのはよい。しかしほとんどの「ポストモダニスト」達は、単純に前近代への回帰を志向しているに過ぎない。当然のことであるが、事実として回帰志向があるということは、その回帰志向に私たちが乗っかっていくべきであることを意味しない。しかし大村氏は、「ポストモダンが世界的な傾向だから、真宗もそれにあわせて前近代への回帰をはからねばならない」という単純な考えなのである。要は、「古くさいといって切り捨ててきたものにも値打ちがあるのだから、それを復活させよう」ということなのだ。しかし、そこには何ら思想的な営みがない。価値あるものとないものとを峻別しようという視点が欠如している。

日本人の宗教家としては最も人気のあるのが親鸞です。その親鸞を開山としていただいているのですから、親鸞ブームがあれば我が宗門にも多少そのおこぼれがあるかと思いますが、大体が文化人というのは基本的に反教団的です。近代文化人的な言い方をすれば、教団は堕落している。そういう意味で、教団は問題にならない、教団の中の親鸞ではない、むしろ教団から親鸞を解放してあげなければならないと言うわけです。つまり、近代文化人が書くきれい事の親鸞と、親鸞を使って堕落している教団という図式が、当然のごとく繰り返されてきたわけです。それを聞いた浄土真宗の教学者たちが、バカ言え、近代文化人が説く親鸞はウソっぱちだ。庶民の間へ入ってくださっている親鸞は、そんなのと違うんだということを堂々と言ったらいいのに、よう言わない。ごもっともですということで、だんだんきれい事化するわけです。教学がどんどん近代知識人におもねていきます。おもねればおもねるほど現場、宗門はだんだん離れていって、わけがわからんことになる。

「文化人というのは基本的に反教団的です」とは何と陳腐な言い回しだろう。そういうことを言うならば、具体的に誰がどのように反教団的なのかを示すべきである。このようないいかげんな表現で、大村氏が意図しているのは、「近代文化人が説く親鸞はウソっぱちだ。庶民の間へ入ってくださっている親鸞は、そんなのと違うんだ」、だから真宗教団は前近代的な説教に戻るべきだ、というのであろう。例えば、江戸時代の、地獄の恐ろしさを説いて極楽を願うように、というような説教である。しかしそんな説教を今、誰が本気にするだろうか。大村氏はあまりにも「庶民」を見くびっている。庶民はバカだから難しい理屈なんか分からんだろう、という、これこそ知的エリートの大村氏のホンネではあるまいか。ところがどっこい、大村氏のような知的エリートが束になっても、教学ではかなわない爺さんや婆さんが、北陸あたりの真宗地帯にはごろごろいるのである。

大村英昭氏のデマゴギー

浄土真宗の住職方は、龍谷大学で真宗学を学んだわけですが、近代知識人の左派みたいな人が龍谷大学にいっぱい巣くっておりまして、親鸞様は偉いと詰め込まれる。頭は親鸞、身は現場ということで乖離が起こるわけです。

これはとても学者の言とは思われない。ご自分もいやしくも親鸞学徒ではないのか。自分と意見が違う、ということは学界にかぎらず、どこでもいやというほどあるものだ。批判というものは、どこがどうまちがっているのかを論証する作業のことであり、アカ呼ばわりすることではあるまい。単なる政治的扇動であろう。

親鸞は頭の中でひとり歩きして、宗学だけはどんどんきれい事になっていく。もっと極端に言うと、きれい事が現場の汚ならしさをひたすらカバーする。近代知識人は親鸞様が好きですから、三国連太郎氏までが『白い道』という、どうでもええような本を書いているわけです。それを映画にまでした。私らに言わせたら、くだらない、大ウソの親鸞です。ああいうイメージはやめてくださいと言いたい親鸞様なのですが、近代知識人には受けのいい親鸞様が描かれるわけです。

