経済倫理                                  辻    友久 経済倫理 目次 第1編     本願他力の宗教倫理 第1章   宗教発心                       3  頁 第2章   本願他力                       9  頁 第3章   有限と無限                     17  頁 第4章   因果性と法則性                   21  頁 第5章   悪と深信                      25  頁 第6章   宗教倫理                      29  頁 第2編     経済倫理 第1章   経済倫理の視座                    31 頁 第2章   マックスヴェーバーのプロテスタンテイズムの倫理と   33 頁 資本主義の精神 第3章   日本仏教の経済倫理                  36 頁 第4章   アダム:スミスの経済倫理               41 頁 第5章 ケインズの経済倫理      45 頁             第6章    倫理なき新自由主義経済                50 頁 第7章 ポスト新自由主義経済                 55 頁 おわりに                             59 頁 第1編     本願他力の宗教倫理     第1章   宗教発心 発心求道  日頃なんとも無く日常性に埋没して生きている人間が、生きていることが何も問いにならない、また、さまざまな出来事があっても自己の人生を真剣に問わないで生きているのが常なものです。 自分自身にまた自分の身辺近くで不幸な出来事が起こったりして初めて、人は自らの人生を「生死流転」と気付かずにはおられなくなります。「老:病:死」を見て世の中の無常を悟り、人間の自己のいのちの限りある事に目覚め、そのことを直視してみよう、そこに与えられた限られたいのちの中から限りない命を求めて立ち上がってみようとするのが発心求道でありましょう。 「三帰依文」に 「人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉ずるべし。」 人間はただ生まれてきて生き、そして死んでいくだけでは何の意味も有りません。生まれた意義と生きる意義を絶えず問い求める、人間として生まれたという自体が、一人一人にとって問うていくべき重大な事だと領解して、人生の根本から問う事を通して真実の道を求めていく、人間の内なる心の底からの内観から求めていく、それが求道の生きかたという事になります。 呪術の否定  人間は不幸な出来事災いが起こったとき、古代より現代に至るまでこの呪術に頼り物事の真実を明らかにする事から逃げ、安易にその場の気休めで心を間際らわす事をするものです。古代日本に於いても大和民俗の土着民俗宗教に中国古来のシャーマニズム的呪術信仰を基礎とする道教が混在して自然土着宗教的なものを形成していました。 そのご利益は不老長寿の現世利益を説くのを重きにして、そのために道徳の実践を通じて徳を積むことも求めました。 道教は日本では鬼道と呼ばれ神仙思想などと共に雑密や修験道の山林修行者にも受け入れられておりました。また、陰陽道とも同根であるといわれております。 親鸞は宗教の発心には何の役にも立たない、むしろこのような呪術は有害であると完全に呪術を否定いたしました。「教行信証」の化身土巻(末)「迷信邪教を誡め、天神を拝んではいけない、鬼神を祀ってはならない、日の良し悪しや方位の吉凶などを論じてはならない。天地星宿の運行などはすべて自然のなすべきことであり、この世俗で行われていることは全て自然の法則に従った仏道の「法」に帰依するものである。あらゆるものが自然の法則の仏法に帰依するものである。仏教の三宝、(仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命し)に帰依しなさい。」と記しております。 また、「本願薬師経」を引用して、「また世間の仏法をさまたげる悪魔や外道や妖術つかいの妄説を信じて、魔力によって禍福が起こると思い、心に動揺を生じ、占いを頼ってかえって禍を招き、生きものを殺して生贄として、神明に祈って妖神を求め、幸福を願って長生きをしたいと思っているが、ついには何一つ得る事ができない、愚痴に惑わされて邪の道を信じ、間違った見解に落ちて、ついには横死し、地獄に落ちて出ることが出来なくなる。横死に九種あるが、その中で第八には邪見におちているものは毒薬、祈り、呪い、起屍鬼の妖魔などのために思いがけない危害を加えられる事がある。」と記しております。  親鸞の時代は世間の中では呪術が支配している時代でした。 現代の科学万能の時代でもいまだに世間はテレビの番組に大きな顔をして占い師が闊歩し、呪術的な番組が作られ結構人気を得ているのであります。また、全国いたるところ怪しげな拝み屋さんとか、怪しげな新興宗教が大きな土地に大きな建物を建て信者から金を集めております。 この時代に既に親鸞は呪術を否定する事でその時代の世間=世俗社会を否定していたわけであります。 この親鸞の呪術否定=世間否定を世間:出世間と贈与:互酬との関係で阿部謹也は「日本人の歴史意識」で、世間をキーワードとして、解明いたしております。  世間という言葉は本来仏教用語でサンスクリットの「壊され、否定されてゆくもの」の意味があり、世間は当時、人々が動物や植物や天体と贈与:互酬の関係を結び、自然と深い関係を結び、人間同士も贈与:互酬の関係を結び、前世と来世の因果応報に恐れをなし生きていくことが不安であった為に、それによって呪術が世間の隅々までゆきわたっていたのであります。それを利用して時の支配者は自ら反対する事のできない人々にそれを道具として使い、より納得させる世間を作っていました。 親鸞は世間の呪術的な性格を否定する事によって世間を解体し、出世間を考えておりました。 親鸞は「教行信証行巻」に「十住毘婆沙論」を引用して、「ここで世間の道は愚かな人の行う道とされ、休息ともいわれている。愚かな人は結局仏の悟りに到達する事が出来ないので、常に生死の中を往来しているから、これを愚かな人の道と呼ぶのである。出世間とはこの道によって迷いの世界を出ることが出来るから、出世間の上道と名づける。」 また、「教行信証信巻」で「涅槃経」引用して 「闇は即ち世間なり、明は即ち出世なり。闇は即ち無明なり、明は即ち智明なり。」と記しております。 道徳を説く儒教  春秋時代に孔子を祖として作られた儒学は政治思想と道徳の徳を積むことにより社会を 治めていく事を説いております。 親鸞は「教行信証化身土(末)」で「弁正論」から引用して「儒教に対しても道徳を説くものですが、神人の通力に依る奇跡を説くものでありその証明は偶然を必然化しているに過ぎなく、利益の有無を信徒の責任に転嫁しているのは邪教の通説である。」と強く批判をいたしております。 親鸞は称名念仏を通して本願名号には諸神や諸佛の諸々の万法が込められており、従って正しい念仏者はあらゆる諸佛や諸神の権威を恐れる事は無い、祖先崇拝も孝養も生霊や怨霊、そして怨霊の慰撫も必要でなく、日本の人々の生活を長い間支配してきた古い習慣、束縛してきた習俗、これらの価値や古い道徳を全面的に否定して、専修念仏の下で求道することが肝要であると説いていきました。 親鸞が衆生をこの時代の歴史の中で世間という閉塞された中からどのように解放していくか、呪術からの解放、世間の解体:出世間、 個人の確立、専修念仏の道、を示してきました。 古代から現在に至るまで日本の人々の生活の中で規制されてきた風俗習慣、呪術による惑わせ、贈与:互酬による世間体、それによる古い道徳のしがらみは八百年前にすでに親鸞によって否定されているにもかかわらず現在にもそれらが生き延びており、現代の日本社会のあらゆる分野で生きながらえております。 現在、私たちも社会の指導者と言われている人々も基本的には世間の中での生き方を基本にしています。なにか物事が起こったとき、批判されたときは古い世間の世俗的道徳観に立って判断し処理いたします。 子供の頃から世間のしきたりに従って教育されており、個人の自主的判断をし、個人の正当な位置を自覚して判断する経験が少ないわけです。出世間ができていないのであります。 世間との闘いはそう単純なものではありません、世間の中でそこに足を下ろしながら、世間の人々との付き合いながら、自分の道に関しては徹底的に闘う姿勢を示さなければなりません。 この闘いが宗教的倫理観からほとばしるエキスをもって個人個人が独自な個性を持って自立:自律して闘うことは親鸞が当時言った個々が独立した同朋であったのでしょう。必ずしも世間の中での集団を組む同朋ではなかったと思います。 そこには個人の成立した社会が生まれる事でしょう。 方便化身土  これまで仏教以外の教えの外教の邪偽について見てきました。それらは九十五種の外道があり、それらの法を離れてやっと仏教の法門に入ったとしても本当に修めるのは少なく偽りのものがはなはだ多いのであります。 親鸞は方便化身土から方便を明らかにして、より真実を明らかにすることをいたしました。方便をもって真実へ導き入れること、方便ということは真実に入る為の方法、便宜であるということです。真実の教えに入らしめる為に仮に設けた方法手段であります。  仏教はBC500年頃インド古代思想家の覚者(ブッダ)真理体得者(如来)の集まりが実在の釈迦の思想:説法に収斂にしてきたものです。インド仏教の上座部がパーリ語:パーリ聖典を使って厳しい寺院生活、瞑想禅定、黄衣を着て南伝仏教としてスリランカ、ヤンマー、タイ、カンボデイア、ラオスに伝わっております。北伝仏教として中国、朝鮮、を経由して日本の仏教として現在も日本のあらゆる部門に大きな影響力を持っています。それらは大乗仏教といわれ大乗諸経典が出来ており、八万四千の法門が有るといわれております。教条的ドグマは少なく異説排除も少ないが仏教論争は多いにありますが、暴力行為で自説を通す様なこと全くありません。 釈尊と大乗諸仏とに対する敬慕や崇拝:帰依は全て心情的には共通したものを持っています。  日本仏教(=大乗仏教)は南都六宗(三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、律宗、華厳宗)北嶺二宗(天台宗、真言宗)そして初伝以来600年を経て、鎌倉仏教として、浄土宗(法然、親鸞)、禅宗、日蓮宗が生まれました。  親鸞は八万四千の法門がありますが、それらは全て自力の行であり、衆生が自ら菩提心を起こして優れた修行を行えども修し難い事を、善導の「玄義分」より引用して 「生死の海に迷っている凡夫は定善の行(心を統一して真理を観ずること)も散善の行(日常の悪を止めて善を修めること)も修し難い。たとい1千年の寿命をもってしても智慧の眼はなかなか開かない、ましてや無想離念の智慧などどうして得る事ができようか。門余という言葉があるが、八万四千門は方便仮門であり、余というのがそれ以外の、即ち本願他力の一乗法というのである。」。 親鸞は次に聖道門と浄土門を対比し、聖道門を浄土の真実の教えに入らせる為の方便の教えに他ならないとし、浄土門の中に真実の教えと方便の教えを解明し、本来浄土往生の教えでない聖道門の諸行を浄土に回向して往生を求めてもそれは出来ない。それは自力の行として廃すべきとしました。 聖道門の諸教は釈尊の在世のときの正法であったが、すでに時代遅れになっており浄土真宗が時期に適っている事を示しました。 道綽の「安楽集」を引用して「正法、像法、末法の三時代を明らかにして、 正法500年、像法1000年、末法10000年、聖道の教えは末法の時代には適さない。末法の時代には修行する衆生も少なくなり、如何に修行に励んでも道を修めても、おそらく一人として悟りを開くことが出来ない。 ただ浄土の一門、専修念仏のみが悟りを開く道である。」と記しています。 大乗仏教の正像末の三時思想は仏教における弁証法的歴史観であります。 親鸞はこの末法思想の時代におのれの宗教的体験と罪悪感を深く内省して、本願他力の思想を大成させました。  「大経」第19願、至心発願の願、「十方の衆生で諸諸の善根を修し、まごころを込めて浄土に往生したいと願うものは、臨終に来迎して浄土に往生させるという願であります。これは対象となる機類は自分の力をたのんで諸諸の徳や善を修め浄土に生まれようとするもので、これは観経で説かれています往生のことで、双樹林下往生、第19願の行者が方便化身土に往生することに名づけたものです。」。 「観経」には真実と方便とがあり、真実には弘願念仏が説かれており、金剛の真実信心を説いて、摂取不捨の他力の救いをあらわし、即往生=真実報土の往生ができます。  一方、方便は便往生であり、方便化土の往生、胎生僻地の往生(浄土の僻地の往生)であります。  「大経」第20願、至心回向の願、「十方の衆生で自力念仏の名号を称えて、それを因として浄土に生まれたいと願うもので、それを必ず果たしてやりたいという願であります。これは小経に説かれている往生のことで難思往生といい、方便化土に往生するのに名づけた、名号を称えているから難思といい、自力であることを貶して議の一字を減じている。その機類は如来のみ名をつとめて称えその徳を自らの善とする半自力半他力のことをいう。」。「小経」には観経と同じく真実と方便とがあり、表面は自力の念仏が説かれていますが裏面には他力の念仏が説かれております。 弘願念仏の一法であるにもかかわらず機の失によってそれが自力の念仏となっていますが、裏には弘願他力を表し、無碍の信心に帰せしめるところとなっています。その部分は往生の因を説くところ、「舎利弗よ、若し善男子や善女人があって、阿弥陀仏の慈悲を説くのを聞き、善くその名号を信じて、あるいは一日、あるいは三日と時の多少を考えないで念仏し、一心に思いを乱さないようにすれば」、すなわち一心不乱ということを考えてみるにこれは他の善根に心かけることなく、ただ阿弥陀仏のみを信じて称名を称えることそれは果遂の誓いを呼び起こし、方便をもって真実を明らかにし、真実に入るための方法、便宜であるという、弘願真実に入らしめるために設けた仮の方法手段であります。 三願転入  親鸞は自らの経験をもって、化身土の巻で「天親菩薩の解義を仰ぎ、善導大師の勧化によって、久しく修しなれた諸善万行の仮門をぬけいで、そのさとりである双樹林下の化土をながくはなれることができた。それから善本徳本の名号を自分の善根としてはげむところの真門に入って、難思往生の化土を願う心を起こしたのである。ところが今は、その方便の自力念仏の真門をいでて、弥陀の選択された他力弘願に転入し、難思往生の自力の心を離れ、難思議往生を遂げる身にさせていただいた。これもひとえに果遂の誓いである第二十願の思召しであるということができる。誠に深いわけのあることである。ここにひさしく願海に帰入して深く佛恩を知らせていただいた。この恩徳を報謝する為に、つねに不思議の佛徳を称念して、いよいよこの名号をよろこび頂戴します。」。第十九願、第二十願、第十八願の三願に転入し、それは自力から他力に帰し、すなわち聖導を捨てて浄土に帰し、第十八願の弘願に帰せられた過程のことであります。   浄土、真佛土 如来の真佛土とは、第12願の光明無量之願と第13願の寿命無量之願に誓われたものであります。無量寿如来と不可思議光如来というのは、これはまったく阿弥陀如来のことで、不可思議光如来というのは、おもいはかることのできない智慧の光をもって一切の衆生を照らして救ってくださる空間的に十方世界に行き渡っている智慧の光、無量寿如来というははかりしれない寿命をもってあらゆる衆生を救ってくださる佛ということで、それは時間的に過去現在未来の三世を貫いて寿命に限りがないゆえに無量寿といい無量光といいます。   |〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜十方を照らす 三 | 無            無量光(横)   |       阿弥陀仏の覚体 世 | 量     ********                 寿         (竪)  「小経」には無量寿と無量光の阿弥陀仏のことを “舎利弗、汝が意において云何。かの仏を何のゆえぞ阿弥陀と号する。舎利弗、かの仏の光明、無量にして、十方の国を照らすに、障碍するところなし。このゆえに号して阿弥陀とす。また舎利弗、かの仏の寿命およびその人民も、無量無辺阿僧祇劫なり、かるがゆえに阿弥陀と名づく。”と説かれています。  光明と寿命の関係はことばを変えて言えば空間と時間、智慧と慈悲、体と相など、要するに一体の両義で光明のところに寿命があり、寿命のあるところに光明があるという事になります。すなわち光寿二無量が三世;尽十方に拡がっているということです。  親鸞は「真佛土の巻」で「真佛土ははかりしれない不可思議光如来であり、浄土はまたはかりしれない無量光明土であります。この真実の佛真と仏土とは衆生を救いたいという大悲の誓願が報われ、成就されたものであります。これにはすでに法蔵菩薩が因位のときに起こされた願であります。光明と寿命の二無量は阿弥陀仏の徳をしめしたもので、これを自利の立場からいうと、光明は智慧のはたらきをしめし、寿命は涅槃の果徳をしめしたものであります。また利他の立場から言えば光明は空間、寿命は時間をあらわし、三世と十方を通じて仏の利他限りなく続けられることを意味しております。」。  天親の「浄土論」にで、「帰命尽十方無碍光如来」、と「世尊よ、私は一心に、尽十方の無碍光如来に帰命申し上げて、安楽国に生まれたいと願っております。かの安楽世界のありさまを見るに、はるかに三界を越えて優れ極まりないこと虚空のようで、広大にして辺際がないのです。」。  曇鸞の「讃阿弥陀仏偈」で真佛土を明らかにして、「南無不可思議光如来」と仰がれ、   「阿弥陀如来は成仏されてから十劫をすごされたがその寿命は誠にはかり知ることが出来ないが佛身の光は法界に行き渡り、迷いにさ迷う衆生を照らしてくださるゆえに阿弥陀如来を頂礼申し上げます。」とまた、竜樹菩薩のことを「像法の初めに誕生され、廃れかかった仏教の要綱をととのえ邪見の教えを閉ざし、正道の道を開かれました。阿弥陀佛に帰依して安楽国に往生されました。」。  善導が「観経疏」玄義分の文を引用して、「阿弥陀仏の浄土は報土であるのか、化土であるのか答えて言っております。