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第13期讃頌会研修会の報告(2019年1月31日、2月14日、3月5日)

讃頌会研修会、交流懇親会 於:別院会館 蓮の間
講師 瓜生崇
講題 浄土真宗の念仏と信心
1回目 2019年1月31日(木) 午後2時~3時半 参加35名
2〃      2月14日(木)  〃       〃 37〃
3〃      3月5日(火)  〃       〃 35〃   交流懇親会3時半~4時半 参加19名

講義要旨

南無阿弥陀仏と言うことが念仏。昔は占い師が暦を作って唱えていた。真宗以外の宗派は、私の心の中に仏性があり煩悩がくっ付いている故、磨けば(修行)仏性が出てくるとされている。対して真宗は、親鸞聖人はどう磨いても悪性は止まない、やっかいであり私の心というのは思うようにならないものとされる。

心は言葉に出る。南無阿弥陀仏と口にして救われていくしかない私である。

観無量寿経に上中下品の教えあり、それぞれが3つに分かれており九品の教えとされる。上品の人は仏教によって救われ、中品の人は戒律を守って救われ、下品の人は悪人となり、念仏を称えるしかない身とされる。

苦悩の根拠が無明であり、迷っている私そのものの姿である。

仏様は姿形なく、阿弥陀様は南無阿弥陀仏の言葉になった。そして私の身になり名を呼ばせしめる。南無阿弥陀仏と聞いていくことが信心である。

二河白道、水の河は欲、火の河は怒り、その中に一筋の道あり。

お釈迦様は信じて行きなさい、落ちないから大丈夫、阿弥陀様は落ちることを恐れるなとおっしゃる。微かに生じた真実の道、迷う私の中に呼び続ける声を聞いて、生きようと目覚めが出てくるのではなかろうか。