『白い道』は文芸作品であって、親鸞の伝記ではない。だからフィクションもある。それは吉川英治でも同じことだ。しかし、大村氏は吉川英治の『親鸞』を大ウソとは言わずに、三国連太郎氏だけをやり玉にあげる。その意図は何か。前段の「左派」というレッテル張りからすれば、三国氏は社会派(左派)だから、大村氏の気に入らない、というだけのことではないのか。なお、私は原作も読んだし、映画も観た。原作は、たしかにフィクションが多い。だから、これをもって実際の親鸞のイメージを作ってはならないとは思う。しかし映画は、芸術作品としてはすぐれていた。私に言わせれば、『蓮如物語』のほうがよほど蓮如を美化しすぎており、映画芸術としても三流でしかないのだが、なぜ大村氏はこれについては何も言わないのだろうか。要するに、大村氏の判断基準というものは、事実かどうか、あるいは芸術性があるかどうか、ではなく、親鸞を反体制宗教者として描くことに大反対といことではないのか。

それにしても、大村氏のデマゴギーにはあきれるしかない。いちいち引用はしないが、大村氏のお寺の門徒さんが10人ほど『白い道』を見に行って、大村氏が感想を聞いたら、彼らは「寝てました」と答えたのだという。一人か二人が寝ていた、というなら分かる。全員が寝ていたなどということがありうるだろうか。講演だから、何も考えずにしゃべっているだけなのだろうが、一般の人の感想を聞くなら、10人それぞれの感想をきちんと紹介すべきだ。大村氏は「寝てました」という感想が気に入ったものだから、それだけを紹介して、それでもって映画批判をしたつもりなのだ。学者としては失格といわざるをえない。

大村氏は現場主義者か?

映画のできについてはともかく、「きれい事が現場の汚ならしさをひたすらカバーする」とは一体どういうことなのか。私は大村氏の言いたいことは分かるつもりだが、「現場の汚らしさ」という表現に、鼻持ちならないエリート臭を感じるのである。しかも始末が悪いことに、ご自分は現場主義者であるかのごとく振る舞って、近代教学を「きれい事」と評する。そのことは、次の発言に典型的に表れている。

現場には、本当の大衆ニーズがあるわけです。現場は、今、浄土真宗のお坊さんに何を求めているか。私は宗門ニーズと言っていますが、そういう宗門ニーズを忘れていって、きれい事にでき上がった教学から現場を見おろして、現場をたたく形になります。そうすると、宗門ニーズはどこへ行くかということです。

大村氏は、大阪大学や関西学院大学で社会学を教えていて、いったい何時現場に接しているのだろうか。僧侶であって大学の先生、という人は多い。ただ、それは寺が小規模で法務の時間がごく短いか、逆に大規模だから法務スタッフに任せることができるかのどちらかに限られる。大村氏は、そういう意味では、ごく普通の僧侶とはいえない。普通の僧侶は、毎日毎日、定休日もなく、門徒さんの家に出かけていってはお経を読み、聞法会やら会議やら研修やらに忙殺されている。他宗のセミナーで講演している余裕などないのである。大村氏には現場が分かっていない、とは言わないが、私が現場で感じていることと相当開きがあるのは確かだ。社会学者・大村氏のいう現場とは、「理念型としての現場」ではなかろうか、という疑念がある(理念型とは社会学の用語で、特定の社会現象の論理的な典型をあらわす概念のこと)。

たしかに、私とて教学と現場との乖離を感じないわけではない。しかし、教学を現場に生かすも生かさぬも、自分の責任だと思っている。また、近代教学のうちには問題点があるとも感じている(これについては、本サイトの「思うこと」や「講義録」において若干触れている)。大村氏は近代教学について「きれい事」と感情的な嫌悪感を示すだけで、論理的な批判がない。もっとも、大村氏が嫌悪しているのは、「教学」そのものではなく、その「近代」的性格なのだから、批判のしようがないのだろう。

浄土真宗でいう教学とは、浄土を明らかにする学だと私は考えている。浄土とは清らかな世界、覚りの世界であり、教学がその清らかさや覚りを言語で表現するからには、教学とは「きれい事」であらざるを得ない。「きれい事」でない教学などどこにあるのだろう。これに対して、現実とか現場というのは、生身の人間が生きている世界であるから、それに対して教学が批判的に対峙することは当然ではないのか。はっきり言おう。煩悩を肯定する仏教などどこにもないのである。大村氏は「煩悩即菩提」の解釈を誤り、浄土真宗が煩悩をそのままに受け容れる仏教だと勘違いしているのではないか。

