学ぶ・考える

仏教の基礎:はじめに

1. はじめに

今、この頁を開かれたあなたは、どのような心持ちでいらっしゃいますか?幸福って何だろうと考えたことありますか?

われわれ人間の幸福についての悩みは、深いように思います。お金がほしい。名誉がほしい。地位がほしい。健康がほしい。幸せな家庭がほしい。人間の欲望には限りがありません。ほしいものが得られれば、幸せになれるかといえば、もっと、もっと、次のものがほしくなります。幸福とは、やっかいなものです。幸福は、何時やってくるのでしょうか?どのように求めたらよいのでしょうか?

幸福の求め方には、二通りの方法があります。

一つには、幸福を外に求める方法。もう一つには、幸福を内に求める方法です。あれがほしい、これがほしいと、幸福を外にだけ求めていては、何時までたっても幸福にはなれません。かといって、幸福を内に求めるといっても、果たして何に頼って求めてよいのか?それとも、修行して悟りをひらくのか?外に求める幸福は、求めやすいけれど、真の幸福にはたどり着けません。幸福の尺度が他に求められるので、これを相対的な幸福といいます。

一方、内に求める幸福は、求めにくいけれども、正しい道に巡り合えば(見つけ出せば)、真の幸福にたどり着くことができます。幸福の尺度が定まっているので、これを絶対的な幸福といいます。

では、どうしたら、正しい道に巡り合えるのでしょうか?

一つ目の条件として、幸福を求めなければ巡り合えません。仏教の開祖、お釈迦様は、生きとし生けるもの全ての中で、人間でなければ、幸福を求めることはできないとおっしゃっています。人間は、苦もあり、楽もあるので、幸福について考える機会と考える余裕が与えられているからです。命がどのように生まれてくるのか分かりませんが、針の穴のような確率で命を受けて、今、人間として生きている自分。有り難いことに、一つ目の条件をすでに満たしています。

次に、二つ目の条件として、正しい道に巡り合えなければなりません。お釈迦様は、正しい道とは、仏教であると教えてくださっています。われわれ浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は、今生きるわれわれに、お釈迦様が教えてくれた仏教が正しい道であるという根拠を、日本語で、ていねいに教えてくださっています。インドで開かれた仏教が、今、ここに生きています。今、この頁を読まれているあなたは、有り難いことに、二つ目の条件もすでに満たしています。

それでは、絶対的な幸福をえるにはどうしたらよいのでしょうか?

それは、仏教を聞く耳を持つことです。聞く耳がないと、折角の話も通り過ぎてしまいます。われわれ人間の心は、いつも浮き草のようにコロコロと移ろっています。どんな人でも、話を聞くことのできる時もあれば、聞けない時もあります。今、ここまで読みすすめられたあなたは、まさに聞く耳が備わっています。

ところで、絶対的な幸福とは何でしょうか?

「幸福」とか「不幸」というものには、決まった固有の相(すがた)というものはなく、それは要するに心の受け取り方によるものであります。絶対的な幸福とは、仏教によって、自分の姿を知り、自分を許容し、救われるということなのです。他にふりまわされることなく、仏教という安心した拠りどころの中で生きていく(救われる)ことなのです。われわれ浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は、仏教という安心した拠りどころとは、「南無阿弥陀仏」でありますとはっきりと教えてくださっています。

今、この時を機会として、是非、仏教(南無阿弥陀仏)によって救われてください。仏教(南無阿弥陀仏)に救われたからといって、あなた自身の、そして、あなたの周辺についての状況が変わるわけではありませんし、ほしいものが得られるようなことはありませんが、あなた自身の生き方や考え方は、確実に変わります。外面的な不幸や内面的な苦悩があっても、それをそのまま引き受けていけるようになります。不幸や苦悩から逃げ回ったり、逆に外に幸福や安心を追いかけ回す必要がなくなります。

この仏教(南無阿弥陀仏)との出逢いを、あなた自身、心よりよろこんでいただけることを祈念いたします。

順覚寺 釋義暁


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