それは報土であって化土ではありませんと、「大乗同性経」に西方の浄土および阿弥陀仏は報佛報土であると説かれており又、「観無量寿経」にも法蔵菩薩の修行の時、願を誓んし、成就して今成仏されている。すなわちこの阿弥陀仏は因位の願に報われて報身になっています、その土地がすなわち報土であります。「観経」にも臨終の時に及んで阿弥陀仏は報身である身でありながら化佛の人を伴って行く所はもちろん報土であります。小乗の聖者、障りの重い凡夫は一人では報土に入ることができない、それは化佛の人であるからです。それが阿弥陀如来の報身佛に伴われて、その願力に乗託することで、それが強い力となり凡夫も聖者もともに報土に連れてゆかれ、浄土に往生することが出来るのであります。」。 親鸞は「真佛土の巻」で「こういうわけで、釈迦如来の説法やら論釈によって安養の浄土は真実の報土であることが明らかにされていることを知りました。煩悩の衆生はこの土では仏性を見ることができません。それはこの土では煩悩に覆われているからであります。 安楽浄土に往生すること、そこが間違いなく仏性を顕わすのであります。それは阿弥陀如来の本願力の回向に由るからであります。」と記しています。     第2章  本願他力 真実の教え、浄土真宗  親鸞は「教行信証」で浄土の真実の教えは大無量寿経であり、行は南無阿弥陀仏の名号、信というのはその名号を信ずること、証というのはそれによって得るところのさとりのことであると記しました。 大無量寿経は釈迦が阿難を相手に阿弥陀仏の本願を説かれたものであります。阿弥陀仏が浄土を建立され、その浄土に衆生が往生することを明らかにした経典であります。阿弥陀仏がもと法蔵菩薩であったとき、世自在王佛のもとで一切の衆生を救いたいと願われ48願の大願を起こし、長載永劫の修行によって阿弥陀仏になられたことを明らかにしました。 衆生が浄土に往生する正因は、ただ弥陀の名号を聞いて信心歓喜するより他の道が無いことを明らかにしました。 釈尊の出世の本意が記されております。「教の巻」に「この経の大意をいえば、阿弥陀仏がすぐれた誓願をおこされ、ひろく法蔵をひらいて、愚かなる凡夫を救うために、功徳の宝である名号を成就された。釈尊がこの世にあらわれて、一代の教えを説かれたのは、真実の利益となる弥陀の本願を説いて、一切の衆生を救わんがためであった。ゆえに、弥陀の本願を説く事がこの経の主要であり、弥陀の名号がこの経の本質であるといわねばならぬ。」。  釈尊がこの世に出たのは弥陀の本願の教えを、弥陀の意を解して一切衆生を救うために、その法として弥陀の名号の選択と回向成就が、如来の本願として、月を指し示しその恵みを広めようというこの一点にありました。 釈尊の求道が釈尊一人のみが、無上尊になり成就することでなく、全ての人々が無上尊になること、一人一人の命が取り替えられることが出来ない尊厳をもっている無上尊になること。  親鸞はそこに釈尊出世の本意をみました。 また、親鸞は「大無量寿経」の顕す仏教を弥陀と釈尊の二尊教と捉えました。 「信の巻序」で「釈迦如来の真実の教えに従い、三国七高僧の宗義をうかがい、ひろく三部経の教説をいただき。」 真実の教えを明らかにしました。  親鸞は大無量寿経の第18願を至心信楽の願と名づけて、信心の成就を誓う願として領解し、至心:信楽:欲生の三信は往生の正因である信心を三つとしたものであります。本願のいわれを疑いなく聞いて信ずる心を信楽といい、如来の真実心によって与えられたものですから至心といい、信心はさらに浄土に生まれたいと願う心でありますから欲生というのであります。本願の三信は疑いの挟む余地のない真実心でありますから、それは信楽一心に納まるものであります。 真実信心を発することを喚かける願であります。しかし 衆生の一人として親鸞は自らの経験から、また、衆生の迷いの中に自らを没して法蔵菩薩がその因位の時に誓願を発したことを思い、真実信心を発し得ない衆生に対しての如来自らが衆生になって真実信心を開こうとする誓願であることを親鸞は尋ねあてました。 親鸞は大無量寿経第十八願の成就文として読み直して、「あらゆる人々が、その名号のいわれを聞いて信心歓喜するとき、その一念の信心は仏の真実心からあたえられたものであるから、浄土に生まれたいと願えば、たちどころに往生することのできる身にさだまり、そのまま不退転の位に住するのである。しかし五逆罪を犯したものと、正法をそしったものはこの限りではないと。」。諸有衆生、一切の衆生を救済の対象とし、その根本は親鸞を含めた凡夫のための教えで、信心というものは如来から頂くもので、それは凡夫が自身で起こすところのものでありません。すなわち他力回向であり如来が第十八願で誓われた至心:信楽:欲生の三信を一つの信楽に入れ込んで回向したものです。 称名念仏  親鸞は諸佛称名の願とは大無量寿経の第17願の事で、「もしわたくしが仏になるとき、十方世界のかずかぎりない諸佛たちが、ことごとくわたしの名をほめたたえないならば、わたくしはさとりを開かないと。」 阿弥陀仏の因位のとき、南無阿弥陀仏の名号一つをもって一切の衆生を救いたいと誓われ、さらにそれを十方の諸佛にほめてもらいたいと誓われたのです。 諸仏によって称名:称讃された名号が衆生の浄土に往生する真実の行業であることしめされ、また、阿弥陀如来が選択摂取された行に他ならないことをしめされたのであります。 親鸞は念仏を大行と言い、南無阿弥陀仏という称名して自らに現れている深い目覚めを大信と言い表しております。大行:大信の獲得によって開かれた仏道を浄土真宗と呼んでおります。   いずれの行に励んでも仏になることの出来ない罪悪深重の我が身を念仏の智慧によって人の計らいによる行でなく、むしろ計らいを破る念仏は穢土のそらごとたわごとのなかにいる人間に浄土という真実の世界を開かしてくれる行であり、すべての衆生の往生道として選び取られた選択本願の行であり、それは阿弥陀仏の本願が衆生の念仏となり、その念仏する衆生を往生の一道に立たせしめる大行であるからです。選択本願の行と信は別のことでなく、よきひとに、遭うことによって獲得した信は、必ず念仏として現れるそれを親鸞は大行:大信として顕わしました。 念仏をとなえることは衆生の一切の無明を破り、衆生の一切の志願を満たす事であります。ゆえに称名はもっともすぐれた行であり、それが念仏であり、南無阿弥陀仏の名号であり、そのまま信心であります。無明のまどいをひるがえして、無上涅槃のさとりをひらきます。 竜樹は「難行道と易行道の二道を示して、難行に堪えられない凡夫には信方便の易行を説かれ、念仏の道に立つことを説かれました。大乗の仏道、自利利他の道を自由に行き来する不退転にいたろうとする凡夫に恭敬の心をもって佛の名を正念することが自然の境地に入らしめる。」と述べています。阿弥陀仏の本願を深く憶念すれば、凡夫はおのずと、そして同時に、必ず仏になるべき身と定まり、如来の大慈悲弘誓の力によって、必ず菩薩の世界に入らしめられる。つねに阿弥陀仏の名を称念して、如来の恩徳に報いたてまつれと、勧めているのであります。 天親は「名号すなわち大行の意味を示して、法蔵菩薩の五念仏の行を成就され、自利と利他、すなわち衆生に功徳を施させる利他の行も成就して、すみやかに無上道の佛果を成就されたのです。阿弥陀仏の本願力を信ずるものはむなしく生死にとどまることなく、すみやかに功徳の大宝海を満足させいただけるのでありますと」。 曇鸞は「佛の願力によってかの清浄な浄土に往生し、佛力の住持によってただちに大乗の正定聚の位に入ることが出切る、その正定聚というのは不退の位のことを」明らかにしています。 善導は「一切善悪の凡夫が浄土に往生するのは阿弥陀仏の大願業力によるもので最上のものであります。 南無ということは帰命と訳し発願回向の意味であります。阿弥陀仏というのはすなわち行であり、必ず往生できるということであります。 往生を願う念仏者が生命を終わらんとする時、日ごろから願力を納めているのでたやすく往生できえるゆえに摂生増上縁といいますが、一方、あらゆる善悪の凡夫に自力の心をひるがえさせ、本願の名号を信じて称念して、残らず往生させることが出来るのを証生増上縁といいます。 無明の迷いの因果を滅ずるのは、弥陀の名号であります。他力の念仏によって浄土に往生し、真如の門に入ることが出来る。」と説いております。   親鸞は教と機について、「念仏と諸行を比較して、念仏の法は絶対価値であり、本願の一乗海は功徳を円融して満足し、さとりは極速、無碍、絶対不二の教えであります。本願の一乗海の機は、金剛の信心は絶対不二あります。また、敬って往生を願う一切の人々に、本願に誓われた名号すなわち、弥陀の本願は、一切の人々を三界の迷いの城から救い出して、二十五有という迷いの門を閉ざし、真実の報土に往生するようにされ、よく道の正邪の見分けをつけさせられ、よく愚痴をなくして本願海に入らしめられるのであります。ひとたび浄土に往生すれば、一切智のさとりの船に乗って迷いの海に現れられ、福徳と智慧を円満にして、方便の法を説いて衆生を化益されるのであります。誠にあおぐべきであり、いただくべきであります。」と説いています。行の巻の最後の処で再び弥陀の誓願について記しております。「真実の行信と方便の行信とがあります。その真実の行を誓われたものが第17願の諸仏称名の願であり、その真実の信を誓われたのが第18願の至心信楽の願であります。これがすなわち選択行信であります。その救われる本願の対象は、一切の善悪大小の凡愚であり、またその往生は難思議往生であります。また佛土は報佛報土であり、これがはかりがたい弥陀の誓願の不思議であり、真如法性にかなった一乗海で、それが大経に説かれている宗致であります。他力の本意を開顕した浄土真宗の教えであります。」。 二種の回向: 往相と還相  親鸞は教の巻で「つつしんで浄土真宗の教えをうかがってみるに二つの回向がある。一つはわたくしが浄土に往生してさとりをひらかせてもらう往相の回向であり、二つは浄土からこの世界からかえってきて他の人々を救うという還相の回向である。その往還の回向については真実の教行信証がる。」。衆生が浄土に回向する往相と往生して佛になり、衆生を救うためにこの世に帰ってきて利他教化する還相、それら二つの回向も弥陀本願の他力回向によってなされます。 自力回向とは一般には自分の善を他の人々にほどこして、それによってともに浄土に向かう事を云います。往相の回向のみで、これを聖道門の回向と言っております。 天親は「五功徳の果を得て、自利利他円満にして、無上仏道を成就することを明らかにしてものであります。」が、曇鸞はそれもう一歩進めて、「愚悪の凡夫は元来その心薄弱で堅固な一心を確立することが出来ず煩悩妄信に妨げられて五念の清浄な行を起こすことが出来ない。弥陀如来の深重な大悲はこうした凡夫のために、願を起こして行を修して、真実の一心と清浄の五念の行とを成就して、これを凡夫に回向したのであり、安心起行ともに凡夫自力の発起するところでない。すなわち、天親の一心五念の因を行者の修するものとせず、阿弥陀がすでにこれを成就して凡夫に与えたまう。」と解釈いたしました。二つの回向が、衆生が浄土に往生すること、また、浄土からこの地に帰ってきて衆生を済度教化することを、それらがまったく、阿弥陀の他力回向によってなされるということを、さらに一層明らかにしたのが親鸞であります。 信の巻で「いままで述べてきました往生の行も信も、一つとして阿弥陀如来の清らかな願心から回向してくださったものでないものはない。ゆえにわたくしたちが浄土に往生することの出来るのは、因があって初めて往生することが出来ます。その因というのは他力回向の信心で、この因のほかに他の因があるのではないことをよく知っておくべきです。」 証の巻で「阿弥陀如来の大悲心の回向によって与えられる利益である。ゆえに衆生が浄土に往生する因も果も、すべて阿弥陀如来の清浄な願心によって成就されたものである。このように往生の因が清浄であるから、浄土の果もまた清浄であるといわねばならぬ。」「二つには還相の回向というのは、浄土に往生したものが、他の衆生を教化するはたらきをいう。すなわちこれは、第二十二願の必至補処の願に誓われているもので、還相回向の願ともいう。」。 そこで曇鸞の「浄土論註」を引用して還相回向を明らかにしています。 * 浄土と仏と菩薩との三種荘厳の功徳成就は法蔵菩薩の願心によって成就されたものであり、みな大乗の正定聚に入って清浄の法身を得ることができます。還相という証果も佛力の成就であります。これを浄入願心と言っております。 * 浄土の菩薩が柔軟心をおこして三界の衆生の虚妄のありさまを知り、これを救いたいという真実の慈悲を起こし迷える衆生を救済し、善巧摂化するのであります。 * 智慧、慈悲、方便、によってあまりの恵みで心が遠離する、菩提心の得の妨げになることから離れること、これを離菩薩障の心であります。 * 菩薩はこのように菩提を妨げるこの三種の法を遠離して菩薩の心を満足させる無染清浄心、安静浄心、楽静浄心をもつこと、これ順菩薩門を説いております。 * 無染清浄心、安静浄心、楽清浄心は三種を一つにまとめると妙薬勝真心となり無上菩提心、一心となる。これすなわち名義摂対となります。 * 身業:口業:意業:智業:方便智業、この五種の功徳はよく清浄佛土に生ずることができ、この五種を和合して往生浄土の法門にかなって自由自在の業が成就でき、すなわちこれを願事成就といいます。 * 漸次に五種の功徳が願事成就して還相の菩薩が衆生を済度することは自由自在で済度しておきながら済度した思いがないような遊戯のような感覚で衆生を救済する、これは弥陀の本願回向によってなされるものであり、自利、利他の行が満足して還相のはたらきがなされる教化地、第五の功徳相:利他満足といいます。  親鸞は証の巻の総結の文として、「 釈尊の言葉より大涅槃をさとるということは阿弥陀如来の本願力の回向によるものであり、浄土からこの土に返ってきて衆生を救うという還相の利益は阿弥陀如来の衆生摂化の本意であります。天親は娑婆世界の人々を導いてくださり、曇鸞は往相:還相の二回向はともに弥陀如来の大悲回向によるものであることを示し、他力の深いわれ:他利利他の深義を述べられました。」。往還二回向は真宗教義の重要な要素であり特に還相回向は親鸞が独自によりあきらかにしました。 自力と他力  親鸞は信の巻で「菩提心について二つの種類がある。一つには竪(自力)であり、二つには横(他力)である。またこの竪の中に二つの種類がる。一つには堅超、二つには堅出である。そしてこの堅超と堅出の中に聖導門の教えがある。これらは長い時間かかって遠まわりをしてさとりを開く菩提心で、自力の金剛心であり、また菩薩がおこすところの大心である。また横の中には二つの種類がある。一つには横超、二つには横出である。その横出というのは、正雑の二行や定散の二善を修して往生を願うもので、他力の中の自力の菩提心をいう。横超というのは、弥陀の願力によって回向されるところの他力の信心をいい、これまた佛になりたいという願う心でもあるから願作佛心ともいう。この願作佛心がとりもなおさず他力の大菩提心であり、これを横超の金剛心ともいうのである。まちがった雑行にかかわることは誤りであり、真の道を疑うことは過失である。」。 すなわち、 堅出――――難行道の自力聖道門    証果が遅く得られる教え  法相、三輪の教義 堅超――――難行道の自力聖道門    証果が早く得られる教え  真言、天台、華厳 横出――――易行道の浄土門      自力念仏   「観経」、「小経」の顕説の立場 横超――――易行道の浄土門      他力念仏   「無量寿経」の教え 二双四重の教判を示しました。  親鸞は「尊号真像銘文」にも、「よこは、よこさまという。よこさまというは如来の願力を信ずるゆえに行者のはからいにあらず。五悪趣を自然にたちすて、四生をはなるるを横という。他力ともうすなり。こえを横超といふなり。------横超はすなわち他力真宗の本意なり。」と述べられ、他力真宗の地位を確立し、この他力信心が大菩薩心であることを明らかにされたのであります。 行の巻で「南無阿弥陀仏の名号は不回向の行であり、念仏は自力の造作でなく、自力を捨てて他力に帰することが、経:論:釈の一貫した本義であります。 如来回向の大行によって衆生は浄土に往生するから、大行は如来からの回向のもので、衆生はまったく不回向のものであり、ゆえに衆生が自力によって修した功徳をさとりに振り向けて往生を願ってもそれは自力の行にもなりえないのであります。不回向の行といわれるわけであります。」。「おおよそ往相回向の行信について考えるのに、行には行の一行があり、また信には信の一念があります。その行の一念というのは、名号を称える称名の最初の一声に選択本願の他力至極の法の働きがあります。」 「他力と言うは、如来の本願力なり。」 曇鸞の「浄土論註」を引いて他力を明らかにます。「本願力というのは法蔵菩薩がさとりの中で、種々の身、種々の神通、衆生の説法をして衆生を救うために願心を起こしました。法蔵菩薩は四種の門に入って、自利の行を成就して、それをなした自利によって利他をすることが出来るようになりました。第五の回向門において功徳を回向される利他の行を成就されました。それら全ては衆生利益でないものはなかったのです。自利することで利他をすることが出来、利他することによって自利がなり、法蔵菩薩はこのようにして五念の因行を修して自利利他を満足し、阿耨多羅三脈藐三菩提を成就されたのであります。仏のさとられた法を阿耨多羅三脈藐三菩提といい、このさとりを得られたというので仏といいます。阿耨多羅三脈藐三菩とは無上正偏動と訳しております。どういうわけで「浄土論」に、阿耨多羅三脈藐三菩提を成就したまえりというのかと問うて、法蔵菩薩は五念の行を修して自利利他を成就した故であると答えています。衆生が佛果を得るその根本を明らかにして、推し量ってみれば阿弥陀仏のすぐれた因縁となってくださったからであります。他利と利他とはその表現のことばに相違があります。仏の方からでは利他であるべきで、いまは仏力をいうのですから利他といわれたのであります。衆生からして言えば他利ということになります。衆生が浄土に生まれ、そこで聖衆が起こす諸行も、みな阿弥陀仏の本願力によるものであります。もし仏力によるものでなかったなら、48願いたずらに設けられたのでしょうか。第18願に仏の願力によるからただ念仏して往生が得ることが出来、往生を得るから三界に流転しなく、速やかに仏のさとりを得ることが出来るのであります。第22願は仏の願力によるから常なみに超え、諸地の行も現れ普賢の徳を修めることが出来るので速やかに仏のさとりが得ることが出来るのであります。