大村氏の誇張とウソ

大衆ニーズとやらを語ることによって、いかにもそれが良く分かっているつもりの大村氏にとって、それは具体的には、水子供養のようなことを指すらしい。

水子供養に対する大衆ニーズは結構あります。

しかし、それは「現場は、今、浄土真宗のお坊さんに何を求めているか」に対する答にはなっていない。水子供養を求める人々は、その相手が浄土真宗だろうが真言宗だろうが関係ない、仏教であるかどうかさえ関係ないのである。それに、それこそ現場感覚として言わせてもらえば、水子供養に対するニーズはそれほど大きなものではない。ないわけではない。そのことについては、私自身の経験を既に述べておいた。(参照:水子供養

「浄土真宗」とかどんな看板をかけていても 「坊さん、すんまへん、ちょっと水子供養してもらへまんやろか」 言うて、来はる方があるわけです。 それを、きれい事の教学からいけば、拒否せよというわけであります。そんなもの切って捨てろというわけです。浄土真宗のご法義について説明しなければならないのかもしれませんが、そもそも浄土真宗では供養という言葉を嫌っています。供養をしません。私らは供養をされる側です。あくまで如来様の供養をいただく。他力の本願でございますから、供養するということはできないことになっております。

「真宗では供養という言葉を嫌っています」というのは、明らかなウソである。大村氏が供養という語の意味を御存知でないとも思われないが、意図的に聞き手を御誘導しようとする意図が透けて見える。「追善供養はしない」というならその通りである。ただ、大村氏がここで言いたいことの意図は理解する。追善供養でも水子供養でも、それを求める人をむげに拒否すべきではない、ということであろう。それはその通りである。しかしながら、最初から拒否する僧侶が実際にいるのだろうか。大村氏と私とでは派も違えば地域も違うので、いちがいには言えないが、少なくとも私の知る限りでは、そういう僧侶はいない。この部分に関しては、どうしても大村氏が誇張しているとしか思えない。そうでないとして、仮に大村氏の周りにそういう僧侶がいたとしても、一部の事例をもって一般的な傾向であるかのごとく思わせるのは、卑怯である。

大村氏はポストモダニストか

いわゆる「供養」(死者儀礼)を拒否し、葬儀さえしない僧侶を、私は一人知っている。彼こそポストモダン仏教の提唱者にして鈴木大拙の高弟・秋月龍ミンである。ただし秋月老師は臨済宗であり、真宗ではない。秋月氏は前近代への復帰を厳しく戒め「正しい仏教は、こんな思想(先祖崇拝、神仏習合、あの世観念など) の中に潜む土着宗教の宗教的嬰孩性と前近代的反科学性・邪教性とを厳しく批判するものでなければならない」という。同じポストモダンを標榜していても、大村氏と秋月老師が志向しているのは正反対であることがわかる。

大村氏が「きれい事の仏教を商売にしている人 」と揶揄しているひろさちや氏は宗教評論家であって僧侶ではない。それはともかく、ひろさちや氏による日本古来の宗教観と仏教とを調和的に説く論調は秋月老師から厳しく批判されている。だから、大村氏はひろさちや氏のような、(こう言っては失礼だが)折衷主義的な評論家よりも、真っ向から対立する秋月老師に対して「そんなきれい事を言うな」と啖呵をきったらよろしかろう。

何時真実を語るのか

「仏様にお任せしていることやさかい、我々の力で供養したところで、何の意味もないんだ」ということを、最終的にはちゃんと言わねばならんだろうと思います。それは認めます。
「現場坊主としては私は拒否しません。いったん抱き込まんとダメだ」

よろしい。それでは、そうして抱き込んだ人々に対して、大村氏はどのようにして真宗の法義を語るのか。それこそが、現場で悩んでいる僧侶への最良のメッセージであろう。その期待を込めつつ、続きを読んでみたが、期待はみごとに裏切られる。

