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法話:私の歩む道

私の歩む道
上宮寺 釋 専勝(長谷川専勝)

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉は、春、秋のお彼岸が近づいてきたころによく使う言葉です。寒かった今年の冬も終わり春のお彼岸がやって来ました。

春のお彼岸のお中日は、「春分の日」ということで国の祝日になっています。この日は昼間と夜間の時間が同じになり、太陽が真東から昇り、真西に沈むといわれています。

仏教では、東は此の岸(此岸)であり、西は彼の岸(彼岸)と言われます。此の岸は迷いの世界、すなわち現在私たちが日暮らししている娑婆を指します。彼の岸は迷いの無い悟りの世界、すなわち浄土を指します。

生まれ難くして生まれさせていただいた私たち人間は、さてどのような人生を送るべきか。人生は旅によく喩(たと)えられます。

旅とは、何処から何処へ、何のために、ということがはっきりしていないと、道に迷ったり、挫折したり、あるいはとんでもない処へどんどん往ってしまいます。旅というものは覚悟のいるものです。それに比べ現代の旅はほとんどが旅行と言われるもので、楽しむことが目的となっていて、楽しかったことが多ければ多いほど、いい旅行だったということになります。旅行先の色々な「土産」や「土産話」をいっぱいに最後は元の我家に帰ってくることによって、その目的は達成されるのです。

一方、旅は目的地が元の我が家ではなく、目的地に向かって歩んでいく片道切符の行程です。人生はまさしく片道切符の旅です。ですから、その目的がはっきりしていないと、その旅はむなしいものとなります。

私の人生の目的は何か。決まっている人は良いのですが、まだ決まっていない人や、決めかねている人は不安な人生を送らなければなりません。

その点、報恩感謝の心で日暮らしをしている仏教徒は、迷いなく彼岸(浄土)へ往生することを人生の目的として歩み、娑婆に在っても迷うことが無いのです。

今、日本の社会がアメリカナイズされていく中で、日本人の心の拠りどころが、ますます失われていこうとしています。自分の生き方、人生の目的について等など、仏教に大変縁の深いこのお彼岸という機会に、今一度考えてみることは、意味のあることと思います。


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