真宗と死刑制度

2005年11月1日、小泉内閣で法務大臣に任命された杉浦正健氏が、就任会見で「死刑執行命令書に私はサインしない」と発言して波紋を呼んだ。その後すぐに、影響の大きさに気づいた杉浦法相は、「あれは個人としての信条を吐露したもので、法務大臣の職務の執行について述べたものではなかった」とのコメントを配布し、事実上発言を撤回した。

今ここで、死刑制度の是非は述べない(私自身は死刑制度は廃止すべきと思うが、それについても今は措く)。また、杉浦氏の政治家としての資質についても、発言をころころ変えるのは信用できないとか、個人の信条として死刑制度に反対ならば法相を引き受けるべきではないとか、いろいろに評論できるだろうが、それについても今は述べない。

私がここで注目したいのは、法相がその後の会見で次のように語ったとされる点である。

「自分の信仰は東本願寺(真宗大谷派)の門徒。親鸞聖人の教えを、幼いころからおばあちゃんのひざの上でお参りしていたことが根底にある」(産経新聞の報道から)

真宗大谷派が死刑制度に反対であることが、どこまで周知されているのか疑問ではあるが、元法相であった左藤恵氏もまた、真宗大谷派の僧侶であり、在任期間中は死刑が執行されなかった。これは左藤氏自身が「思想と信念に基づき死刑署名をしなかった」と後に告白している。あるいは、大谷派の「国会議員同朋の会」の中で、日常的に議論されていたのかもしれない。

私は、必ずしも杉浦法相の政治姿勢に共感するものではない。しかしながら、信仰が血肉化した結果としての「死刑執行拒否」発言であったとするならば、私はそれを素直によろこびたい。世論調査によれば、日本国民の80%以上が死刑制度に賛成だという。そのような中で、「私は死刑制度に反対だ」と公言するのは勇気を要する。よほどの信念がなければ言えることではないと思う。宗教が政治に従属し、生活の片隅においやられ、「死んだ時にしか用がない」とまで言われる宗教観しか持ち得ない日本の風土の中では、杉浦法相の発言は大きな一石を投じた。今後、杉浦法相は国会で追及されるのは必至だろうが、これを機会に大きな議論のうねりがき起ることを期待したい。

さて、大谷派教団は杉浦法相の援護射撃ができるのであろうか。9月17日に「死刑執行の停止、死刑制度の廃止を求める声明」を発表したばかりの教団であるが、私も同派の一僧侶として、今回の「問題」発言を奇貨として、門徒や一般の方々と共に死刑の是非を共に考え語り合っていけたら、と願っている。

(2005年11月2日脱稿)