「最終的にはちゃんと言わねばならんだろう」というが、なぜ最初ではなく最終なのか?最初に言ってしまったら逃げられてしまう、という思いがあるからかも知れないが、これは最初にきちんと言っておかないと、かえって相手をだますことになる。私は以前に、「お祓いをお願いしたいのですが」という電話を受けたことがある。相手は、マンション管理会社の社員とのことで、自殺者が出たので、その部屋を売るためにはお祓いをしなくてはならない、ということらしかった。
私「お経を読むのは坊主の仕事ですから、読めと言われれば読みますが、私にはお祓いの能力はありませんよ。」
社員「ではどこかやってくれるところを御存知ないですか?」
私「さあ、よく知りませんけど、お祓いといったら神社じゃないでしょうか。」
たぶんその後、彼は神社に電話したのではないだろうか。大村氏だったら、現場のニーズに応えて、それを抱き込まんとして、祈祷師のまねをされるのであろう。そして、お祓いのまねごとを終わってお布施を受け取った後に、「実は意味のない行為でした」と告白するのであろう。相手社員の立場からしたらとんだ詐欺行為である。

カトリックの非寛容

「鎮めの文化論」の前に言ったのが、「真宗ピューリタニズムと真宗カトリシズム」という対語です。最近、我が宗門ではPとCという頭文字で略称しています。「あなたはPだ」とか、「僕はCだ」と言っております。

さて、ここからが本題である。最初に問題となるのは、なぜカトリシズムとピューリタニズムが対になるのか、ということだ。カトリシズムの対はプロテスタンティズムであることは自明の理である。プロテスタントは一枚岩ではなく、複雑に分岐しており、ピューリタンはその一潮流にすぎない。

ピューリタンは純度の高い鋭角的な教えをつくり上げていきますが、ある意味では、非人間性を持っています。アンチ・ヒューマニズムです。人間の喜び、楽しみは全部拒否されています。人間はひたすら神の道具であって、神の栄光を地上に証すために私たちは生活するというわけで、反人間的あるいは非人間的なものを内包しております。ここに、この教えの怖さがある。素朴な人間の喜びを全部拒否してしまっている。

大村氏がピューリタニズムを批判することをとやかく言うつもりはないが、真宗教団がピューリタン的であるという認識からして奇妙といわざるをえない。これのどこが真宗と共通するのだろうか。大村氏は、カトリシズム礼讃に向かうために、真宗の大切な教義である弥陀一仏帰依、神祇不拝、専修念仏を、むりやりにピューリタン的であると貶めているに過ぎない。だいたい、そんなに貶めるのならば、大村氏は高野山でも比叡山でも好きなところへ改宗すればよかろう。

もちろんピューリタニズムの長所はあります。しかし、選民意識とて下手をしますと、自分たちだけが本当のクリスチャンだという独善主義にもなります。

大村氏はこれによって、ピューリタンは独善的であるのに対して、カトリックは寛容である、と言いたいのであろう。しかし、大村氏はカトリックの意味も歴史も御存知でない(あるいは意図的に隠している)。カトリックとは「普遍」という意味である。カトリシズムは普遍主義。すなわち、カトリックによれば、世界のすべての人はローマ法王および教会を通じて神と結びつかねばならず、それ以外の信仰形態や宗教は認められないのである。すなわち、仏教やイスラム教は、カトリックにしてみれば絶対にその存在を認めることはできないのだ。だからこそ、異端審問も魔女狩りも十字軍も、カトリックの本質的な部分に根ざしている。他宗教との対話が始まったのは第二バチカン公会議以後であって、それ以前は、カトリックこそが独善的・非寛容であったことを、大村氏は知らないはずがなかろう。

独善・非寛容ということでいえば、日本仏教においてその最たるものは、真宗ではない。今年は承元の法難800周年だが、法然や親鸞らを流刑に処し、4人を打ち首にした首謀者は誰であったのか、よくよく調べてほしい。鎌倉新仏教の祖師たちは、比叡山を批判はしたが、比叡山の僧を殺めたわけでも弾圧を企てたわけでもない。「真宗ピューリタン」というものがあるのかどうか、仮にあるとして、彼らがいつ他者を弾圧したというのだろう。大村氏の論調は加害者と被害者を逆にするものである。

