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法話:標月(ひょうがつ)

標月(ひょうがつ)
光圓寺 釋 慧順(川合幸宏)

先日、紅葉やこんにゃくで有名な「永源寺」にお参りに行く機会がありました。紅葉には少し早かったのですが、長い石段を登って、山門、本堂へと足を進め参拝して、一番奥の建物に行きましたら、その右手に「標月亭、お抹茶をどうぞ」と書かれていました。少し疲れていましたので、中へ入り、見事なお庭を眺めながら、お抹茶を出して頂いた方とお話をしていました。そこには、「標月」と書かれた額がかけてありました。「これはどの様な意味ですか。」と尋ねました。これは、前管長が書かれたそうですが「ひょうがつ」と読み、月(真理)を指さしているのに、指(お経)ばかり見ている、という様な意味だとお聞きしました。

その時、心に浮かんだのは、親鸞聖人の書かれた善導和讃の一節、

西路を指授せしかども
自障障他せしほどに
曠劫已来もいたずらに
むなしくこそはすぎにけれ
(東本願寺真宗聖典P.497)  →意訳・注釈を読む

でした。

「私たちは、日頃の生活において、目先の事に心うばわれ、大切な事が見えなくなってしまっている。」そんな風に、思わされました。


意訳と注釈

(意訳)
西方浄土に向かう道を示し、念仏の教えを授けてくださったけれども、疑いを起こして自分自身の信心を損ない、また他の人をも誤らせるような罪を犯して、流転を重ねて久遠劫来の久しい年月をいたずらに過ごし、むなしく過ごしてきた。

(注釈)
西路=西方浄土への道。
自障障他=自分自身を損なって道を失い、他の人をも損ない誤らせる。
「好んで雑縁に近づき、往生の正行を自障障他する」『往生礼讃』。

(真宗大谷派西覚寺HPより引用)
http://www.biwa.ne.jp/~takahara/


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