こいうわけで、如来の本願力すなわち他力のすぐれた因縁であるということがわかります。」。   自利と利他  天親は『浄土論』で「本願の三心を一心とされ、一心帰命の信の上に」、さらに「法蔵菩薩は五念仏の中の前四念(礼拝、讃嘆、作願、観察)を修し、第五の念仏(自然におこる慈悲によって、名号の功徳を一切の衆生に回施する事)、自利の行を成就させ、それによる四功徳(安楽浄土に生まれる事、浄土の聖衆の数に入る事、如来のさとりの世界に入る事、法味楽を受ける事、)第五の功徳(大慈悲をもって一切の苦悩の衆生を観察して、応化身を示して、生死の世界に還り苦悩する衆生を教化していく事)で衆生に功徳を施させる利他の行を成就し、自利と利他の行をし、すみやかに無上道の佛果を成就する道に立つことができる。」と説きました。  曇鸞の「浄土論註」を引いて「法蔵菩薩がさとりの中で、種々の身、種々の神通、衆生の説法をして衆生を救うために願心を起こしました。法蔵菩薩は四種の門に入って、自利の行を成就して、それをなした自利によって利他をすることが出来るようになりました。第五の回向門において功徳を回向される利他の行を成就されました。それら全ては衆生利益でないものはなかったのです。自利することで利他をすることが出来、利他することによって自利がなり、法蔵菩薩はこのようにして五念の因行を修して自利利他を満足し、阿耨多羅三脈藐三菩提を成就されたのであります。」。巻末において、「どういうわけで「浄土論」に、阿耨多羅三脈藐三菩提を成就したまえりというのかと問うて、法蔵菩薩は五念の行を修して自利利他を成就した故であると答えています。衆生が佛果を得るその根本を明らかにして、推し量ってみれば阿弥陀仏のすぐれた因縁となってくださったからであります。他利と利他とはその表現のことばに相違があります。仏の方からでは利他であるべきで、いまは仏力をいうのですから利他といわれたのであります。衆生からして言えば他利ということになります。衆生が浄土に生まれ、そこで聖衆が起こす諸行も、みな阿弥陀仏の本願力によるものであります。」と説いています。 親鸞は信の巻で、真実信心によって獲る十種の利益を挙げ、「金剛の真心を獲得すれば、横に五趣:八難の道を越え、必ず現生に十種の益を獲。何者か十とする。一つには冥衆護持の益、二つには至徳具足の益、三つには転悪成善の益、四つには諸佛護念の益、五つには諸佛称讃の益、六つには心光常護の益、七つには心他歓喜の益、八つには知恩報徳の益、九つには常行大悲の益、十には正定聚には入る益なり。」 冥衆護持の益とは、人間の精神性か暗闇にうごめく冥衆への怖れから解放されることであり、至徳具足の益、転悪成善の益とは、至徳の名号が悪を転じて善となすことであり、諸佛護念の益、諸佛称讃の益とは、諸佛によって育まれることであり、心光常護の益とは、如来の心光に摂取せられ照護されることであり、心他歓喜の益とは、求道の要求が深く充足されることであり、知恩報徳の益とは、忘恩の徒であった者が恩徳を知る身に転生されることであり、常行大悲の益とは、真実信心によって如来の大悲の行に参加する身とならしめられることであり、入正定聚の益とは、まさしく仏となるべきともがらとなるということであります。 この十種の利益の要は第十の入定聚の益であります。金剛の信心を獲るとき、二度と迷いの世界に退転する事がなく、必ず如来の証りにいたるべき身となることであり、しかもそれは、決して遠い未来に獲る利益でなく、この現生において獲得される利益であります。 摂取不捨の利益の意味を現生不退:現生正定聚として明らかにいたしました。 真宗における現生利益として上記の現生利益を信心の利益としてあげていますが、これはあくまでも信仰による精神的な利益をいっていますのであって、物欲的な現生利益をいっているのではありません。呪術的な、非合理的な、因果の道理を無視した、人間の努力を否定した、非科学的な、迷信的な現世の物質的な欲求をすることを現に厳しく批判しております。 さらに、信の巻で「{真佛弟子}と言うは。{真}の言は偽にたいし、仮に対するなり。{弟子}とは釈迦:諸佛の弟子なり。金剛心の行人なり。この信:行に由って、必ず大涅槃を超証すべきがゆえに、{真佛弟子}と日う。」。信心の行者、他力の信心を得た人は他力回向信行によりて、まちがいなく涅槃のさとりをひらき真佛弟子となりますと説いております。 親鸞は証の巻の冒頭、「必至滅度の願」「難思議往生」で、それは難思儀往生であることを述べております。この往生定聚と必至滅度との二つの願が誓われていますが、他宗にあっては往生定聚の願と名づけて衆生が浄土に往生してただちに正定聚に住し、やがて滅度をさとるという、これを彼土にとって解釈していますが親鸞は他宗と違って他力の信心を得たならば直ちにこの世で正定聚に住し、さらに生命が終わり次第に浄土に往生し、そして直ちに滅度をさとると解釈しております。さらに難思議往生をあげていますのは往生即成仏という立場から、はかり知ることが出来ない往生であることを明示しております。 証の巻の巻末で、曇鸞の「浄土論註」還相回向の第九文を再度引用して、「漸次に五種の功徳が願事成就して還相の菩薩が衆生を済度することは自由自在で済度しておきながら済度した思いがないような遊戯のような感覚で衆生を救済する、これは弥陀の本願回向によってなされるものであり、自利、利他の行が満足して還相のはたらきがなされる教化地、第五の功徳相:利他満足といいます。」と総結の文として、「しかれば大聖の真言、誠に知りぬ。大涅槃を証することは、願力の回向に藉りてなり。還相の利益は、利他の正意を顕すなり。ここをもって論主(天親)は広大無碍の一心を宣布して、あまねく雑染堪忍の群萌を開化す。宗師(曇鸞)は大悲往還の回向を顕示して、ねんごろに他利利他の深義を弘宣したまえり。仰ぎて奉持すべし、特に頂戴すべしと。」。釈尊の言葉より大涅槃をさとるということは阿弥陀如来の本願力の回向によるものであり、浄土からこの土に返ってきて衆生を救うという還相の利益は阿弥陀如来の衆生摂化の本意であります。天親は娑婆世界の人々を導いてくださり、曇鸞は往相:還相の二回向はともに弥陀如来の大悲回向によるものであることを示し、他力の深いいわれを述べられました。往還二回向と自利利他は真宗教義の重要な要素であり特に還相回向と利他:他利は親鸞が独自に明らかにしたものです。   第3章    有限と無限 有限と無限の同一性  日常の生活の忙しさにかまけてなんともなく生き永らえているとき、病:老:死という思わぬ不幸がわが身の近くに及んだとき、また、自分の人生の生きている意味を深く考えるとき、この生きている社会が有限であり、その中に生きている自分も有限である事に気付きます。有限である人間、その自分の確かな根拠を求めることが宗教の出発点になります。 有限である人間がいつまでも有限でありたい、それは生病老死=人間の寿命=無常から言って矛盾であります。有限は無限でなく、無限は有限でない。両者はまったく異なる世界であります。この二つの異なった要素を認めることが宗教の始まりであります。しかしながら、有限が無限であり、有限と無限の関係がきわめて同一性でありたい、有限の領分を去って無限の境地に行きたい、これが宗教の最終目標であります。 有限の世界で有限の人間が無限とは何かと決して語ることは出来ません、沈黙しかないわけです。語りえないものを語るには、その媒体を必要といたします。釈尊の求道が釈尊一人のみが、無上尊になり成就することでなく、全ての人々が無上尊になること、釈尊は絶対沈黙を破り他者との関係、他者を必要としました。 釈尊一人が絶対智を正覚したと言っても、それは主観的のものであり、他から観れば錯覚:妄想と思われる可能性があります。 妄想でなく絶対智を受け入れるには、他の正気の人が理性的存在として正覚者としてこの世に存在する事が、主観的な自己確信から客観的他人の万人の絶対智になるとき、それが釈尊の到達した絶対智、正覚、無上尊を真実の意味で完全なものにすることでありました。 この意欲と釈尊の義務の願望が釈尊をして、弥陀の本願の教えを、弥陀の一切衆生を救わんがための思いに、釈尊は月に指を示してその恵みを広めようとしたのであります。 それが釈尊出世の真実であります。 その教えは親鸞の「教行信証」によって「大無量寿経」と示されました。 大無量寿経――― 真実の教え、 浄土真宗 大無量寿経は王舎城の耆闍崛山で阿難を対象に阿弥陀仏の本願を説かれたものであります。それは、如来浄土の因果、衆生往生の因果を阿弥陀仏が浄土を建立され、その浄土に衆生が往生することを明らかにした経典であります。如来浄土の因果とは、阿弥陀仏がもと法蔵菩薩であったとき、世自在王佛のもて一切の衆生を救いたいと願われ48願の大願を起こし、長載永劫の修行によって阿弥陀仏になられたことを明らかにしました。 衆生往生の因果が説かれ、衆生が浄土に往生する正因は、ただ弥陀の名号を聞いて信心歓喜するよりほかに道はないことを明らかにしました。 人間は有限であり阿弥陀仏は無限であります。 宗教では阿弥陀仏と同じ無上佛になることが希望であります。無限としての阿弥陀仏と有限な人間との間には絶対な深淵が横たわっております。この深淵を飛び越えて初めて、この世俗の世界に生きる無明、煩悩にまみれた存在からの脱却は仏陀の智慧を獲得する事です。阿弥陀仏による呼びかけ、有限への摂取の呼びかけ、それへの称名と念仏での応答、有限の円と無限の円とが呼びかけと応答が重なり合って、それが目覚めであります。 その目覚めの証言が自分に向かっても無限に向かってもその証が念仏ということになります。目覚めは絶対条件であります。有限が無限に帰命することであります。ここに有限と無限とは絶対的矛盾でありながら、有限と無限が絶対同一になる事です。 有限:無限と自力:他力  親鸞は信の巻で「菩提心については、横超というのは弥陀の願力によって回向されるところの他力の信心をいい、これまた佛になりたいという願う心であるから願作仏心ともいう。この願作仏心がとりもなおさず他力の大菩薩心であり、これを横超の金剛心というのである。」行の巻で「その行の一念というのは、名号を称える称名の最初の一声に選択本願の他力の至極の法の働きがある。」「他力と言うは、如来の本願力なり。」。  他力は無限であり、他力は有限的な物(生きている自然、人間を含む)とは異質であり、それを超えている。他力は他性であり、有と無とか有と非有とかは有限者の有限の世界の言葉であって、他力の他性は人間の言語表現を超えている、あえて言うのであるなら、「空」であります。  仏教の中には自力修業門と他力救済門とに分かれます。  自力門は現に存在する有限の我々の内部に無限を見て無限の本性と能力があると自力を奮励して修業によってこの潜在的無限を開発して展開しようとするものです。有限の内部であるため因果:因縁の法則があり、解決は世間から出世間になる事はできません。有限者はその修行中に時間が経てその達成が不可能になってしまいます。その達成が成されないゆえに心の安らぎも得ることができません。それ故に、自力修行は、計算された結果を得ようとして、即ち有限世界の中で有限な手段を持って救済しようとしても本来的に無限に属することを実現しようとしても不可能なことです。そこで非科学的な手段を取ってみたり、呪術的手法を取ってみたりします。  一方、他力門は有限の外部に無限があると信じて、無限の覚知をさとり、真覚の習性を知り、有限者自身の力を使うことでなく、無限、他力の顕在的能力を外部に見てこれに依拠して行います。全ての運動ないし活動は不可思議な他者:他力の働きにより、すなわち本願他力(阿弥陀仏による摂取不捨)への帰依によって、浄土往生をする事が出来るわけです。 有限世界に居りながら無限を認知して他力の恩恵をこうむり、生き生きした自分の存在を無限の心の中にゆだねて、心安らかにもたらすものと同時に、有限世界にある因果:因縁の世間に存する対他関係を新しい関係改善する。それは 阿弥陀が摂取不捨の行為を繰り返すのと同じく、他者を摂取することになります。有限の世界で無限の世界の媒体で新しい対他関係作ることは、無限の世界の理法:「法」ダルマ、「自然の哲学」「自然の弁証法」に依拠する真実の対他関係になります。他者迎え入れの倫理であります。  自力門の修行は自己への配慮だけであり、自己配慮は自分中心の配慮であり、他人との関係は自己配慮のための他人との関係になります。 そこには個人的モラル:徳目的道徳しか生まれません。倫理というものは生まれません。他力門のみが倫理を語ることが出来ます。 無限:有限と往相:還相回向(自利:利他) 親鸞は教の巻で「つつしんで浄土真宗の教えをうかがってみるに二つの回向がある。一つはわたくしが浄土に往生してさとりをひらかせてもらう往相の回向であり、二つは浄土からこの世界からかえってきて他の人々を救うという還相の回向である。その往還の回向については真実の教行信証がる。」。有限者である衆生が浄土に回向する往相といい往生して佛になり、無限より衆生を救うためにこの世に帰ってきて利他教化する還相、有限の現世内の他者との現世内関係持つ、すなわち、無限が自己を迎えたように我が、他者を迎え入れて、現世に於ける対他関係は、阿弥陀が我に振舞ってきたと同様に我個人がその反復を担います。それら二つの回向も弥陀本願の他力回向によってなされます。 本願の意味は浄土往生=往相と還相回向の統一であります。 一方、有限内世界で自己開発し自力で目覚めを得ようとするのが自力回向で、一般には自分の善を他の人々にほどこして、それによって浄土に向かう事を云います。往相の回向のみで、浄土門の自力念仏と聖道門の自力門がこれに当ります。 阿部謹也は「日本人の歴史意識」で、世間の否定を{世間:出世間}における{贈与:互酬}の関係で解説いたしておりますが、同じように現世の世界と無限の世界との間にも贈与:互酬の関係、贈与の論理があると同じく今村仁司も述べております。「無限に依る包摂、摂取、迎えを感じるとき人間はホスピタリテイと贈与の論理に厳密にしたがって必ず自己贈与を行うものである。それは無限の世界を訪問する礼儀作法である。 無限の阿弥陀佛による包摂、摂取不捨されて、無限内自己、(無我)に迎えいれられること、これに対して、必ず、有限としての人間:自分自身の存在を無限に贈与するものです。 無限との接触によって無限内存在なることは無我、すなわち無限的自己になることです。目覚めまたは正覚というものです。」この俗世間に生きる個人の自我は欲望に満ちた五濁の中にあり、他者と自我との闘争であります。現世の中の自我は悪人の源泉であります。 この悪人の自我から解放されたいのが自己であります。自己自身の何であるかを絶対的に知ること。諸行無常、諸法無我、諸法実相を通して自然の中に住む自己の本性:真実を開示して正覚を知ったとしても、ただ我一人の自己満足であるかもしれないし、自己確信であるかも知れない。つまり他者がそれを再確認するものでなければならない。自利は一人だけの正覚であるかもしれぬ。 主観的確信から客観的確信にならなければなりません。つまり、他者の確認を必要とします。 人間の言葉で言い表せない、それに答えるのが、無限の呼びかけが念仏であり、それに応答するのが念仏であります。それを行うのが慈悲であります。  無我としての自己のあり方は他者を迎え入れ、他者への抜苦与薬としての他者への働きかけ、他者の善悪を超えて他者を迎え入れること、自我から自己=無我への道は新しい他人関係を作ります。 他者配慮は自己配慮を基礎にした他者への配慮となります。他者配慮は自己配慮の絶対必要条件であり、絶対必須条件になります。 他者配慮なしに自己配慮が成り立ちません。 自利:利他は一つの事の裏表になります。 同時であり、同立でその行為が慈悲となります。 この慈悲は、俗世間でいわれるあわれみの感情でなく、自己と他者との苦痛からの解放の実践的行為であります。阿弥陀佛と同様に有限、往相回向、還相回向、有限世界帰還を無限の多数がこれをループのように繰り返します。無限と有限の架け橋を感じ取る事で還相を自ら再確認できます。絶対無限あるいは絶対他力が還相として帰還して有限性のフィルターを通過して無限的な性質を温存しながら有限世界の法則に従うとき、有限世界の中で無限他力がとる姿であります。 有限世界から往相:還相回向され正覚して、絶対無限に向かうこの有限世界に遊ぶプロセスを心安らかに楽しみ、この状態を相対無限と呼ぶことができます。 相対無限には条件に応じて作られた現実に有限の衆生を大悲の方便を施して、阿弥陀仏のように、衆生を教化する還相回向、即ち有限世界の浄化を自らも施され、対他関係にも施すという役目と、一方に絶対的無限に進むプロセス、それは自然界の法則、自然の弁証法、仏教の法=ダルマ、絶対的無限の不動の真理の知ることこれは有限世界では正定聚の境地に入ったことかもしれません。 人間が娑婆の縁が切れ、滅度のとき即、相対的無限から絶対的無限の世界へ移行、無上佛、無上涅槃、空 これらの移行は相対無限である阿弥陀仏の媒介で行われます。阿弥陀仏と無上佛、無上涅槃、空は地続きのようであり、阿弥陀佛も絶対無限ということになります。   衆生が自ら菩提心を起こして、優れた修行をして悟りを開こうと考えている自力聖道門の人々は、有限の中で諸諸の徳や善の修業を通して無限を迎え入れ、有限と無限の同一性を確保しようとしますが、結局のところ有限の中に無限を生み出す事は矛盾であり現世の中ではその同一性を作ることができず、悟りを開くことのできなく娑婆の縁が尽きるとき、臨終に来迎して浄土に往生したいという願に、また、十方の衆生が自力念仏をとなえて、それを因として浄土に往生したいという願いを、 それらを必ず果たしてやりたいという願、それらは方便往生であり、方便化土の往生といい、浄土に往生する事ができますが、浄土の過渡期、僻地の往生ということになります。 自力聖道門や自力念仏では修行が自己修行のみでおのれのみしか考慮していません。それで無限世界に入ることを考えているのですから、自己に対する徳目的道徳しか考えられません。 それに反して、無限、他力、還相回向は有限世界の出世間を考えております。自力門の俗世間を基礎にする人間関係、俗世間の中における道徳でなく、出世間の倫理の問題として提議されることになります。これが還相としての対他倫理ということになります。        第4章   因果性と法則性 横超  親鸞は信の巻で、「一つには横超、二つには横出である。その横出というのは正雑の二行や定散の二善を修して往生を願うもので、他力のなかの自力をいう。横超というのは、弥陀の願力によって回向されるところの他力の信心をいう。」「横超というのは、本願他力、真実円満の教え、すなわち真宗の教えがそれである。