パーティカ経に学んだこと

パーリ長部経典(ディーガ・ニカーヤ)の第24経「パーティカ・スッタ」(波梨経)を読んで感じたことを書きます。

パーティカ・スッタのあらすじ

釈尊があるとき、バッガヴァという行者のもとを訪ねる。バッガヴァは「スナッカッタという釈尊の弟子は釈尊を見限って還俗したと公言しているが、それは本当か?」と尋ねると、釈尊は「本当だ」と答える。そして、その事情についてバッガヴァに次のように説明する。

スナッカッタが釈尊に不満を抱いた原因は、「釈尊は神通力による奇跡も示してくれず、世界の起源についても説明してくれない」というものだった。しかし釈尊はスナッカッタにそのようなものを示してやるから弟子になれ、と約束したわけではないのだから、スナッカッタの不満はひとりずもうにすぎず、そのようなものは苦の滅尽には役立たないのだ、と言ったのだが、スナッカッタには結局伝わらなかった。

さらに、スナッカッタは、三人の裸行者の異質な行動(パフォーマンス)や口先での誇示に魅せられ、それによって釈尊は「それでも仏弟子といえるか」と厳しい叱責を浴びせる。特に、経名の由来にもなったパーティカプッタという裸行者は日頃「ゴータマよりも自分のほうが神通力にすぐれている」と公言しており、スナッカッタは二人の神通力競争をたくらみ、パーティカプッタのことを釈尊に告げる。釈尊は「パーティカプッタは自分と会うだけの勇気はないはずだ」と言ってやるが、スナッカッタの望み通り、パーティカプッタのもとへ出かける。しかしいざとなるとパーティカプッタは逃亡してしまい、二人の神通力競争を期待してやって来た人々が説得しても、腰をあげることさえできない。スナッカッタはこれで恥をかいたが、結局釈尊に従うよりも教団を離れる道を選んでしまった。

以上のような事情説明のあと、釈尊はバッガヴァに対して、世界の起源に関する四つの説を紹介し、「仏はそれらの説のどれよりも詳しく起源について知っているのであるが、それに執着することがない」と言う。バッガヴァはそれまで異教の実践によっていたため、即座に苦の滅尽に至ることはできなかったが、釈尊に対する信のみを守り続けていくことを誓う。

仏弟子であったスナッカッタについて、私は初め「何と愚かなやつだろう」と思いました。身近に最良の教師がいるのにもかかわらず、師をむしろばかにして、外道のパフォーマンスや口先だけでの神通力誇示、口先だけでの誓願に魅惑されていくとは...

しかしこのスナッカッタとは「実は、私自身のすがたでもあったのではないか」と、この経を再読した時に気づきました。人間は外見にだまされやすいのです。立派な衣を身にまとった聖職者、通常の人間ではできないであろうような苦行のパフォーマンス、厳しい戒律で自らを律しているかにみえる人物、口先での立派なものいい、こうしたことにだまされやすいのが私たちです。私もかつて、超能力に魅かれたことがあります(名前をいえば多くの人が聞いたことがあるでしょうが、真言宗、チベット仏教を渡り歩き、独自の宗派をもった人です)。これらのパフォーマー(行者)は最初から詐欺であることを自覚している場合もありますが、むずかしいのは、当のパフォーマーが自分は本物であると認識している場合です。嘘という意識が彼らにはありません。だから自身に満ち堂々としています。そういうパフォーマーに魅かれていくのです。「鬼面人を威す」という言い方がありますが、釈尊の教説はどこをとっても「当たり前」なので、受け入れられやすい反面、物足りなさを感じるということもあります。「仏にあっては仏を殺す」という類いの発言は衝撃力にみち、それだけに本来の意味を知ることによって心魅かれます。禅にはそういう傾向がありますが、下手をすると野狐禅に陥る危険性は禅者みずから自覚しているはずです。

真宗の場合、阿弥陀一仏帰依なので外道に陥っていく危険性は少ない、と簡単に言い切れるでしょうか。親鸞自身、29才の時点で「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」と立脚点を明確にしたにも関わらず、42才の時、人々が飢饉に苦しんでいる現状をみて三部経の千回読誦を思い立ったといいます。もっとも、四、五日してから「人の執心、自力の心は、よくよく思慮あるべしと思いなして後は、経読むことは止」めたと伝えられています。親鸞の三部経千回読誦は、人にみせるためのものではなくて、衆生済度のための止むに止まれぬ行動だったのでしょうが、それさえも外道であるとしたわけです。私たちの中の外道性はよくよく根深いものでしょう。外道であると自覚せずに外道にはまっていく...

ついでにいいますが、経を読誦して雨ごいするとか豊作を祈願するとかは、親鸞当時の仏教では当たり前に行われていましたし、むしろ民衆が僧侶に期待したのはそういう類いのことだったのです。昔話にはそういう話がたくさんあります。しかし親鸞は、経を読誦しても飢饉は解決できないことをきちんと分かっていたからこそ読誦を中止しました。考えてみれば、経を読誦して雨が止んだり降ったりするはずはないのです。「それでも万が一」という思い、藁をもすがる気持ち、というのはいかんともしがたいのでしょう。そのような外道性に自分が気づかないとすれば、他者からの指摘を待つしかありません。

ただ一点、「苦悩の滅尽」に至る道であるかどうか、そこをよくよく見極めるべきなのでしょう。それは困難でしょうが、見極めの方法は論理であると私は思っています。当時のインドでは、釈尊ほど合理的精神の持ち主はいませんでした。

(2006年5月14日脱稿)