エンゲイジド・ブッディズムをめぐって

-阿満利麿『社会をつくる仏教』を読む-

カバー絵 「エンゲイジド・ブッディズム」(Engaged Buddhism)は、私が思うには、仏教史上、大乗仏教運動に匹敵する「原点回帰運動」といえる。この語の日本語訳はまだ定まっていない。「行動する仏教」「社会をつくる仏教」「社会参加する仏教」「闘う仏教」など様々である。

私にとっては、engage から連想するのは婚約指輪(engagement ring)ではなく、サルトルやカミュが実存主義のキーワードとして用いた「アンガージュマン」(engagement)であった。そして実際、1962年には既にEngaged Buddhismという語は使われていたのだが、これがフランス実存主義の「アンガージュマン」(engagement)に由来していることは、阿満利麿氏が『行動する仏教』(東本願寺)の中で明かしている。サルトルが知識人の政治参加を強調したその時代にエンゲイジド・ブッディズムは日の目を見たのだ。

カバーにある焼身供養の写真には、あらためて衝撃をおぼえる。1963年のティク・クワン・ドゥクの焼身供養が世界を震撼させたことはいうまでもない。アリス・ハーズ、由比忠之進が焼身「供養」の真の意味を理解していたかどうかは、大きな問題ではない。ノーマン・モリソンはクウェーカー教徒であったが、無宗教であろうと他宗教徒であろうと、彼らが仏教で言うところの菩薩であったことはまちがいない。と同時に、ティク・ナット・ハン(書評:"Being Peace"を参照)が身を焼かず、生きてエンゲイジド・ブッディズムを世界に広めて下さったことも、焼身供養に劣らず尊いことだ。

さて、本書は講演や雑誌論文10本から成る。扱うテーマも、「真宗と経済倫理」という未開拓の分野での意欲的論文から、「私と歎異抄」のような随筆まで、硬軟取りまざっている。一見するとバラバラのようだが、本書あとがきで著者が述べていることが、全編を貫くテーマといえる。

「宗教はややもすれば、愛国心や仲間意識の補強、体制の擁護、個人的な癒しに終わることが少なくないが、本来は、そうした国家や民族、利害を守るための共同体を相対化し、人間がもっとも人間的に生存できる世界をつくる営みなのだ」

私が最も興味をもって読んだのは、「真宗の活力源:今村恵猛の事蹟」である。今村恵猛とは、本願寺派(西本願寺)のハワイ開教総長だった人である。真宗に限らないが、仏教を英語で表現するにはどうすればよいか、たいへんな苦労であることは容易に察せられよう。おそらく、海外開教の点で本願寺派が大谷派よりも遥か先に進んでいるのは、今村の苦闘によるところが大きいのではないか。真宗を近代化したのは、私に言わせれば、清沢満之の"Skeleton of Religious Philosophy"(宗教哲学骸骨)のような観念論哲学ではなく、アメリカ社会の精神構造の分析に基づいて真宗をそこに適応させようとした今村のような人々である。その伝統は、たとえばKeneth Tanaka"Ocean"(日本語訳が『真宗入門』として法蔵館から出ている)に結実しているのだし、親鸞著作集の英訳も、デニス・ヒロタ師が真宗の信仰に基づいて良心的兵役拒否を認めさせたのも、今村の苦闘の延長線上にある。(著者阿満氏は清沢満之をEngaged Buddhismの先駆者であるかのように評価しているのだが、私はこの点で異を唱えたい。)

現実の分析から出発する、という態度は、原理主義とは対極にある。とはいえ、それは原理や原則を改変することとは違う。本来の原理主義(fundamentalism)とは、聖書の一字一句が譬喩・例え話ではなく事実その通りだと信ずることである。これを仏教に当てはめると、釈尊が母親の腋の下から生まれたり、悪魔ナムチが実在であることを信じよ、ということになる。このような信じ方が仏教とは無関係であることはいうまでもないが、原理・原則をあくまでも守る、という態度が原理主義的として排撃されることがあってはならない。「原理主義」という用語が、今や独り歩きをはじめて(例:憲法原理主義)、あたかも原理・原則を大切にすることが悪であるかのような風潮があるが、その意味での反「原理主義」は退廃堕落の擁護に過ぎない。

以下は余談だが。海外開教の点に関しては、本願寺派は大谷派よりも進んでいるとはいえ、全体として進歩的というわけではない。著者阿満氏は本願寺派の末寺の出身であるが、教団機関誌に門主制度を批判する記事を書いたところ、握りつぶされ、以後いっさい講演依頼もないし、著書もおかれていないのだという。このことは、著者自身がインタビュー(大谷派大阪教区教化委員会機関誌[2004年8月]に掲載)の中で明かしていることである。このインタビューでは、著者はまた、「アネックス東本願寺」(本山とは別に自主的グループを網の目のように作っていく運動)構想を提唱している。

本書データ/単行本: 243 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 人文書院 ; ISBN: 440941075X ; (2003/06)