さらにまた横出というのがあるが、これは三輩:九品:定散自力の教えで、化土や懈慢界に往生する遠回りの善である。本願によって成就された清浄の報土には、位や階級などなく、一念のところに速やかに佛果菩提をさとるから横超というのである。」と記しております。  横超というは本願他力、真実円満の教え、すなわち真宗の教え。本願によって成就された清浄の報土には、無限の世界が開かれ、無上真道を証して下だされる。横超という横的、水平的関係、の万物相関の理法によって、必然的に、人間にも佛性が与えられるという事になります。それに目覚める、菩薩心、万物相関的に生きる、自然の法則、仏教の法(ダルマ)の下で生きる、我一人宇宙の中で唯一無比の存在として生きていく、有限の世界で、無限の阿弥陀仏に摂取不捨されて生きていく、それが横超の世界で生きて行くという事と思います。  釈尊は、原因だけでは結果生じないとし、間接的要因(縁)によって結果はもたらされるとする、因縁果。そこで、因果=因縁と呼ぶ法によって全ての事象が生じており、結果も原因も、そのまま別の縁となって、現実は全ての事象が相依相関として成立しているわけです。 釈尊は、「此があれば彼があり、此れがなければ彼がない、此が滅すると、彼が滅す。」と説いています。これは、此と彼とがお互いに相依相成しているのであり、それぞれ個別に存在するものでないことを言っていうのであり、すなわち有無によって示される空間的社会的にも、生滅によって示される時間的歴史的にも、すべての存在現象は、孤立でなく相互の関係によっての現象していることを説いたものであります。「一切のものはすべて独一存在でなく無我である。しかし、無我でありながら、無我のまま価値を持ち存在性を持ち得るのは、すべてが縁起の法である。此は彼に対して此であり、彼と対さなければ此は此でない。このような関係においてのみ存在は存在性を獲得すること出来る。」と説いています。 縁起の法の下に因果の法則があります。この二重性を既に釈尊の説いた教説の中に見出す事が出来るのであります。  明治に入り、浄土真宗の立場からこの問題に哲学的に立ち入ったのが清沢満之であります。彼は「宗教哲学骸骨」と「他力門哲学骸骨」の二つの小著で彼の言う有機組織論(清沢満之の弁証法)として、哲学的に、理論的に、縁起の理論の再構築を試みました。 その解説を今村仁司が致しております。それを参考にして私の考えを整理しています。 彼の生成の法則は、原因は条件とともに結果の中に発展してきました。有限世界の事象はみなことごとく変易の法に従い因(原因)と縁(条件)との二要素より果報(結果)生ずるとしました。 原因  |      条件---------------結果(原因)                           |     条件-----------------結果(原因)                                  |                     条件--------------------結果(原因)                          |                         条件--------------------結果(原因)                 また、有機組織論を述べています。 「有限世界の中では全てのものが相互関係の中にある。万物は個々のものとして生成する。この相関性はそのつどの条件(縁)との出会いの集合が万物相関論の意味であります。一個のものは、万物相関の空間的及び時間的連続の産物であり、相関の結果であるわけである。 万物は世界のあらゆるものの生産過程の結果であり、その要素は顕在的なものもあれば、潜在的なものもあり、可視出来ないもの、不在的で現前するものでありながら確固として捉えきれないもの、そのようなものを不在の要素の膨大な集積」として注目しました。 彼は因果論の中に二重の因果論を見出しました。「1)は、先なるものが後なるものを決定する。原因〜〜縁因〜〜結果  と言う演繹的方法と、2)は、後なるものが先なるものを生む。 結果〜〜縁因〜〜原因 と言う帰納的方法、結果から出発して世界を把握する方法、万物が結果であり、結果を生み出した生産過程へと視点を移して、結果の原因と縁因を分析的に取り出す。」これが彼の有機組織論の中の主伴互具論でありました。  万物の相関のなかで「主」として結果をすることもあれば、「伴」として結果することもあります。いやむしろ、万物はつねに同時に「主」たり「伴」たりとして存在すると、 又一方、事物は個別の観点から見れば、偶然の出会いの結果でありますが、よくよく結果を分析して原因と縁因を取り出し相関関係を再構築した場合、万物はつねに必然的相関関係にあることを有機組織論として理論化しました。ここで、二重性についてその対象が無機的自然一般の存在と、有機生命体とによって異なることを明らかにして、清沢満之の有機組織論をより解り易くする必要がでてきました。 万有が無機的自然一般である場合、万有の相関関係は水平的:横的関係で法則性の関係であります。法則性と必然性の関係であります。あるがままに存在し、事物は必ず必然的であり、時間と場所をどのように変更しても、永遠に事物の本質を変更しないまま存在すると云う事です。 因果性は有機体生命体にのみ有効であります。それは垂直:竪の関係であり、原因と結果はその作用原因=条件があれば必ず結果を生ずるものであります。 もう少し大胆に云えば、縁起の法則性:必然性を基礎としてその横の法則性の上に原因:結果の竪の因果性を重ねて、有機組織論を語れば、自然宇宙万物を動かすものがあります、それは、自然の法則であり、それが絶対他力であり、親鸞は横の法則と竪の法則を教行信証で上記に引用した信の巻の中で「横超」で言い表しております。  上記の因果:因縁と縁起を現代の科学分野の区別を入れて大胆にまとめて見ますと もう少し分りやすくなります。 科学というものには、自然科学、社会科学、人文科学の三つの分野が在ります。その中で自然を扱った分野にさらに三つの分野に分けることが出来ます。 1)自然の中での無生命体  ------------------- 無機質自然界 2)自然の中での人間を除く、生命体---------- 有機質自然界 3)人間、この特殊な動物------------------------- 有機生命体の特殊なもの人間 1)は自然の物質、宇宙、等 の無機的自然科学の学問。2)は有機的生命体(人間を除く)の学問、 1)と2)は自然の中に絶対的な法則が貫かれている、自然の法則、自然の弁証法の下の世界であります。 3)は生命のある動物の一種に過ぎないものありますが、全く特殊な動物である人間、それを扱う学問、それは別枠で既に社会科学、人文科学として扱われております。 2)と3)は宇宙万有のなかに、有機質生命体が出現している世界、そこには 垂直、竪の関係。 有限の世界、相互=相依の関係の世界、そこには原因があって条件=作用原因=起生原因があれば、それを因果性と呼び、必ず結果を生ずる。 しかし、3)特殊な動物、人間は単なる有機質生命体の領域でないのであります。因縁の法則性と因果性を分けて考えますと、自然の弁証法と相互反応行為とに分けられます。 A) 万物が相依相関関係にあるときはつねに法則性と必然性があります。自然の弁証法が貫徹しているわけであります。 しかし、B) 行為する生命体が相手に働きかけ(客体)それを変形し、別のものにする変形行為は行為する主体をも変形変換するという主体と客体相互に共同して変形変換するという、主体が客体に相互反応行為をしてその結果新しい主体が出来、又新しい客体が、これの行為によってあれが生ずる。 この行為は人間の自由な行為がなされ、特殊な動物である人間社会では、因果性に対して自由な行為が加わり、目的論的意図的な行為に基づいた独自の(したがって単に生物学的な=自然弁証的な因果関係でなく)因果性が成り立つのであります。 仏教には「悉有佛性」すべての万有には佛性があると言うことです。しかしながら、この特殊な動物、人間のみが佛性を持ち合わせておりません、まさにそれ故に人間だけが例外的に精神的に佛性を求めねばならない。これが宗教、仏教なのであります。人間の世界は、時間的であり、歴史的であり、空間的であります。人間のみが自由な行動を起こし、目的:意識的行為が働いて独自の結果が生まれ、自然の絶対的な法則から外れた行為を続けているのであります。人間は自己意識があるために、自己の行為を自覚し、現在の自己を先行過程の結果として自覚し、自己としての結果に至る過程を遡及的に理解します。そのとき、原因は過去性を、結果は現在性(と未来性)を示します。厳密には人間は時間と歴史を持っており、特殊な動物である人間は、行為をし、自覚をし、それを契機として過去全体の認識までに至ります。それぞれの事情に応じた角度を持って収斂するのであります。すなわち、3)、と B)の立場に立っていることになります。 人間以外の存在者はすべて佛性のまま生きています、いまさら目覚める必要が無いのであります。人間以外の存在者は既にして仏陀であるのです。 他の存在者のようにあるがままに生きられない例外的存在者、人間。人間存在の悲しみ、人間のみが佛性の中に生きていない、自然的宇宙論的な法則の認識、それは1)の自然の法則の確認であり重要な事でありますが、 自然の法則を悟性的科学的に認識する我、その我が一体何者なのか、その我を把握する事のできない我、そこに自己矛盾があり、アプリオがあります。縁起の法の下に因果の法則、縁起と因果の二重性を形成しているのであります。それを宗教的認識に目覚めること、これには不可思議の世界を超えていく媒体が必要であります。これが仏教であります。大経の世界であります。      第5章    悪と深信 人間そのものの悪性  自然宇宙の生成の中で有機生命体が一番遅れて到来しました。 その有機生命体の中でも特殊な動物である人間が自然世界に一番遅れて到来したと考えて、それを取り返すために自由な行動を起こし、目的意識的に行動を起こし、人間以外の有機生命体の生命を奪い、自己の生命を維持してきています。 欲望を満たすために、他の有機生命体を排除し、脅かし、自己の優越性を誇示して、それをもって人間の存在をアッピールし、自然宇宙世界に挑戦しているのが人間であります。人間存在が根源的悪でもあることを深く心に留めておかねばなりません。他の有機生命体のように自然の法則に従って生きていけない、自然宇宙世界の中の唯一つの例外的存在者、人間存在そのことが悪である事の自覚なくしては、涅槃経の「一切衆生 悉有仏性」「一切の衆生はことごとく仏性がある」と記していますが、人間には仏性がなくなっています。そこで、教行信証の信の巻で涅槃経より引用していますように、「一切の衆生はやがては必ずこの大信心を得るので、一切の衆生はことごとく仏性があるといったのである。ゆえに大信心を仏性と名づけ、仏性もまた如来と名づけたのである。」と、自然の掟を知り、自然の法を知り、大経の大信心を得ることなくして、一切衆生の仏性はないのであります。 教行信証の信の巻で涅槃経より引用して、「闇は世間のことであり、明は出世間のことである。また闇は無明のことであり、明は智明であると説いている。」「一切の衆生は久遠のむかしから無明の迷界にさまよい、さまざまの迷いの境界に沈み、多くの苦しみに縛られて、清らかな信楽もなければ、真実の信楽をおこすこともない。こいうわけであるから、この上もない功徳のこもった名号にあうこともできず、すぐれた信心を得ることもできない。一切の凡夫はあらゆる時に、貪愛の心によっていつも善心がけがされ、瞋憎の心によっていつも法財が焼かれてしまう。頭の火をはらいおとすように、あわてて善根を積んだところで、すべては毒のまじった修行で、うそいつわりの行といわれ、真実の行業といわれないのである。」 法然も「罪悪有力 善根無力」、「人間の悪しき性根はいかにしても拭い去りえないほど強力であるのに対してその善根は脆弱で確固とした基盤をもちえない」と述べております。 親鸞は末法を生きる一切の衆生は無明の闇の世間をさ迷い歩き、善性のかけらもないのが、それが人間の本来の姿であると考えました。 人間の意志を超えたいかんともしがたい、人間にまつわる悪はこの世間の中の絶対存在だと考えました。  明は出世間であり、それは智慧であり、目覚めであります。 無限である阿弥陀如来による包摂が、迎え入れることが既に用意され、成就され、摂取不捨の状態にある事が、我々には気がついていない、目覚めていないのであります。 現世の人間が既に成就している摂取不捨の状態を知らないのは、五濁悪の俗世間に溺れ無数の煩悩に汚染されて、そのなかで安住しており、無明と光明を取り違え、悪を善と取り違え、真実と不真実取り違え、 正義と不正義と取り違え、自分は知性も教養もあり、道徳的に常に正しい、一般大衆よりも優れて善人であると思い上がり、それが他人と違うという欲望となり、世俗社会でその欲望が益々肥大化していくのであります。 その欲望は他人も同じ欲望を起こしますので必ずお互いに衝突を起こしていくものです。 その欲望の達成のためには、さらに不自然に貪欲に追求していきます。 欲望欲求を多く達成したものがその世間の支配者階級として君臨するものです。彼らは自らを悪人とは決して自覚しない人々であり、賢と愚、善と悪、の価値判断はその時代の歴史的、社会的制約の中にあり、一般に錯倒することが多くありました。 上記の三通りの悪、人間の悪は存在としての悪、煩悩として内から出てくる悪、その歴史的社会的制約から発生する悪、本質的にすべての人間は悪人である事に自覚する事であります。摂取不捨、迎えられて生きている状態にあることの機が待たれているのであります。 悪人正機  教行信証の化身土の巻(二十願、真門の機)で、「およそ大乗小乗の聖者たちやすべての善人たちは、本願の名号を称えてそれを自分の善根とするから、まことの信心をおこすことができず、また不思議の佛智を了知することができないのである。すなわち阿弥陀如来が浄土往生の因を建立されたことを知らないために、真実の報土に往生することが出来ないのであります。」 化身土の巻(三願転入の文)で、「久しく修しなれた諸善万行の自力の仮門をぬけいで、そのさとりである双樹林下の化土往生をながくはなれることができた。 それから善本徳本の名号を自分の善根としてはげむところの真門に入って、難思往生の化土を願う心おこしたのである。ところが今は、その方便の自力念仏の真門をいでて、弥陀の選択された他力弘願の願海に転入し、難思往生の自力の心をはなれ、難思議往生をとげる身にさせていただいた。これもひとえに果遂の誓いである第二十願の思召しであるということである。」 信の巻(信楽)で、「一切の凡夫はあらゆる時に、貪愛の心によっていつも善心がけがされ、瞋憎の心によっていつも法財が焼かれてしまう。頭の火をはらいおとすように、あわてて善根を積んだところで、すべては毒のまじった修行で、うそいつわりの行といわれ、真実の行業といわれないのである。このようなうそいつわり、毒のまじった善根をもって弥陀の浄土に生まれたいと思ってみても、それはとてもできないことである。〜〜〜〜〜この信楽というのは、如来の大慈悲心からおこされたものであるから、それは必ず浄土に生まれる正因となるのである。如来は苦しみ悩んでいる一切の衆生をあわれんで、威徳広大である清らかな信心を人々にあたえてくだされる。」 化身土の巻(観経の隠彰)で、「阿弥陀如来の弘願を顕わし、衆生ひとしく往生する他力回向の一心をのべたものである。すなわち提婆や阿闍世の悪逆が縁となって、阿弥陀大悲の本願が開設されるにいたった。〜〜〜〜{本願の救いの対象は愚かな悪人であることをしめして}韋提希夫人が悪人往生の実機であることをしてめされた。」 信の巻(散善義)で、「一には、自分はいま罪ふかい迷いの凡夫であって、久遠のむかしから生死に流転して、迷いをのがれ出る手がかりがないと深く信ずることである。二には、彼の阿弥陀仏の四十八願は、こういう罪ふかい衆生をおさめてとって救ってくださるのであると、疑うことなく、ためらうことなく、その願力に乗託して、まちがいなく往生することができると深く信ずることである。」 信の巻で、「必ず報土の正定の因となる」「必ず佛になるべき身に定められた機」 信の巻(至心)で、「如来はこの至心をもって、一切の悪業煩悩にけがれ、よこしまな心にみちた衆生にほどこしをあたえてくださったのである。」  教行信証によれば往生には三機、三願、三種があります。 第十八願  他力の機  難思議往生      報土往生 第十九願  自力の機  双樹林下往生     化土往生 第二十願  半自力半他力の樹 難思往生    化土往生 この内第十九願、第二十願の人は自力作善の人でありますが化土往生することができます。彼らも自力の心をひるがえして、第十八願の他力をたのむものは、すなわち自己の愚悪を自覚するが故に第十八願本願の正機を得て報土往生をとげることができます。 自力作善の人は化土往生をすることができますが、それは報土往生ではありません  自力をひるがえした悪人こそが本願の正機であります。「善人なおもて往生する、いわんや悪人をや」 ということになります。 人間そのものの悪性の自覚、自力をひるがえして、本願他力をたのむとするものは、本願の正機となることを明らかにしています。 二種の深信  親鸞は信の巻で自己省察による悲嘆の表白をして、「まことに知られる。悲しいことに、この愚禿親鸞は、あさましい愛欲の広海に沈み、名聞利養の太山に迷っている。そして信心を得たものはこの世において、浄土に往生することが定まった仲間になっていることもいっこうに喜ばず、浄土のさとりに近づいたこともうれしいと思わない。まことに恥ずべきことであり、傷ましいきはみである。」と宗教的懺悔による自己批判をしています。極悪劣機、罪悪深重の凡夫は、ただただ如来の本願に救われるよりほかにみちのないことを顕しております。  信の巻(散善義)で、「一には、自分はいま罪ふかい迷いの凡夫であって、久遠のむかしから生死に流転して、迷いをのがれ出る手がかりがないと深く信ずることである。二には、彼の阿弥陀仏の四十八願は、こういう罪ふかい衆生をおさめてとって救ってくださるのであると、疑うことなく、ためらうことなく、その願力に乗託して、まちがいなく往生することができると深く信ずることである。」 一に機の深信、二に法の深信、他力救済論の根底を成すもので、極悪劣機の凡夫、罪悪深重の衆生の救われるみちは阿弥陀仏によるしかほかはないという他力救済の原理が明らかにされています。 