近代が行き詰まってきたら、ポスト・モダーンと言われる時代になって、キリスト教でもカトリックのほうが今は強いわけです。元気があります。

大村氏は、現代のカトリックがいかに勢力が大きく、人々の間に根づいているかを力説してやまない。要は、「あまり迷信排除ばかりして堅いことをいっていると、真宗は広がっていきませんよ」ということなのだろう。しかし、大村氏が例としてあげているラテンアメリカやフィリピンにおいて、なぜカトリックが民衆の支持を受けているのかといえば、カトリックが迷信や俗信を認めているからではなく、解放の神学が貧困層と結びついているからである。そして皮肉なことに、解放の神学はカトリック公認の教学ではなく、むしろプロテスタント系の神学校で教えられているのである。

真宗とカトリックの根本的背反

いわずもがなのことではあるが、仏教とキリスト教はまったく別タイプの宗教であって、表面的に共通するところがあるにせよ、根本的な世界観がちがう。しばしば、真宗とプロテスタントとの類似性が指摘されることがあるが、それさえも、表面的類似性に過ぎない。まして、真宗がカトリック的になることはありえないし、そうなったとしたら、もはや真宗は真宗ではない。真宗とカトリックとは水と油の関係であって、ここで、その証拠のいくつかを挙げておこう。

ここに挙げたのは、とりもなおさずカトリックとプロテスタントとの違いでもある。ゆえに、これらの例は真宗とプロテスタントとの類似性の例証であり、かつ真宗とカトリックの類似性への反証である。

真宗嫌いの真宗僧侶?

カトリシズムとピューリタニズムの違いは、ピューリタニズムはそれを全部切っていくわけです。ピューリタニズムが歩いた後には、民俗宗教は全部壊されていきます。ブルドーザーのようです。真宗もそうです。柳田国男先生が民俗学の研究をされていて、真宗地帯へいくとガックリするそうです。真宗一色に塗りつぶしていった。それぐらい確かに力を持っていた時代があります。それがピューリタニズムの特徴です。ところが、カトリシズムは全然違っておりまして、つぶさずに、その上に乗ってしまう。

大村氏のホンネが典型的にあらわれている部分である。柳田国男は真宗を嫌っていた。大村氏が指摘するように、真宗は習俗を切り捨てていく。柳田は民俗学者として民俗に大きな価値を見出していたから、それを重視しない真宗とはあわないのは当然である。大村氏も柳田同様、真宗が嫌いだというだけのことである。それはそれでけっこう。無理に真宗信心をとる必要はない。私が強調したいのは、そんなに嫌いな真宗なら、さっさと改宗したらよかろう、ということなのだ。真宗の嫌いな真宗僧侶の存在はじつに見苦しい。北陸に真宗が広まっていったのは、積極的な布教活動によるところが大きいのであるが、じっさいこの地の真宗門徒の意識というものは、同じ日本でありながら別の文化をもっている、と司馬遼太郎が評しているくらいである。大村氏が自称現場主義者なら、北陸へ乗り込んで、現地の真宗門徒に向かって「信心ばかり強調せずに日本古来の習俗を大切にしなさい」とでもお説教したらよろしかろう。

論理的には整合的で、大変立派な教義のように見えます。しかし、民衆はついてこれない。

矛盾している。民衆がついてこれないなら、なぜ柳田国男ががっかりするような「真宗地帯」が日本に存在するというのだろうか。

仏教滅亡を願う真宗僧侶?

