学ぶ・考える

質問への回答

現在、お内佛(仏壇)を所有しており、父・母の位牌および遺影があります。自分自身信仰心が無く、このたび引っ越しをすることになりました。その時にお内佛等をどの様にしたら、良いかわかりませんので、アドバイスをいただきたいと思いまして、問い合わせをさせていただきました。

「仏壇等をどの様にしたら、良いかわかりませんので...」ということですが、

(1)現在お参りしているお仏壇を移すのにどうすればよいかということでしょうか。
それとも
(2)新しい住居には、今あるお仏壇が家に入れられないので「おたきあげ(焼却すること)」したいということでしょうか。

(1)(2)のアドバイスを以下に記させていただきます。

(1)お仏壇(正式名称はお内佛といいます)を動かすことを、「御移徙(ごいし)・おわたまし」と言います。その際には、家族皆で『正信偈』をお勤めしていただければと思います。手次寺の住職がおられるなら、ご住職と共にお勤めされたらと存じます。

(2)もし、新しいお住まいが手狭で現在のお内佛を御安置する場所がないということでしたら、小サイズの簡易なものもございます。古いお仏壇の処理は、手次寺の住職か、または仏壇屋さんにご相談ください。

お仏壇は単なる物でなく、お内仏=自身の内に仏をたもつという出来事を形作っているものです。「仏」とは私へのよびかけです。自分の都合を優先し、自分自身の思いに悩み苦しむ私の現実に応じてよびかけてくる出来事なのだと思います。つまりそれは「自分自身、何のために生まれ、何のために今、生きているのか」が明かされるということです。"自分の描いた妄念妄想"に縛られ、迷っている私の現実を知らしめ、束縛された"自分"から解放する。"自分"にかわって私を生きてくれるようなよびかけです。そのようによびかけられ、願われている事は、私の目には見えません。その目に見えないハタラキを形としてあらわしたのが「お内仏」です。

そして「お内仏」の前に坐ったとき、いつも"自分"を中心にしか生きていない私の現実の姿があらわに見えてくるのでしょう。つまり、私の生き様を常に問いかえす「呼びかけ」となるのではないでしょうか。

そういう意味において、お内仏は生活そのもののあらわれであり、生活の中心となるのだと言えます。お内仏のお世話をすることは、自分の生活をあらためてお世話することでもあると言えます。そのお内仏を動かすのですから、「お世話になりました」「お世話になります」ということで特にお経をあげていただければと思います。もちろん、お参りすることが、まさしくお内仏を形づくっていることですので、日々お経をあげていただければと思います。

長々と書かせていただきましたが、最後までお読み下さり有難うございました。これが正解ということではなく、私自身「これでいいのだろうか」と日々疑問を持ちながらお参りしております。「これでいいのか、どうすればいいのか」と、あなたとともに耳を傾けていければと思います。

「お東ネット」でも、「『お精入れ』『お精抜き』ってどういうことですか?」ということで取り上げておりますので、ご参照ください。
http://www.ohigashi.net/oshiete_sinjitu2.html

回答者:恵林寺 釋 淳生(荒山淳)