深心というのは自己の心を深める自力の信をいうのでなく、他力の真実心を深く信ずるという信心であることを明らかにしています。 機の深信は自身は三世を通じて、生死を出離する縁のない地獄必定の機であることを信ずることいい、その法の深信とは阿弥陀仏の四十八願はこの地獄必定の衆生をまちがいなく摂取して、往生させてくださるということを信ずることをいいます。 第6章    宗教倫理  この章で述べる内容は第一章から第五章までで明らかにした本願他力を基にした宗教倫理であります。 人間社会問題や国家問題等はこの現世社会では重要な問題であります。その分野の学問には社会科学が在ります。 その中には世俗的普通の倫理とか徳目的道徳が研究課題となっており、それらは世俗社会の中の事であり相互に依存し、又相反して矛盾することが度々あります。  宗教倫理と社会科学の学問である徳目倫理:道徳規範とは、二つの違った別個の領域であります。  宗教倫理は目覚めの倫理であり、そこから現世社会を眺めれば、もっと高度の地点にたった社会問題の解決の可能性があります。  明治の初め清沢満之は精神主義の中の「全責任主義」で「現世俗的存在は、相互依存の関係であり、万有は全て倫理的に言えば我自身であり、自分が全てに責任を持つことが万有に責任を持って生きることであり、そのような倫理的理想主義を掲げて、全責任主義をもって生きていく、しかし、我は有限である故にこの全責任を完全に全うすることが出来ない、責任を果たすことは不可能である。」この清沢満之の苦しみを経て出てくる彼の宗教的内観内省は親鸞の言っている二種の深信を深く知らしめ、新しい相互依存関係を見出そうといたしました。  これを発展させて、今村仁司が贈与互酬の論理に全責任主義を乗せて説明いたしております。「無限による包摂、摂取不捨の迎え入れを感じた時、人間は贈与:互酬の論理に厳密に従って無限からの贈与に対して自分の存在を自分自身の返礼として無限の世界を訪問する礼儀として贈与する。それは即ち現世内自我の無限内自己(無我)への一つの移行であり目覚めの正覚といわれるものである。」「有限より無限に接触することは有限の円より無限の円の中に入り込む、有限と無限が絶対同一になることであります。有限として無限の関門を通り過ぎるときは、有限である人間は自力で通過できません。そこが人間の有限である事実であります。この関門がどうしても通過不可能であり、通過できないことがパラドックスであり、アポリアであります。このアポリアを解消することが求められます。絶対的不可能性の可能性への転化が絶対に要求されます。宗教的目覚めであります。それは宗教の領域であります。」と解説いたしております。  アポリアの解消は宗教的目覚めの道であり、宗教への淵を横に飛び超える道であり、浄土門の大経の世界であり、本願他力の世界であります。 人間の働きかけとはまったく関係なく、久しく前から無限からの一方的贈与であります。本願他力の包摂:拙取不捨の状態が既に成就されている事、このことは阿弥陀佛より贈与された回向であり、第十八願の願力であり、ただただ念仏して往生させて頂ける、往生を得れば三界に流転することなく、速やかに佛のさとりを得ることができるのです。この回向が往相の回向であります。摂取不捨として迎え入れられた後に、無限より衆生を救うためにこの世に還ってきて利他教化をするのが還相回向、これ等二つの往相還相が裏表一体となって統一されているのが本願他力の二種の回向であります。  往相回向することで自利の行を成就し、それによって還相回向によって衆生に功徳を施させる利他の行を成就させることができるのであります。還相の回向は阿弥陀如来の衆生摂化の本意であります。 還相回向で衆生を教化するために還ってきたこの現世で、阿弥陀佛の信、本願の信は有限の人間のまま無明の衆生に対して阿弥陀仏の側から回向して呼びかけることができます。智慧、慈悲をあたえる事を衆生に繰り返すことであります。 自利の成就は、自我:我執の絶対的否定であり、無我を知ることであります。自己の生存の事実、自己と自然宇宙世界との関係、自然の法則性、この世界の中で特殊な動物である人間は有機生命体の中でも、無機的自然界にも自然の法則にも従って生きていないという事実、人間そのものの悪性を自覚することであります。 自利の成就は利他の成就を絶対条件とします。 他者を迎え入れることは対他関係を配慮する事であり、他者配慮は自己配慮を基礎にした他者への配慮となります。 対他関係を改善することは現世の人間関係のみを改善することを言うのでなく、人間関係、有機生命体、自然宇宙世界、との関係を人間生存の歴史的社会的に限定された枠内、世俗の道徳的;一般倫理的な学問的な領域内で問題とするのでなく、 自然宇宙世界の存在そのものを考え、自然宇宙世界を貫いている法則、自然の法則、自然の弁証法まで他者配慮を拡げると、現世の道徳とか一般倫理規定では判断成し得ない問題の回答が出せることになります。 特殊な動物である人間は佛性を持ち合わせおりません、人間のみが自然の法則から外れた生き方をしています。大信を得て初めて「悉有佛性」すべての万有には佛性があります。 対他関係を自然の法則に従わせ、本願他力の自利利他を成就することであります。しかしながら、人間は常に欲望:欲求が襲ってきます。 本願他力を与えられているといえども、己を謙虚に内観内省し、二種の深信をかみしめることになります。  これが本願他力の宗教倫理であります。  仏教自力門は自己への配慮のみであり、自己自身の自力の修行で有限の中の絶対無限を悟ろうとすることは無理なことで、いまだ第十九願二十願の世界であります。そこには還相回向はありません。他者配慮がなくて自己配慮はのみであります。自己配慮は個人の徳目的倫理道徳、世俗的普通の倫理観であります。 また、ユダヤ教、キリスト教では人間はそもそも神に作られた者であり、啓示宗教であります。その倫理観は禁欲的であり、徳目的道徳的なものになってしまいます。  仏教自力門、ユダヤ:キリスト教の宗教倫理は結局学問としての社会科学が領域としている倫理学に吸収されてしまいます。 宗教倫理として存在するのは本願他力の宗教倫理のみということになります。  第二編で「本願他力の宗教倫理」の倫理観を通して現在の経済倫理を解明いたしたく思っています。 第2編     経済倫理            第1章     経済倫理の視座  第1篇を通して本願他力の宗教倫理とは何かを明らかにしてきました。 親鸞は三国七祖の論:釈を中心に遠くは釈尊から下って法然までの経典、新訳本、旧訳本、異訳本、論、注釈書、を歴史的に調べ上げ、比較研究し、今までの考えから転回して親鸞独特の方法をもって、多くの経典から文書を選択して、その中から引き出された理論を体系化して、「教行信証」を著して本願他力の本意を開顕いたしました。 第1章から第5章までは「教行信証」の内容に沿って本願他力を、その教義を基にして宗教哲学的発展を試み、第6章でその宗教倫理を明らかにいたしました。 親鸞は「教行信証」で二つの回向があり、衆生が浄土に回向する往相回向と往生して佛になり、衆生を救うためにこの世に還ってきて利他教化する還相回向があることを明らかにいたしました。 往相回向で自利を成就し、還相回向で利他を成就すること、自利の成就は利他の絶対必要条件であります。 自利の成就は他者を配慮せねばなりません。 他者を配慮することは対他関係を改善することになります。 現世の人間社会の他者配慮、対他関係のみならず、他者配慮を自然宇宙世界の全ての存在に対して拡げていくことであります。この他者配慮は往相から還相へ有限より無限に接触して、そこから再び有限の世界に還ってきて抽出された宗教倫理のエートスであります。   他者配慮を現世の人間関係だけでなく、現在未来の自然宇宙世界の全ての存在に真理として拡げていくことは、我々がこの自然宇宙世界に現実に存在していくことを自ら再確認して、その自然宇宙世界に身を任せ、自然宇宙を貫いている法則、自然の法則、自然の弁証法に従って生きていくことであります。  自然宇宙世界には無機質自然界と有機質自然界が有ります。有機質自然界の中に人間を除く生命体と人間というこの特殊な動物が存在しているのです。 人間以外の生命体は自然の法則に従って生きているのですが、人間のみが自由な行動を起こし、目的意識的に働き独自な結果を得ようと致します。 自然の絶対的な法則から外れた行為をとるものです。 自然宇宙に挑戦しているのが人間であります。人間存在そのものの悪、人間各人の心の内から出る悪、人間社会の歴史的制約から発生する悪、 本質的には全ての人間はこれらの悪性を持っている悪人であります。その悪人である認識、悪性の自己の内省と自己批判が必要となってきます。  本願他力の宗教倫理のエートスとして抽出された「他者配慮」は自然の法則、自然の弁証法によって常に自己批判の下で検証されることが絶対必要条件であります。  宗教倫理としての「他者配慮」でありますが、 このエートスが上記二つの条件を満たしていくならば、自然宇宙世界における普遍的倫理になります。宗教倫理が普遍的であるということはその宗教倫理はドグマであり、独善であると言う説もありますが、 私たちは倫理という範疇には二つの領域があり、その分野に混乱が有ることを知らねばなりません。 その一つが宗教倫理であり普遍性をもち超歴史的なものであります。 二つ目は学問としての社会科学の分野に属している現世の倫理規範であり、徳目的道徳であります。 この社会科学の分野の中にも倫理と道徳の言葉の混乱が見られます。 社会科学の倫理:道徳は世俗的であり、つねにその時代の歴史的制約を持っているものです。従って、ある歴史的限られた期限に於いてその倫理:道徳が正義であり真実であるといわれても歴史の発展と共にそれが正義であり真実で有り得ない訳です。  また、仏教の自力門、ユダヤ、キリスト教も歴史を超えた普遍性を持った宗教倫理ではありません。 それらの倫理観は歴史的制約を受けたその限られた時代の倫理:道徳であって、結局は社会科学の分野における現世の倫理規範、徳目的道徳範疇に収斂していきます。 仏教自力門には往相回向のみであり還相回向はありません。従って自己配慮のみであり他者配慮はありません。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、人間は神に作られた者であり、神の啓示を受ける者と決められております。 自然を無視して人間を通じて自然を征服する、人間関係を支配する、神の意志の下で自己意識のみ強調され、自己配慮のみであり他者配慮はありません。  本願他力の宗教倫理は一宗教、一宗派のみのものではありません。 その教義から出てきたものですが、普遍的超歴史的な自然の弁証法、自然の法則に従った科学性を持っています。 そこから現世の社会科学をもっと高度の地点から研究方法を検証するならば社会科学の一層の解明と進歩を促進することができます。  現在の社会科学の倫理規範:徳目的道徳の研究成果を取り入れ、社会科学の進歩促進のために多いに協力関係を作っていかねばなりません。 これは自然科学の研究にも同時に同じことが言えるわけです。 ただし、現世の社会科学、自然科学の学問研究が自然の法則に合致しているかどうか、その時代の歴史的制約を恒に受けていることを、人間そのものが恒に悪に晒されていることを自己批判しているかを確認することが必要であります。  本願他力の宗教倫理は、この第2編で取り上げる経済倫理を勉強するにあたって、第2編第1章の経済倫理の視座の勉強の視点を明らかにするためでしたが、 その他の分野、地球環境倫理、生命倫理、その他あらゆる分野で厳しくその倫理が求められている時代です。この宗教倫理はその他あらゆる分野に適応されます。  現代のヨーロッパ哲学の最高の到達点にいると言われているエマニエル:レヴィナスの倫理学は「現世的自我の放棄は自我以前の自己の目覚め、自己配慮は他者配慮の決定的条件である。他者配慮なくして自己の確立はない」 ヨーロッパの現代の社会科学:倫理学が親鸞から数えて約700年遅れて他者配慮にたどり着いたことになります。 これが超歴史的普遍性をもっているかは自然の法則、自然の弁証法に自己批判的に恒に検証されているかどうかが今後の問題となってきます。 第2章   マックスヴエーバーのプロテスタンテイズムの倫理と             資本主義の精神     マックスヴエーバー著の「プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神」は近世初期の西ヨーロッパにおいて資本主義経済が勃興してくる過程で、プロテスタンテイズムの禁欲が心理的起動力となり、「資本主義の精神」と呼ばれる資本主義を推進する重大な役割を果たしたことを、ある一つの限られた期間の歴史上の諸関係を宗教社会科学的に研究したものです。  古代イスラエル(旧ユダヤ教)の宗教意識の中から生まれた宗教的規範道徳がキリスト教の中に流れ込みキリスト教的禁欲を生み出しました。 まずカトリックの中世修道院の世俗外的禁欲を生み出し宗教改革後はそれを越えて、プロテスタンテイズム=ピューリタニズムの世俗内的禁欲の姿にまで拡がり、一般信徒の間にまでに禁欲的規制が強制されました。 中世のカトリック教会は暴利の取り締まりとか利子の禁止とか、そうした商業上の道徳的規範規制をいたしました。また、プロテスタンテイズムたちも暴利を貪る商業やその担い手を敵視しました。  宗教改革のマルテインルターの聖書の翻訳をきっかけとして生まれた天職という思想は世俗の職業そのものが神の召命であり、神から与えられた尊い使命と捉えました。 マルテインルター派は教義的限界のためキリスト教的禁欲と結びついて世俗内禁欲を生み出すことができませんでしたが、カルヴィニズムに於いて世俗内的禁欲が生まれました。 それが禁欲的プロテスタンテイズムといわれるものです。ここで言う禁欲は自己の欲望の全てを抑えて積極的に何もしない非行動的態度を言うのでなく、大変な行動力を伴った生活態度あるいは行動様式であります。 世俗内での聖潔な職業生活は神から各人に使命として与えられた聖意に適う大切な営みであるという考え方であります。  世俗内禁欲はあるいは天職義務という行動様式は宗教教育の中ではぐくまれ、しだいにひろく民衆のものになりました。 そもそも禁欲的プロテスタンテイズムが本来もっている反営利的なる性格がどうして、逆に営利と結びついて資本主義の精神に変わっていったのか。  プロテスタンテイズム、ピューリタンの中に多くの世俗内的禁欲の持ち主である小商品生産者が居たと言うことです。彼らは金儲けのためにしようと思ったのではなく神の栄光と隣人の愛のために、つまり、神から与えられた天職として自分の世俗的な職業活動に専念いたしました。しかも富の獲得が目的でないので無駄な消費はしない、それで結局は金が残り又残らざるを得なかったわけです。 彼らのそうした行動の結果が意図しなくても資本主義発展の再生産資金を積み立て、合理的経営を促進する土台を作り上げる準備をし、歴史的に全く新しい資本主義機構をだんだんと作り上げていきました。 それがスッキリ出来上がると今度は儲けなければならない資本主義の機構が逆に彼らに世俗的禁欲を資本の側から強制するようになり、信仰は薄れ宗教的核心はしだいに失われ、金儲けすることが道徳的義務になりこれを是認するようになりました。次に金儲けを一生懸命することが今度は資本主義の最大の目的になったわけです。  通常一般は近代に入って商業が発達しその担い手である商人たちがその営業上の利害から内面から出てくる営利原理、営利精神を発揚して社会のあらゆるところにその勢力を拡大した結果近代の資本主義が生まれたと思われていますが、マックスヴエーバーは歴史上の事実はそうではない、近代資本主義の発展はその資本主義に道徳的に徹底的に反対する経済思想が公然と支配しているところに勃興していると言っているわけです。 古典古代、近世オリエント、中国、インドでも本質的に商業に対する道徳的規制をしていない自由なところには近代資本主義の勃興を見ることができません。 その歴史上例外となっているのが中世カトリックから引き継がれた禁欲的プロテスタンテイズムの暴利を貪る商業やその担い手、営利を敵視するピューリタンの反営利的な倫理的信念の中から近代資本主義の成長を内面から力強く押し進める経済的エートス、資本主義の精神があることを見出しました。  マックスヴエーバーは「プロテスタンテイズムの倫理と資本主義の精神」の論文作成の最大の動機は、第一は、数ある宗教:宗派のその宗教的禁欲的主義を取り上げて、経済の合理主義との内在的連関を調べて、彼の比較宗教社会学の研究の発展を図ろうとしました。第二は、マルクシズムつまり唯物史観、史的弁証法、歴史的一元論の徹底的批判にありました。 マックスヴエーバーは古代ユダヤからの各時代の歴史の中での倫理観が変遷を遂げてその時代に応じた倫理が作り上げられたことを見ました。彼は徹底した史的多元論に立ってその理論を作り上げようとしました。 市民的な経済的に合理的な生活様式の傾向を促進させるような宗教倫理を無数の歴史的要因の錯綜する中で捜し求めその因果関係を研究しようとしました。 その中にプロテスタンテイズムの世俗内禁欲生活の中における天職という職業観念を基底にその当時の歴史上勃興しつつある経済諸関係の適合的連関を見つけその結果として経済や歴史に与えた宗教の機能を基本的な枠組みとして、それを理念型の枠にはめ込み、東西の文化、宗教社会の比較の方法として、彼の宗教社会学の研究の中心としました。 歴史のなかの社会的行為を多元論的に解明しつつ理解してこれによって経過とその結果を因果的に解釈したにすぎません。 マックスヴェーバーの宗教社会学は歴史の中に見られる諸宗教とその社会の内的外的諸利害関係を多面的に多元的に捉えて、歴史の中の一つの限られた期限の事実を研究しているもので、その中のある一つ事柄の規則性は認めても歴史の中に流れる基本的法則というものを絶対に認めませんでした。  資本主義の機構が発達して禁欲的プロテスタンテイズムの役目も必要もなくなり、歴史と共に後退していかざるを得なくなった歴史の皮肉をここに見るのであります。 マックスヴエーバーはマルクスの史的一元論、史的弁証法を厳しく批判いたしたのでありますが、現在、二十一世紀の初頭に入って益々資本主義が発達して、グローバル資本主義:カジノ資本主義といわれてその弊害も大きく人類に影響を与えております。 新しい経済倫理が要請されております。 