論理的には整合的で、大変立派な教義のように見えます。しかし、民衆はついてこれない。ついてこれないというよりも、習合エネルギーの充填ができません。根を切ったままでただよっていく。知識人にはいいことかもしれません。しかし、大衆宗教としては堕落です。 「おかげ&たたりコンプレックス」で支えられている親鸞様、根を切られていない親鸞様だということを、きちっと言っていく真宗カトリシズムを思想として構築できるかどうかというのが、我々の仕事であると思います。

ここで、大村氏が考えねばならない問題を一つ指摘しておきたい。それは、なぜ仏教はインドで滅んだのか、という問題である。

イスラム教の侵入によって、とか、出家主義の弊害、とかがいろいろに考えられるのではあるが、インド仏教史を学んでいくと、仏教が密教化していったことが根本的原因であることがわかる。密教化というのはヒンズー化というのと同義である。もともと、ヒンズーイズムを批判して成立したのが仏教である。ところが、仏教の根本である無我という思想がなし崩しになってヒンズー的な「梵我一如」を認めて、仏教が仏教の形式をとりながらも内実が非仏教化していく、それが密教化ということである。おそらく、最初は仏教を民衆レベルで根づかせるために、多少はヒンズーイズム、民間習俗と妥協していくという路線がとられたのであろうが、結果としては、仏教がヒンズーイズムを取り込むのではなく、逆にヒンズーイズムが仏教を取り込むことになってしまった。それならば、何も仏教である必要はないじゃないか、ということで誰も仏教に来なくなってしまったのである。

大村氏は、真宗が習俗を取り込むべきであると主張しているが、その結果どうなってしまうのか、ちゃんと保証できるのか。習俗を見くびってはいけない。相手は化け物である。巨大な泥沼のような存在である。そういうことは、大村氏はきちんと分かっているはずだが、それでも敢えて習俗化、カトリック化を主張するのは、大村氏がじつは仏教のことなどどうでもよくて、習俗が守られていくことを心の底で願っているからに他ならない。つまり、大村氏が大切にしたいのは真宗信心ではなく、「おかげ&たたりコンプレックス」なのだ。真宗信心が明らかになった人々にとって、「おかげ&たたりコンプレックス」などはとるにたりない心情になってくる。逆に言えば、「おかげ&たたりコンプレックス」を後生大事に抱えているうちは、真宗信心は明らかにはならない。

私には、大村氏が仏教滅亡を願っているようにしか思われないのだが、驚くべきことに、それを公言さえしている。

「ああいうところの仏教はつぶしたほうがいい」と私は言いました。ああいうところはまだ貧困です。仏教は基本的にあきらめなさいですから、ああいうところに仏教を持ち込んで、あきらめなさいと言ったところで合いません。今の豊かな日本だから、むしろあきらめなさいということを言う仏教が大事なんです。「私は浄土真宗を東南アジアに持ち込もうとは絶対思わない。むしろ今ある仏教はつぶしたらいい。マルクス主義のほうがいいよ」と言ったわけです。

ああいうところ、とは東南アジアのことである。大村氏が仏教徒の仮面をかなぐり捨てたともいうべき、もはや反論する気力さえ萎えさせるような発言である。

大村氏は、仏教が忍従を説く教えだと思っているのだろうか。こんな無知を、日蓮宗のプロの僧侶を相手に披露して恥ずかしくないのだろうか。いうまでもなく、「諦める」というときの「諦」とは真理のことであり、パーリ語のsaccaあるいはサンスクリット語のsatyaの漢訳語である。「諦める」と動詞で使う時には、「明らかにする」という意味を含んでいる。明らかにするとは、自分が縁起的存在であることを明らかにすることだから、自分の力や努力でどうにもならない場合にはもはや無駄なあがきはしない、ということになる。そして、変えられる・変えるべきものは変えることを教えるのが仏教である。

だいたい、貧困な地域の仏教はつぶすべきだ、という発想はどこから来るのだろうか。こんな思い上がりなど、誰も相手にしないだろうから、これ以上批判の価値もない。とはいえ、大村氏にこれだけは言っておきたい。東南アジアの仏教は、エンゲージド・ブディズムやサルボダヤ運動として展開されており、貧困のもたらす諸問題と積極的に取り組んでいる。さらに、シューマッハーの仏教経済学は新しいパラダイムを提供している。大村氏も東南アジアがどうのこうの言う前に、少しは現地の仏教について知ろうと努力すべきである。