しかしながら、マックスヴエーバーの宗教社会学は方法論としては注目され、社会学に何か新鮮味をもたらしましたが、キリスト教における禁欲の思想、禁欲のエートスは、結果的には人間の欲望をある一点に集中させ、かえって競争を煽ることになり過大投資、過剰生産をきたし、好況不況の経済活動の波動を大きくしました。 アクテイヴィズム=業績主義を生み出し、広く世俗大衆にまで及ぼしました。 その結果、彼らの善意がどうであれ、アクテイヴィズム、フロンテイアスピッリト、もっと正しくは拡大膨張主義を世界中に撒き散らしました。 もはや現在の禁欲のエートスは何の正当性をもてないわけです。 既にその歴史的使命を終わっているのです。 むしろ、その禁欲的思想が宗教的原理主義を生み、国際的混乱をもたらしています。 現在のグローバリズム、一国覇権主義をもたらしているのであります。 歴史の一時期に役目を果たした倫理規範も時代と共に歴史的使命を終わり、その倫理規範がむしろ新しい社会の発展の阻害要因になっているわけです。            第3章    日本仏教の経済倫理  仏教はBC500年頃インド古代思想家の覚者(ブッダ)真理体得者(如来)の集まりが実在の釈迦の思想:説法に収斂してきたものです。インド仏教の上座部がパーリ語:パーリ聖典を使って厳しい寺院生活、瞑想禅定、黄衣を着て南伝仏教としてスリランカ、ヤンマー、タイ、カンボデイア、ラオスに伝わっております。北伝仏教として中国、朝鮮、を経由して日本の仏教として現在も日本のあらゆる部門に大きな影響力を持っています。それらは大乗仏教といわれ大乗諸経典が出来ており、八万四千の法門が有るといわれております。教条的ドグマは少なく異説排除も少ないが仏教論争は多いにありますが、暴力行為で自説を通す様なこと全くありません。 釈尊と大乗諸仏とに対する敬慕や崇拝:帰依は全て心情的には共通したものを持っています。  日本仏教(=大乗仏教)は南都六宗(三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、律宗、華厳宗)北嶺二宗(天台宗、真言宗)そして初伝以来600年を経て、鎌倉仏教として、浄土宗(法然、親鸞)、禅宗、日蓮宗が生まれました。 これらの仏教の僧侶は出家して修行を積み自ら厳しい戒律を課しました。その戒律は各宗派に現在も受け継がれております。 善というのは仏教の六波羅密の徳、すなわち布施:持戒:忍辱:精進:禅定:智慧の徳を指し、悪というのは十善戒によって戒められる殺生:兪盗:邪淫:妄語:綺語:悪口:両舌:慳貪:瞋恚:邪見の悪を指します。 悪をするな善をせよという単純な言葉でありますが仏教の規範的道徳が一般在家の信徒にも広く説かれております。      親鸞は教行信証の中で、八万四千の法門がありますが、それらは全て自力の行であり、衆生が自ら菩提心を起こして優れた修行を行えども修し難い事を、善導の「玄義分」より引用して 「生死の海に迷っている凡夫は定善の行(心を統一して真理を観ずること)も散善の行(日常の悪を止めて善を修めること)も修し難い。たとい1千年の寿命をもってしても智慧の眼はなかなか開かない、ましてや無想離念の智慧などどうして得る事ができようか。門余という言葉があるが、八万四千門は方便仮門であり、余というのがそれ以外の、即ち本願他力の一乗法というのである。」。 親鸞は次に聖道門と浄土門を対比し、聖道門を浄土の真実の教えに入らせる為の方便の教えに他ならないとし、浄土門の中に真実の教えと方便の教えを解明し、本来浄土往生の教えでない聖道門の諸行を浄土に回向して往生を求めてもそれは出来ない。それは自力の行としては廃すべきとしました。大経」第19願、至心発願の願、「十方の衆生で諸諸の善根を修し、まごころを込めて浄土に往生したいと願うものは、臨終に来迎して浄土に往生させるという願であります。これは対象となる機類は自分の力をたのんで諸諸の徳や善を修め浄土に生まれようとするもので、第19願の行者が方便化身土に往生することに名づけたものです。」。大経」第20願、至心回向の願、「十方の衆生で自力念仏の名号を称えて、それを因として浄土に生まれたいと願うもので、それを必ず果たしてやりたいという願であります。方便化土に往生するのに名づけたものです。」  聖道門の諸教は釈尊の在世のときの正法でありましたが、すでに時代遅れになっており浄土真宗が時期に適っている事を示しました。 道綽の「安楽集」を引用して「正法、像法、末法の三時代を明らかにして、正法500年、像法1000年、末法10000年、聖道の教えは末法の時代には適さない。末法の時代には修行する衆生も少なくなり、如何に修行に励んでも道を修めても、おそらく一人として悟りを開くことが出来ない。」 第十九願も第二十願も両方ともに往生できますが方便化身土であり、真佛土には往生できるのは浄土の他力門のみであることを明らかにしました。 自力門は信念の確保と有限無限の認識に他力門とは大きく違い、自力門は我と無限の関係を潜在的無限であると考えます。つまり、我の奥底に無限が潜在しておりそれを際限なき修行と訓練によって顕在化させ、自分の中にある内在する無限を修行して開発し、不断にそこへ到達すべく努力いたします。 それには良い観想をもって祈ってみたり、特定の理想を掲げそれを実行したり、呪いや呪文を唱えてみたりして、無限を引き寄せんと功徳を重ね、それに応じた救いを得ようとします。  すなわち、有限世界の中で有限な手段をもって救済という本来的には無限に属することを際限ない修行:苦行を続けても、時間空間に存在する有限者にとっては不可能なことであります。自力門の人々は六波羅密の徳、十善戒という仏教的規範的道徳を追求し修行を積み功徳を重ねて、それに応じた救済を求めます。  自力門は往相回向のみであり、他力門のように往相:還相の二つの回向はありません。 自己修行が中心であり、自利:利他といっても実際は自利が中心で自己配慮が主たるものになります。 親鸞は特に還相回向を取り上げ、二種の往相:還相回向を成就するには自利の成就は利他の成就を絶対条件とすること、自利:利他、自己配慮:他者配慮、対他関係を明らかにし、二種の回向を成就するには他力門の宗教倫理が絶対に必要不可欠であることを知ります。 二種の回向が他力門の宗教倫理を生み出す源となります。 仏教自力門には還相回向というものがない故に宗教的倫理というものはなくて、それは従来から言われている仏教的規範的道徳と言われているものです。  本願他力の普遍的宗教倫理を経済活動に適用することを厳しく求められています。 社会科学の倫理学の学問的研究発展の成果を取り入れ、経済倫理の確立が今ほど求められている時代はありません。  日本仏教の経済倫理の研究は日本におけるマックスヴエーバー研究と共に進展いたしました。 マックスヴエーバー生誕百年に当り発刊された「宗教社会学論文集」第1巻の『序言』の冒頭で「いったい、どのような諸事情の連鎖が存在していたために、他ならぬ西洋という地盤において、又そこにおいてのみ、普遍的意義と妥当性を持つような発展傾向を取る文化的諸現象が姿を表すことになったのか」と述べていますが、 ここで普遍性を理念化し、普遍的倫理として捉える事にはいささか問題があります。 マックスヴエーバー は史的多元論にたっており、歴史の中の社会的行為を多元論的に解明しつつ理解して、これによってその結果を因果的に解釈したにすぎません。 歴史の中の一つの限られた期間の事実を研究したのであって、マルクスの史的一元論、史的弁証法を厳しく批判したのであります。 マックスヴエーバーはプロテスタンテイズムの世俗内禁欲生活の中における天職と言う職業観念を基底にその当時歴史上勃興しつつある資本主義の適合的連関を見出し宗教社会学の方法論として枠組みを作るモデルを完成させようとしたのであります。従って、そこには歴史を超えた普遍性も、又普遍的倫理のモデルなどは考えておりませんでした。  マックスヴエーバーは日本仏教を氏族国家から中世日本の武士秩序社会、封建制武士層社会がその時代の重要な勢力を占め、日本には合理的な経済倫理は生まれなかったと考えました。 マックスヴエーバーは日本の禅宗と浄土真宗を特に材料として論評しましたが、資料の問題、言語理解の問題、インド学ないし仏教学の初歩的理解の不足に起因する日本仏教理解に問題があり、見るべきものは何もありませんでした。  しかしながら、マックスヴエーバーの宗教研究の方法論には多くの日本の社会学者は注目し高く評価いたしました。  このマックスヴエーバーの宗教社会学の方法論を「プロテタンテイズムの倫理と資本主義の精神」にヒントを得て著した論文に、社会学者の内藤莞爾の「宗教と経済倫理」があります。浄土真宗と近江商人の職業倫理の繋がりを究明したものですが、マックスヴエーバーの方法論に全く頼ったものでした。 資料の扱いの粗雑さもあって、近江商人の出身地が浄土真宗寺院と大まかに一致していると細かい検証をなくして決め付けました、実際はそのような簡単でなく浄土教(浄土宗、浄土真宗)が中心でありますが、禅宗や天台宗諸派も多く混在しており大部分が浄土真宗であるとは決して言うことができませんでしたが、その後、内藤論文が近江商人と浄土真宗との関わりの説が定着することになりました。  その他の社会学者もマックスヴエーバー:モデルを使って、大乗仏教の実践的徳目倫理である六波羅密:十善戒や菩薩が修行の過程で経なければならない52位中の第41位から第50位までに佛性を見、聖者になって佛智を衆生に守り育てるこの地位を、十聖、十地と云い大乗仏教の経済倫理として解釈して展開させると経済精神=資本主義の精神として図式化することが出来ないかというマックスヴエーバーの方法論の間違った適用がなされたこともありました。  また、禅宗における禅堂の生活が修業として作務が義務づけられ、生産労働:消費の倫理が作り出されその結果として、肉体労働の尊重、共同労働、平等作業の倫理や奉仕の精神が養われ、そしてこの倫理や精神が現世内に向けられると、近代的な禅の職業倫理:あの資本主義の精神=経済精神を生み出した禁欲的プロテスタンテイズムに匹敵するものへ発展するのでないかと注目すべきであるという説もありますが、 禅の職業的倫理が衆生の世俗内に向けられても、それらの作務は現世内では生きていくための当然のことであって、奉仕の精神といえども現世以内では当然取引主義の行為にならざるを得ません。世俗外社会においては殆ど肉体労働をしない倫理観が現世内の禁欲的プロテスタンテイズムになるとは全くありえないことです。  次に、内藤論文の「近江商人と浄土真宗の関わり」を批判しながら、近江商人は甲地の産物を乙地へ、乙地の産物を丙地へと、江戸中期以降の日本国中に行商ネットワークを広めていった。その近江商人の経済精神に注目して、近世近江商人の家訓:店則の事例を研究して、それらが日本資本主義の精神にふさわしいものであると提言したいという芹川博通の研究があります。 近江商人の経済精神  (1) 商人の心得     禁欲、勤勉、社会奉仕の精神、                          正直、堪忍、和合の精神            (2) 経営心得      安定成長、自利利他、堅実経営、                          算用と勘定、商品吟味             ( 3)  経営全般の心得   信心、ご先祖様と世間様、家業第一                             義、利は余沢の経済観、遵法商法、 これら15項目を選び出し、近江商人の経済精神は合理的な性質を持ち、優れて近代的であり、しかも世界的視点からも見て、また創造された過程から見ても東洋的で日本的要素を内包している点からしても、日本資本主義の精神の一源流を成すものであり、優れて倫理的性質を含んでいることに注目して、日本仏教の五つの経済倫理として置き換えることが出来るとしています。 1)   あらゆる職業労働に神聖な意義を認める 2)   禁欲と勤勉の倫理 3)   経済的な不正や詐欺行為に対する厳禁の倫理 4)   社会奉仕の精神 5) 自利利他、共生の経済倫理  近江商人が江戸中期より明治の初めにかけて各地の産物を配給する巧みな流通機構を作り上げ、緻密な合理的な経済原理を江州という土地で各々の商人が互いに影響を与えつつ共に商人の集団を形成してきました。 そこには各商人が営業利益を増大させるため、子々孫々まで家業が続くように家訓を示し従業員の規律を強め厳しくして、長期継続が出来えるように道徳的徳目を彼らの経済原理にしたのであって、そこを日本の仏教的経済倫理に置き換えることはいささか無理があるように思えます。 マックスヴエーバーのモデルを機械的に理念的に枠にはめ込み適用をすることを致しておりませんが、日本仏教が近江商人の発生した江州地方に格別多く集まっているとか、それらの商人に影響を与えたことはありません。日本の各地にはもっと他の地域に日本の仏教が盛んなところがあります。 浄土宗、真宗、真言宗、天台宗の各派でも、各地にその大きな勢力を持った地域は沢山有ります。 むしろ、近江商人は日本仏教、民族宗教、神道、道教、儒教の混在した徳目的道徳規範が帝都にも近く、知識階級の往来する環境に有り、それらを受け入れる土壌があったのではないかと思われます。 また、交通の要所であり、近江の琵琶湖上輸送の経験が他国への陸上輸送、海上輸送の流通経路の構築に役立ったのではないかと思われます。 明治の後半になって、近江商人は特に大阪へ進出していきます。  それは商売の中心が大阪に移って来たことが理由であり、 繊維産業を先頭とする日本の資本主義の発展の中心が大阪に移ったからであります。営利目的のために徳目的道徳規範を家訓にして大阪に進出してきたのであり、第2次世界大戦後は総合商社に脱皮できなかった会社は次々にその勢力を縮めていきました。 戦後の世界の資本主義の発展は古い徳目的道徳規範では対応出来なくなったのであります。 近江商人の徳目的道徳規範はある歴史の限られた一時期の規範であって、歴史的制約を持ったものであり、 歴史を超えた普遍性を持った日本仏教の経済倫理を形成するものではありませんでした。          第4章    アダム:スミスの経済倫理  アダム:スミスは1723年にイギリス北部のスコットランドで生まれました。1740年にはグラスゴウ大学に入学し、1740年にオックスフオード大学に入学し、1751年には母校グラスゴウ大学の教授を勤めております。 その間に人文科学、社会諸科学、とりわけ文学や法学、近代社会の市民相互の道徳観や法感覚についての研究を致しておりました。 アダム:スミスによって「道徳情操論」(1759年)が発刊されました。その人道主義的な社会政策が評価されました。その後1776年には「国富論」が発刊され、 経済的社会科学の立場から歴史分析、経済的機構の分析、政治経済の相対的な解明がなされました。両著によって19世紀の後半、ドイツでは倫理学者スミスと経済学者スミスとは矛盾するという「倫理と経済が矛盾するアダム:スミス問題」が盛んに論議されました。 その両著の中間に位置し、その問題を解決する記録が、アダム:スミスのグラスゴー大学において講義を受けた学生の講義録「法学講義」に残っておりました。 その「法学講義」が1896年に刊行され、その後半に「国富論」の原型に相当する経済論が述べられており、人道的な倫理学と利己心の自由放任を説く経済学が矛盾するという考え方は間違っていることが立証されました。  アダム:スミス以前、16世紀後半から18世紀にかけてのヨーロッパ諸国の経済政策は 重商主義〜〜それを批判したレッセフエール(自由放任)がアダム:スミスに影響を与え〜〜重農主義、フランスのケネーによって主張された富の源泉は農業であるという立場から、自然秩序および農業生産の重視する理論を、アダム:スミスによってその理論の継承:発展がなされ、自由主義経済の理論的基礎付けが行われました。重商主義が衰退していった時代でした。  「国富論」(1776年)は、富の源泉を生産過程に求め、市場経済を分析するために、1)分業論、2)価値論、3)蓄積論、によって重商主義に代わる古典派経済学の基礎を築くことになりました。 1)分業論は人間がもつ「利己心」や「交換性向」によって、作業の熟練度が増し、無駄な時間を省き、労働を単純化して機械化を進め、労働生産性を向上させ、富を増大させることが可能になる。その富を分配するには市場を拡大させねばならない。 市場経済を拡大させることは職種的分業にとどまらず、社会的分業にまで拡大する。アダム:スミスは市場と分業を結びつけることで、市場経済における富裕が増大することを説明しました。 2)価値論は市場で交換される商品の価値は何によって決まるかについて、交換価値の普遍的価値尺度となる商品は労働であること、「支配労働価値論」と「投下労働価値論」の2つの労働価値論であることを示して、市場での商品と貨幣との交換比率である価格については、市場の需給関係で決まる「市場価格」が自由競争における「見えざる手」によって分業を維持する「自然価格」に引き寄せられると説きました。 3)蓄積論は市場経済の下では生産期間と販売期間が分離しており、分業が継続的に行われるには生産:労働を維持するストックが蓄積されていなければならない。収入をもたらす実物的な「資本」の蓄積が必要である。 「国富論」は富の源泉を流通過程に求めて介入主義的な政策を採った重商主義体制を否定して、富の源泉を生産過程に求めて経済的自由主義を示した重農主義の理論を継承発展させ資本主義経済の分析における古典的経済学を確立しました。 ここに「国富論」第4編第2の有名なテーゼを紹介致します。 「いっさいの国家干渉がなければ、一国の資本は農業、工業、国内商業、直接貿易、迂回貿易、中継貿易の順で投下され、自然的分業構造が形成され、一国の生産的労働雇用力は最大になるはずでした。その際に各個人は、自分の資本を、最大の価値と利潤をもたらすように、運用するはずである。それによって、各人はおのずと、社会がもっとも必要とする生産部門に資本を投ずることになるでしょう。なるほど各人は自分の利害だけを考えるのですが、結果的には、社会の一般的利益の最大限の増進という、各人が全然意図しなかった目的を実現させます。」 アダム:スミスはこの関係を「見えざる手に導かれて」と表現しました。 個人と共同体の自然的調和を示している思想であります。  現在の私たちはアダム:スミスといえば「国富論」を思い出し、その「見えざる手に導かれて」というあの有名なテーゼで古典派経済学を確立した人物、そして現在も新古典派経済学の「自由主義経済学」に大きな影響力を与えている祖父と考えられていますが、アダム:スミスを単に「国富論」の経済学者とだけ考えるのは「アダム:スミスの問題」に陥るのみか、アダム:スミスの思想哲学を無視することになります。 「国富論」の上には「道徳情操論」の人道的倫理学がアダム:スミスの経済学を支えているのです。  この時代に哲学者ヒュームがいました。ヒュームは人間の道徳的判断は理性からではなく感情から生まれる。社会生活に必要な正義などの徳も、理性の法としての自然法によってではなく、「共感」という人々の共通の利害感情に基づいてつくられる。 社会生活における人為と自然は、人間感情というレヴェルで統合されている、社会秩序の成立も契約によってではなく、人々の「黙約」(人々の共通の利害感情に根ざした承諾)があって社会秩序ははじめて安定する。しかし、どこまでも道徳的哲学的な基礎に支えられていることを見逃してならないと説いていました。 アダム:スミスはこのヒュームの人間観、倫理観、道徳哲学に少なからず影響を受けました。 「道徳情操論」がグラスゴー大学で講義され、思想、哲学、倫理的基礎を明らかにした後に、 経済学の「国富論」が出版されました。 「道徳情操論」において、人間は何であるのか、倫理的価値判断の成立する根本的意義は何であるのか、その分析の方法として、道徳的判断の是認:否認について、「共感」と「公平な観察者」という概念で論述しています。 「共感」 人間というものは、どんなに利己的であっても、他人の運命に気を配って、それらの人達の幸福が自分自身にとってなくてはならないもののように感じさせる何らかの原理が存在する。自分の利己のために他人の存在、幸福が必要である。 人間は利己的であるが孤立的でない、人間は他人の運命に関心を持ち、同情し、共感する。  それらが社会の道徳として通用するには、一定の人間的条件と一定の社会的条件が必要である。 勤勉で、質素で、注意深く、自分は他人がどのように感じているかを知ることが出来ないので、自分がその人間と同じ立場にいるときに、どのように感じるかを想像して立場を置き換え、その人間の感じる経験、知識を得て、ある種の感覚を感ずるようになる。 他人の置かれた立場に対して同類の感情を覚える。 他人の情操と行為をわれわれ自身が下す道徳的判断を見てきました。  「公平な観察者」  次にわれわれ自身の情操や行為に対してわれわれ自身が下す道徳的判断はどうであるかを見てみます。 われわれ自分の立場を他人の立場に置き換えて、他人の眼を持ってまた他人の立場から自分の行為を眺めるとき、自分自身の自然の立場からはなれて、相当の距離をへだてて眺めようと努力するのでなければ、いかなる判断も下しえない。 われわれこの想像上の公平なる観察者の是認に共感することによって、自分自身を是認するか、自己否定するかの道徳的判断を下す原理にするとアダム:スミスは説いています。  道徳的判断において最も難しい問題は、利害や言動が対立した場合です。 晩年のヒュームは徳の判断を社会全体にとって有用か否かという個人の主観的経験的判断にゆだねたことをアダム:スミスは批判し、 また、ヒュームの功利主義的傾向が共感原理においても、他人の立場に置き換わってもしっかりと観察しなければ公平でない、同調ばかりしていては公平のバランスが崩れてしまう、共感の原理でお互いの利己心が共感しあうという一面化に陥りかねないことを「公平な観察者」でなければならないことを強調し、アダム:スミスは初期にはヒュームの影響を受けましたが、ヒュームの功利主義的傾向をも批判致しました。  アダム:スミスは道徳的判断において、ヒュームの個人の主観的経験的判断を個人の限界を乗り越えた歴史的:社会的客観性にもとめました。それは「共感」の原理から生まれた感覚的機能を通じて、「自然」に人間行為を判断しうる能力があると考えました。 アダム:スミスの意識の底には、当時17-18世紀の固有の近代自然法という考えがありました。その代表的人物にグロチウス、ホップス、ロック、ルソーがおり、彼等の共通する見方は、個々の道徳、法律、政治形態などのあり方を貫く普遍的な原理:原則があるに違いないという主張でありました。 市民革命の時代を迎えていた当時の西ヨーロッパ北部において、何者にも侵されない人間の生命活動の維持する権利:自然権があるという思想、この権利を保障するために法(自然法)がり、個人の独立を侵すことの出来ない基本原理がある事が主張されていました。  アダム:スミスはこのような自然法を実現すべき人間の行動を二つの正義に分けて、ヨコ糸に交換的正義、タテ糸に分配的正義と名づけました。ヨコ糸は対等な人間関係や交換関係の正義のことであり、タテ糸は政治家と人民、裁判官と被告、というようにある一定の権限を有するものと有しないものとの関係における正義のことで、近代自然法はヨコ糸を基本原理にしながらタテ糸の解明を主題としました。 アダム:スミスの自然法の思想もヨコ糸の対等:平等の人間関係を力強く表明しつつ、タテ糸の関係を探求致しました。 重商主義批判をすることにともなって、政治権力や富裕に伴いがちな傲慢と腐敗を批判することによって、公正な権力と公平な分配のあり方を追求しました。  アダム:スミスは当時の他の哲学者が認識していない生産力というものを認識して、1)道徳能力、2)生産力、3)権力、という力の三極構造を認識し、それらの諸力がどのように結合されるのかという複雑な問題に直面しながら、富の有する価値としての購買力=支配力を媒介としてはじめて富が権力を左右しうる構造が解明され、また、富や権力の保持が人間の貪欲と傲慢を助長しがちな心理的要因を分析して、「共感」と「公平な観察者」がアダム:スミスの基礎原理となっています。そこに生産力が拡大するという意味で、1)道徳、2)経済、3)政治(法)という力の三極構造がアダム:スミスの体系になっております。  アダム:スミスの体系は日本では第2次世界大戦以前まで反体制思想の一環とみなされ、日の目を見ることはありませんでした。終戦後はアダム:スミス的な市民社会体系が花を開く条件がありましたが、 その後の高度成長政策はアダム:スミスの国民経済の展望とは違った農業を犠牲にして国際分業体制をとりいれ、工業化を急速に進める政策がとられました。  生産力のみの効率化:効用化が真っ先に進められ、戦前はもとより、戦後もまたアダム;スミスの市民社会体系を活かしきれませんでした。 それは同時に、資本主義を乗り越えて社会主義を目指す側にも生産力を拡大して、市民道徳の向上、政治権力の奪取などに、ブルジュア経済学と一蹴され、参考になるところは取り入れるという研究がなされませんでした。   この20年前頃から新古典派経済学が日本のみならずアメリカを中心にグロバール化して世界を席巻中です。 いまこそ私たちはアダム:スミスの経済倫理を呼び起すべき時期であると思います。     第5章 ケインズの経済倫理       ケインズは1883年、イギリスの大学都市ケンブリッジに生まれました。 ケインズの父はケンブリッジ大学で経済学と倫理学を講じており、19世紀後半を代表する経済学者アルフレッド:マーシャルもまたケンブリッジ大学で教鞭をとっていました。 ケインズは子供の頃からマーシャルに可愛がられ家にもよく遊びに行っていたようです。 ケインズはケンブリッジ大学を卒業後インド省に勤めましたが、マーシャルの力添えでケンブリッジ大学に戻ることになりました。 それにも拘らずケインズのマーシャル批判はかなり厳しいものになっていきました。 マーシャルはケンブリッジの学生に“経済学を学ぼうとしているものは、ロンドンの貧民街のイースト:エンドへ行って来い”、“それは冷静な頭脳を作るだけでなく、温かい心を養う事無くしては経済学の勉強は出来ない。”と説きました。しかし、イギリスが発展したヴィクトリヤ時代においても貧乏人が多くいたし、イースト:エンドへ行っても何もしない、解決策をも見出そうとしない、マーシャルを含めた19世紀のヴイクトリヤ時代の偽善と道徳、鼻持ちならない倫理主義にケインズは反発しました。 ケンブリッジ大学の中にソサエテイーというグループからの誘いで哲学者のムーアと出会い、1903年出版ムーアの「倫理学原理」にケインズは“魂を奪うばかりの書物だ。倫理学に関する最も偉大な書物だ”と激賞しています。 ケインズは哲学面で大きな影響を受けることになりました。 19世紀以来ペンタムの功利主義思想が主流でした。 全ての行動を、快楽と苦痛に分けてそれを加えたり引いたりすることによって、プラスが善でマイナスが悪と決める、このようにして何が善か、何が価値かを決める。このような善の定義にムーアは反対しました。 ムーアは“善とは何であると定義できない。自分自身の直感と知性を研ぎ澄まし、自分の理性だけに従って善悪を判断し、従来の道徳、宗教的な教え、慣習を受け入れない、自分自身で価値判断を下す”ことを求めました。 次にムーアは“全体を部分と部分の算術的合計ではない。全体は有機的統一体である。理性と知性は部分と全体の関係を分析して、全体の価値判断を下す。個々の快楽と苦痛の算術的合計による総体の価値を決める”ペンタム功利主義への批判をさらに進めました。 若いソサエテイーのメンバーは「ムーアは善だけでなく義務についても語っていた。」「ムーアの宗教を受け入れ、彼の道徳を捨てた。」ケインズは完全に功利主義から決別していました。ケインズは道徳の問題ではムーアの見解を受け入れませんでした。しかし、人間の行為に対する善悪を判断する基準の検討については、ムーアは個々の人々は、自分達の行動の善悪を判断できる基準を持ち合わせていない。自分達の行為が遠い未来に至るまでの効果については、確率的にしか判断できない、その確率的には結局は判断できない、従って、これまでのように受け入れられていた慣習や伝統に従うのが良いことであるというムーアの見解に厳しく批判し、ケインズはムーアの見解を彼が批判している功利主義と同じく、帰結主義に陥り、自然主義におちっていることを批判致しました。ムーアの確率論の倫理学への適用の間違いが、さらにケインズの確率論の研究へと繋がっていきました。 18世紀末から19世紀末にかけて、ヨーロッパの伝統的な保守的個人主義者(ロックなど)と民主的平等主義者(ルソーなど)の二つの異質な思想潮流が経済学者の手により、一本の太い流れに合流されました。「私的利益と公共善との間の神の摂理による調和」の科学的論証が与えられました。  1)18世紀の政府の腐敗と無能のために、実業家たちが自由放任を好む偏見を植え付けられたこと。 2)1750-1850年にかけての物質的進歩は、文字通り個人の創意の成果であった。政府による指導の成果はいささかもなかった。 3)ダーウインの「種の起源」にもたらされたダーウイニズム「自由競争が人間を作った」「自由競争がロンドンを作った」 これ等の三つが19世紀半ばすぎには、「国家の活動はごく狭い範囲に限定すべきであり、経済生活はできるだけ規制せず〜〜個々の市民の手椀と良識にゆだねるべきだとする教義にとって、肥沃な土地が用意されていたのである。」「自由放任が当時の実業家の必要と要望に合致していた。」 この100年間自由放任が永続的な支配力を振るうことが出来たのは、自由放任が当時の政治経済に支持を受けていたことといえます。ヴイクトリヤ時代の政治、実業界の支持を得ていたことになります。 ケインズはムーアの影響で19世紀末以来のケンブリッジ合理主義、ケインズの知性主義、叡智主義、人間の知性と直観のある人間を全て平等に扱う姿勢は、マーシャルへの倫理面の批判、ヴイクトリヤ時代の道徳観を批判するとともに、つぎに、その倫理面を支えている経済学に対しても批判することになりました。時代がケインズを要請致しました。 マーシャルの経済学は「レッセ・フエール、自由放任、自由競争これ等によって社会は進歩する。現状を認めることが一番良いことだ。貧困から発して自由放任に終わるもの、貧しい村を見ても自由放任が最上だ。」知性主義者ケインズにとって、問題があるのに何もしないことは耐えられないことでした。  ケインズは「自由放任主義はちょうど木の葉を食べるキリンのように、キリンたちを自由にしておくと、キリンは頚をのばして、自分の好みに応じて一番好きな葉を食べ、頚をのばす努力に応じてより高いところにあるみずみずしい葉が食べられ、頚の長いという意味での優れたキリンが一番多く葉を食べられる。」「自分の好みに応じて消費し、自分の判断で生産し、各人の努力に応じてより安いものを買い、より多くの収入を得、又社会的に優れたものが残ることによって社会が進歩するという考えである。」 ケインズの倫理観は「キリンの幸福を心におくならば、餓死する頸の短いキリンの苦痛を見過ごしてはならないし、競争のさい、地面に落ちて踏みつけられる葉や、頸の長いキリンの食べすぎ、温和な動物たちの顔を曇らせる心配、争いの醜さなどを見落としてはならない。」このような自由放任主義の世界を経済的な悪、不安定、危険、富の不公平、雇用の不安定、失業の常態、 が社会を不安定にする時代に入ってきました。 19世紀後半までは一面的には、一部の人々の財産権と個々の人の自由と平等とを擁護し、近代社会の発展に貢献しましたが、20世紀初頭では時代錯誤となり、古典派経済学派の能力に限界が生じ、その時代に適応できない理論となりました。ケインズは「自由放任主義を無条件に受け入れるのでなくて、政府のなすべき事、してはいけない事を峻別して、政府のなすべき事は、個人が対応できない不確実性のある事柄、社会不安を作っている事柄、危険、不確実、無知である。」と考え、政府の任務遂行の組織、とりわけ中央銀行を初めとする管理機能を持った政府機関の効率的なシステムつくりを提案致しました。ケインズの知性主義、叡智主義は人間を信頼することで思想的又は道徳的な説得を通じて社会システムをコントロールできると考えました。 政府のなすべき事、してはいけないことの峻別はケインズの「確率論」の研究に結びつきました。 それが不確実性の問題、先行投資の問題、などケインズの学問研究の進歩につながりました。  1921年のイギリスの経済不況は深刻であり、生産の拡張は伸びず長い不況が続きました。 世界の金融の中心がロンドンよりニューヨークに移り出しました。 このイギリスの金融の地位の低下は金本位制を離れてしまったからで、金本位制への旧平価での復帰、それは即ち、国内のデフレ政策の断行となります。この政策は利子生活者(ケインズが一番嫌がる非活動階級)以外の殆どの国民を犠牲にして、なお貨幣価値の安定化に繋がらない政策でした。 金本位制への復帰は市場の実勢を反映した新平価でなくてはならぬ、管理通貨制度の導入することでありました。 それには国内物価の安定が必須であり、公共投資の調整、財政の健全か、利子率の操作を中心とする先物為替レートの安定化と共に国際収支の均衡を維持するという、必ずしも一致しないデイレンマ側面を持った政策を遂行する必要がありました。 「貨幣化改革論」「貨幣論」を通じ貨幣論や利子率の研究から、失業の問題、雇用の問題、を切り離しておいて置くわけにはいきませんでした。失業が国民生活の安全を奪い、社会の不安定、国際間の摩擦が戦争への危機を招くという認識の下で、倫理的側面を重要視して、経済学的に、完全雇用の実現が国民、社会、世界の安定を図るために「雇用:利子および貨幣の一般理論」を通じて研究がおこなわれました。 不完全雇用は何故発生するか、伝統的な理論は労働市場が、賃金が需給を一致させない高い水準に留まっているからと結論して、ケインズは失業の問題は生産量に関わっていること、それは金融市場にある、投資家階級の安全性を求める行為「金利生活者の貨幣愛」が原因であることを明らかにしました。 金利生活者=投資家階級の、おのれの利益を求める行為が、労働者には大量失業を引き起こし、企業家には慢性的不況をもたらしているとケインズは現状を認識しました。  雇用量を増すための政策は 1)全体の消費性向を高めるため、租税政策による平等化政策。 富の再分配。 2)利子率を下げて民間投資を増やす。公開市場政策。3)利子率が下がっても民間投資が増えない時は、政府の財政公共投資、財政の人的赤字政策。 これ等の政策は金利生活者=投資家階級への攻撃でありました。 政府が必要であれば市場に自由に資金を投入できる、貨幣を発行することにより有効需要を引き起こし、雇用を増大させる。 管理通貨制度の導入が必然でした。 長い間人々は、倹約は美徳であり、浪費は悪徳であると、マックス:ヴエバーは資本主義の精神であると説きましたが、ケインズはこの資本主義の精神を倒して、ムーアの個々の価値で図るのでなく全体での価値を認識すると言う思想に支えられて、有効需要の不足が雇用の不安定を導き、失業が社会不安をもたらす原因であること明らかにしました。  ケインズは有効需要を増やすためには投資を増加しなければならない、もしも投資が一定で有効需要が増加しなければ、それが資本の増加になって資本量と生産能力に増加に結びつき、物価が下がり利潤率が下がり不況に陥ります。 初め生産は個々の企業に自由に任せていたが、有効需要の不足の時は政府が財政出動するのであったが、各企業の生産が不況で伸びない状況下では、次に生産面においても政府が介入することになり、経済構造の変革まで政府が介入を認めるようになりました。 公共的必要性という名目で、政府の景気政策の遂行のために、国家の資金がある特定の産業に流れ込むことまでになりました。 ケインズ主義は不況と失業を克服しようとしていましたが、それには「無駄な投資」「無駄な生産」「無駄な制度化」を呼び、「不生産的な消費もまた雇用を増大させる」まで到達することになりました。それの最大の無駄が「軍需産業の拡大」でありました。  これ等の政策は物価を僅かずつでありますが上昇させていきます。それは国際収支を悪化させる可能性を持っていました。 ケインズの理想は完全雇用であり、不況を克服して、資本資源の完全利用の状態でありました。 「豊かな社会」のなかでは、完全雇用または資本資源の完全利用の時に物価が上昇するものでした。 カルテルを結び、プライスリーダーシップを作ることは高物価を維持することです。 自由主義経済を止揚し、国家財政の積極的な活用と通して、価格:利子率:貯蓄をコントロールして、ビルト:イン:スタヴイライザー:自動調整装置を自由主義経済社会に創出することでした。  ケインズは市場経済を認めていましたが、マーシャルの「自由放任の経済学」を批判してきました。 「経済を市場に自由に任す」それは市場を非常な効率の良い経済システムとして機能さすものと考えていました。 