大村氏の仏教理解の根本的誤り

私の理解では仏教の本領は鎮めの文化であり、法義上の根幹にあるのは、「真俗二諦」であって、王仏冥合せずという考え方です。

最後に、大村氏の仏教理解が根本的に誤っていることを指摘しておきたい。それは上記発言のうちに現われている。第一に、仏教は鎮めの文化とは無関係であること。ここで「鎮め」といっているのは、大村氏独自の用法で、「煽り」の対になるらしい。そして「鎮め」とは「あきらめ」と同じであることを大村氏は説明している。つまり、いろいろな問題の前で積極的に行動して変革していくことは「煽り」であり、その反対に、状況に合わせて自分を適応させていくこと、それが「鎮め」「あきらめ」である、ということらしい。一見もっともなことを言っているようだが、仏教が鎮めの文化であることの論拠はどこにも示されていない。ただ、「私の理解では」なる一語が付せられているだけだから、これを勝手な思い込みであると評することもできるのである。

仏教の業論は、しばしば宿命論であると評せられることがあるが、それはまちがいであり、業の自覚の上に注意深く行動していくことを教えるものである。だから、仏教は「鎮め」でも「煽り」でもないのだ。釈尊の言葉をきちんと読めば、すぐに分かることである。

第二は真俗二諦論である。

我々念仏門では「真俗二諦」と申します。蓮如の「王法は額に当てよ、仏法は内心に深くたくわえよ」という言葉があります。つまり、真諦、俗諦は別の原理だと理解する。真諦は仏法です。王法とは全然違う原理です。冥合できない。

明治以後、真俗二諦論をめぐってさまざまな議論が真宗ではなされてきた。同じ「真俗二諦」といっても、その意味も評価も異るなかで、大村氏の真俗二諦とはどのようなものか、これだけでは判断ができないのではあるが、蓮如を引用しているところと、文脈から推測するに、真諦すなわち仏法は世間のことについては何も口出しすべきではない、という意味に理解できる。

これは蓮如に責任があることではあるが、真諦が仏法で俗諦が世俗法(王法)である、というのは誤りである。龍樹が『中論』で説明しているところの二諦論は、真諦(勝義諦)は究極的な言語表現を絶する真理のこと、俗諦(世俗諦)とは言語表現された真理のことであり、どちらも仏法なのである。そして龍樹は二諦によって諸仏の説法がある言説によらないで勝義は説示されないと説明するのであるが、これは、究極的な真理が言語を絶するものであっても、言語表現によってはじめて真理へのアプローチが可能になる、ということである。このことは親鸞によっても継承されており、親鸞にとって真諦とは法性法身そのものであり、俗諦とは方便法身としての南無阿弥陀仏の名号である。ただし、教行信証の別の箇所においては、俗諦を王法に近い意味で使用していることもあり、いちがいに蓮如だけの責任とはいえないが、蓮如が仏教の伝統的な真俗二諦論を誤解しているのは明白である。

私も、じっさいには王仏冥合論に対しては批判的なので、この点に関しては大村氏に同感なのだが、かといって、仏法が世間のことは黙して語るべきではない、と言ってしまったら、そこにはやはり人間が不在になるではないか、という問題がある。たとえば釈尊自身、コーサラ国がシャーキャ族を攻め滅ぼそうと進軍した際にそれを阻もうと、三度にわたって説得したという話がある。四度目の進軍には諦めて、それが「仏の顔も三度まで」ということわざになったのであるが、ともかくも釈尊は世俗とは断絶するという生き方をとらなかったことは確かである。

おわりに

私は、大村氏がいかに真宗ピューリタニズムと揶揄しようが、仏教の原点を大切にしたい。釈尊という方は、むげに民間信仰を切り捨てることはせず、蛇や毒虫をよけるためのパリッタ(護呪)を認めたりもしている。が、原則的には呪術的行為は禁止していたのである。この原則禁止というのが大切な点である。なぜか。それは悟りを妨げるからである。例外的に認められることはあるにせよ、黙認しておくという程度のことであり、積極的に取り入れるようなことではない。親鸞は呪術への退行を厳しくいましめて、かなしきかなやこのごろの 和国の道俗みなともに 仏教の威儀をもととして 天地の鬼神を尊敬すと和讃にうたっているが、大村氏はこれをどう思うのか、聞いてみたいものだ。

(B.E.2550年/A.D.2007年1月19日脱稿)