「市場経済」は本質的には、「経済機構の主要な原動力として、諸個人の金もうけ本能および貨幣愛本能への強力な訴えかけ」「貨幣愛、生活活動の十中八:九における貨幣動機への習性的な訴えかけ、努力の主要な目的としての個人的な経済的安定性の普遍的な追求、建設的な成功の尺度としての貨幣に対する社会的承認、家族や将来への必要な備えの基礎としての退蔵本能への社会的訴えかけ」るものであり、 それらは貨幣本能を重視するがゆえに、道徳的に見るときわめて不快な社会であり、他のいかなる社会経済システムより、経済的効率性を達成するには優れているとはいえ、「市場経済」は道徳性の観点からは容認し難いものが多くありました。  ケインズは人類の未来社会について経済のために道徳:倫理観を犠牲にしていることに、市場経済が倫理的に欠陥のあることに心を痛めていました。 「富の蓄積がもはや社会的に重要なものでなくなるとき、道徳律に大きな変化が生じるであろう。われわれは、この二百年間われわれを悩ませてきた多くの似而非道徳原理〜〜を除去できるであろう。〜〜現在われわれが、それらが本質的には如何に不快で、不公正であれ、それらが資本の蓄積を促進する上で極めて有効であるが故に、あらゆる犠牲を賭けて維持しているところのあらゆる種類の社会慣習や経済慣行〜〜を、そのときには、われわれは〜〜喜んで打ち捨てるであろう。」と市場主義経済社会を見ています。   ケインズは時代の流れを読み取り、現実に基礎を置いて理論と政策を組み立てる人でありましたが、しかしながら、人間の活動は歴史の経過の中で行われています。 ケインズの道徳:倫理観も歴史の制約を受けざるを得ませんでした。 又、理論とそれに基づく政策も1960年後半から1970年にかけて過去との時代の断層がまずアメリカに於いて発生し順次世界的に波及するに至りました。 ケインズ政策にも矛盾が表面化して、「歴史の弁証法」が証明されることになりました。 第2次世界戦争が終結以来、アメリカを中心とするケインズ政策は成功して、高度成長をもたらしましたが、1970年を迎えてアメリカでは潮の流れが逆転するように経済危機的な諸現象が一斉に吹き出しました。 アメリカがヴェトナム戦争に介入する頃、1960年後半からアメリカ社会に変化が現れました。 ヴェトナム戦争による浪費、それによる財政赤字、国際収支の赤字、物価は絶えず上昇し、インフレーシヨンは年率2桁におよびました。 ここに至り、 アメリカ大統領:ニクソンによって1971年ケインズによって創設されたヴレトンウッズ体制が崩壊し、固定比率によるドルと金の交換が破棄されました。 それに追い討ちをかけるように1973年のオイルショックが先進資本主義国家の高度成長にブレーキをかけました。 高度成長の中で資源使用が急速に伸びていたので、各国が有限な資源の取り合いとなり、1973年の石油危機はインフレーシオンを加速することになりました。 それにまた、 ソ連邦の農産物の記録的不作が続きました。これは社会主義国の問題だけでなく世界の農産物資源の循環に少なからず影響を与えました。  これ等の状況の下で、 インフレーシヨンの加速、スタフグレーシヨン、失業の増大、 財政赤字、国際収支の不均衡が螺旋状的に拡大してきました。 それらの対策として、ケインズ主義的な財政金融政策はその効力を失っていました。  反ケインズ経済学が勃興してきました。 ケインズ以前の新古典派経済学の考え方、ないしはそれえの修正、拡大、前進、徹底を基礎に展開するものです。 いずれにしても、ケインズ経済学に対するアンチ:テーゼを持ったものです。 合理主義の経済学、マネタリズム、合理的期待形成仮説、サプライサイド経済学と呼ばれるもので、 現在は一般的にそれら全てをひっくるめて簡単に新自由主義経済学と呼んでいます。 第6章    倫理なき新自由主義経済   1970年代後半の不況の中のインフレの進行、すなわちデフレーシヨンが先進諸国に拡がり、財政スペンデイングを通じた有効需要拡大のケインズ政策は破綻をきたし、財政の赤字がアメリカを始めとしてイギリスにおいても顕著に現れました。 いわゆる「大きな政府」路線より、「小さい政府」の路線へと大きく舵が切られていきました。 それが新自由主義の路線でありました。 アメリカではレーガン政権の「レーガノミクス」、イギリスではサッチャー政権の「サッチャリスム」でありました。  これらの政権は現実政治の保守的回帰を目指しつつも、新しい理論武装を備えていましたので「新保守主義」と呼ばれています。 これらの経済政策の後ろ盾理論武装を買って出たのが、「新自由主義経済学」であります。 大きな政府を非として、小さい政府を是とする、 全ての経済政策を効率に求めるものであります。 反ケインズの経済学であり、力を赤裸にむき出した資本主義経済政策を取っております。 新自由主義経済は否が応でも、社会を「弱肉強食」、両極に分断することが避け難いものにしております。  新自由主義経済学は現在のメインストリームの経済学だと言われております。 その理論的潮流はアメリカで勢いを強めえいるシカゴ学派と呼ばれており、シカゴ大学を中心とした研究者からの系統であります。 1920年頃からその歴史がありますが、1960年代の後半からその理論が国際的に注目されるようになって来ました。 シカゴ学派の経済理論の特徴が「市場原理」を至上とするもので、政府の介入を徹底的に拒否する点にあり、世界の「新自由主義」の理論的中心になっております。 それらの理論を支えている中心的研究者はハイエク、フリードマン、ブキャナン、ベッカー、であります。 ハイエクはヨーロッパで活躍していましたが、1947年に新自由主義の世界的団体であるモンペラン協会なるものを設立して、1950年にシカゴ大学に招かれました。 ハイエクは反共主義、反社会主義の思想家として「隷従への道」で有名ですが、 ソ連邦の崩壊以後は反社会主義理論の展開が後ろに下がり、「市場原理」をもとに、ケインズ経済学の弱点を批判しながら、人間理性には限界があるから市場の管理:制御といった不可能を追及するのをやめて、一切を市場にゆだねるべきである、他に手立てがないのであるから仕方がないと考え、「市場原理主義の経済理論」をいっそう体系的に展開いたしました。 シカゴ大学の教授であるフリードマンはマネタリストとして、著書「資本主義と自由」「選択の自由」で有名です。 ケインズが資本主義経済は放置しておくと総需要が不足して恐慌や失業が発生する、総需要管理をするべきであると考えたのに反して、フリードマンは市場に任せておけばよい、政府は雇用でなく物価安定に目標を絞って通貨政策だけやればよい、それも政府の裁量をなくして、予め決めたルールに従って厳格に実施すればよい、 突き詰めていけば市場原理主義の「貨幣原理主義」とでも云うべきものであります。 ブキャナンは新自由主義者の財政学者で、その著「公共経済学」で財政が赤字になるのは、政府が国民の要求に迎合して減税や福祉を増やし続けるので、財政赤字が増大するので、議会における財政決定権を非難して、議会制民主主義が財政赤字の原因であると考え、所得再分配の制度をも否定して、市場に任せるべきだと主張しています。  ベッカーはシカゴ大学の教授で、「ベッカー教授の経済学ではこう考える」「人的資本」の著書の中で云っています。 政府の規制は、介入はやめるべきだ、最低賃金を引き上げると、失業者は増大する、時代遅れの労働法は撤廃すべきだ、賭博も麻薬も撤廃して市場にゆだねた方が良い、なまじ規制するから希少価値として暴力団の金ずるになる、かえってはびこる、タバコや酒のように高い税金をかけて、後は市場の需給に任せておけばよい。という立場であります。 上記新自由主義経済学のメインストリームを形成してきた代表的研究者を紹介いたしました。 この学派の新自由主義経済とは何かということを明らかにいたします。  「市場は競争を通じて効率的な資源配分を実現する極めて優れた仕組みである。経済社会の運営を可能な限り市場に委ねることかが基本とされるべき。」と、この学派の基本的な考え方を日本の経済同友会は定義づけています。 公正より効率を優先させ市場を万能として、ケインズ的福祉政策を排除し、あらゆる経済活動を効率の下で、民間活力に委ね、各種規制を緩和し、撤廃することを是とし、小さな政府の実現に全力を挙げています。 市場における優位者の自己利益の追求のため、その効率的運用のため国家による規制の殆どを一切乱用:有害なものとして、排除すべきものとしています。 企業は不正手段を用いず開かれた自由競争に従い資源を有用に配分し、使用して利潤を増大する事業活動をする限り、企業の社会的責任は果たされている、法人企業はそれを所有している株主のものであるという考え方であります。 市場原理こそが至上の経済原則だと信奉しています。 アメリカ系多国籍企業や巨大金融機関の発展により、世界経済がアメリカン的グローバル化してきました。 それに従い世界市場の自由主義化が強く要求されるようになりました。 グローバル化は経済の国際化ですが、それは単に国境を越えて市場が拡がるだけでなく、多国籍企業や巨大金融機関の大資本の利益を追求するため、各国の市場を開放し、活動しやすいように、国家の介入を極力排除する事を求めています。 発展途上国も市場原理を重視した貿易や資本の自由化、民営化と規制緩和を求められています。 金融:為替については貨幣供給量の変動によって経済全体が左右されるので、インフレを克服して、物価安定に目標を絞って、通貨供給量の管理、通貨供給率の増加を一定に保つことだけに経済政策を限定すべきであり、政府の通貨供給の裁定をやめると云う主張であります。 それにグローバル化を加味すれば、世界中を貨幣と資本の流れを自由化することになります。グローバル貨幣原理主義になってしまいます。 財政は小さな政府を目指して、歳出の削減と共に、労働生産性の停滞がスタフグレーシヨンンの原因として労働意欲を増すために減税をし、また投資を活発に呼び起こすため投資減税を主張しています。 国民の生活に関わる社会福祉、教育、労働、環境問題に関して新自由主義経済は冷たい政策であります。個人の自助努力をもっと求めるべきで、悪しき平等主義は社会を停滞させる、社会的弱者であっても福祉を最低限に切り詰めるべきである、企業と個人の私利私欲の追求こそが経済効果の原動力であるという立場であります。 弱肉強食の法則が貫徹する市場原理に制限を加える福祉制度を制限し、福祉予算の削除に努めようとしています。 社会保障制度を初めとする全ての公共サービスを市場化しようとしています。 行政機関と民間企業の競争入札で担い手を決定しようとすることにもあらわれています。 労働法規の規制緩和はグローバル化にともなって、海外への生産拠点の移転、国内工場の閉鎖にともなう労働者の解雇、他方海外の低賃金無権利の労働と競争するという理由で、資本の側に一方的に都合の良い恣意的な雇用関係を結べるように改悪されています。 教育の分野でも競争の理念が導入され、新自由主義経済を支える理念である新保守主義教育が教育基本法の改定が国会の議論に上ってきています。 学校教育や職業訓練を人的資本投資と考えて市場理論を持ち込んできています。 国立大学が法人化され、学問や教育に競争原理が導入され学問や教育の効果を短期間の評価に変えつつあります。 環境問題も公害問題も国家による規制は撤廃するようにと主張しているコーン教授は「取引費用理論」で、なまじ政府が規制措置を取って介入すると費用が掛かるので、市場経済に任せて、企業と住民との直接交渉で解決する方が効率的であり安上がりであるとまで述べています。 市場経済は環境汚染:破壊をしたものから修復させる事をしなければ解決ができません。 それを制御:規制できるのは両者の交渉では、よほど加害者が倫理的な企業でない限り、でき難い現状であり、政府の介入が必要とされています。 グローバルな市場経済では地球環境汚染;破壊、また、先進国の途上国への生産拠点移転にともなう環境破壊は両者の直接交渉では大変難しいものです。各国の政府の話し合いと国際機関との介入した解決方法しか現在のところ交渉の方法がありません。  新自由主義経済によって何がもたらされたかを考えてみますと、市場経済のもとでは国内では弱肉強食と貧富の格差が必然であり、経済のグローバル化は国際間の格差拡大、南北問題、海外投資の巨額な投資収益が国内富裕層へ流入して、それと共に所得が益々増大し、国際間の貧富拡大と日本国内の貧富の格差拡大とが連動してきます。 国内の地方では所得の再分配がズタズタに切り裂かれ格差の促進と固定化となって現れています。 新自由経済路線は個人の自由拡大は富める者だけの自由で、貧者には全く逆行する経済的条件を拡大させると共に、各人の心の面、公共性の分野まで市場原理が入り込み人権保障の空洞化をもたらしています。実質的には人類を貧困化させているわけです。 金融のグローバルな市場経済は一部の金融企業経営者に法外な所得を得る機会を与え、一般庶民を金融国際化の名の下に金融ビッグバンをして、丸裸で放り出しました。 それは国内においても市民の貯金等の金融資産に直接影響を与えると同時に、国際金融市場がカジノ化して、普通のカジノはその賭場に参加した者だけに勝負の結果がでますが、国際金融市場のカジノの賭場は全世界にゆきわたり、そこに参加しない者まで強引に損得を押し付けられる世界であります。 人々の熟練や、努力、創意、決断、勤勉が評価されない社会体制、政治体制になっていきます。 財政の規模を出きるだけ小さくするので、各種公共的歳出は削減されます。雇用のための財政出動もありませんので失業も放置されます。 しかし、政治的信条は新保守主義ですから相変わらず軍事力の増強、軍事予算の財政は削減いたしません。 市場競争社会ではコスト削減が至上命令であり、労働者には失業や不安定な雇用常態を押し付け、低賃金:長時間労働を続けさせています。 市場のグローバル化は単に国内労働者を競争に駆り立てるだけでなく、海外の労働者に悪条件を押し付け、海外の低賃金とも競争させています。 教育福祉という公的サービスの分野にまで市場原理が導入されますので各分野に荒廃をもたらせ、社会保障制度の崩壊が心配されます。福祉には効率化でなく、もっと他に計り知れない独自の機能を持っており、その充実なくして社会の安定化はありません。 教育や研究に競争原理の導入、民間委託は学問や教育の効果を短期的に評価するので、目先の効率を追求するようになり、基礎研究が疎かになり、50-100年先には学問の水準が低下する恐れがあります。 グローバル市場主義経済は地球の環境汚染と破壊をもたらし、人間と人間、人間と自然、地球上の生命そのものを危険にさらしています。現在、この新自由経済社会において、あらゆる分野にその矛盾が噴出しております。 また、日本独自の特殊な例も見られます。  新自由主義経済は理論的矛盾、経済的、政治的、政策的挫折に現れてきています。 日本においてここ何年間か経済政策を遂行しましたが一向に景気が良くならないので、日銀に対してマネタリベースの増加を要求して民間の投資誘因を引き出そうとしていますが、これはケインズ的政策であり市場主義者が言ってきたことと全く矛盾するものであります。 また、金融機関の不安のためそれを排除するため、金融機関を救済するという理由で多額の資本を国家より注入しました。 これは明らかに市場原理からの悦脱であり、市場の落伍者に手を差し伸べることは市場信奉者への自らの冒涜であり、裏切りになっています。 効率のために小さな政府を標榜しておきながら、新保守主義の政治的立場にあるため他国の民族主権を尊重しないグローバリズムを推進するため、強い政府を必要とし、国内的には小さな政府、対外的には外交市場を守るため強い大きい軍事力を持った政府を必要とする全く矛盾したご都合主義に陥っています。 現在コンピューターを初めとする情報通信技術の革命的進歩、それにともなう革命的生産過程の飛躍がなされています。 情報通信革命は人間と自然の物質的代謝における制御革命であり、コミュニケーシヨンにおける人間と人間の相互間行為の精神的代謝を変革する、人間の有する根源的存在にまで及ぶものといわれております。これらの素晴らしい革命的技術がただ単に新自由主義経済の金融資本の金儲けのみに利用される「いやしい技術」になり下がるのか、人間の全面的発達に、社会と自然の発達に全面的に開花する時、人類社会の明るい展望が開かれるかであります。 既に多くの人々はこの事に気がついてきています。 新自由主義経済は自由な市場競争を大義名分として、市場の力、唯一の価値基準がカネであり、 経済は自立的で自己完結するものと考えており、市場は人間の精神、人間として侵す事のできない価値、歴史、文化、地域国家や社会構造と云った相互の補完的な関係があることを無視しています。新保守主義は依然として伝統と古い秩序を保守するもので、新自由主義経済は歴史、文化、地域と対置するため両立し難い状況が生まれています。地域を解体するのみならず国家をも解体することにもなりかねない矛盾を抱えております。  新自由主義経済の市場の合理主義がたえず不確実、不安定、カオス、アナキーに結びついており、かたや合理主義、かたや非合理主義、市場の失敗の際は政府の失敗にすりかえるという非倫理的荒廃を現しています。己の善と他者の善とが相乗的にある事を自覚して、自由と自律、合理的な価値判断を選択する社会でなく、常に全てのことが経済的効率に置き換えられ、市場経済が一部の人間の富の世界をより良く形成する手段に堕ちています。 道徳的:倫理観が新自由主義経済には忘れ去られています。道徳的:倫理的タームが評価されることもなく競争社会が突き進んでいる状況では、倫理的歯止めもかからない現状がうかがわれます。 倫理的退廃と共に知的荒廃も進んでおります。 ライブドアのホリエモン問題の際、奥田経団連会長は、「市場主義を『国富論』で唱えたアダム:スミスも、それに先たち『道徳情操論』において、惻隠の情の重要性を説いています。私なりに解釈すれば、市場の自由競争で勝負が決するからこそ、そこに参加する個人の倫理観が問われることをアダム:スミスは言いたかったのではないかと思います。『カネさえあれば何でもできる』等と言っていたのでは、尊敬されないばかりか、そのビジネスモデルも長続きはしないでしょう。」と講演いたしております。  第4章のアダム;スミスの経済倫理で述べましたように、アダム:スミスは何処にも「惻隠の情」という言葉など使っておりません。 アダム:スミスは、市民社会は、社会的分業にもとづく等価交換にもとづいていたからこそ、他人の才能の生産物と自分の生産物とを等価に交換することにより、市民同士がお互いに「共感」をもつこと、そこには不正が入り込めない、その判断も「公平な観察者」として自己自身が道徳的判断をくだすことで、より良い市民社会を成立させようと考えました。 アダム:スミスの言う「共感」は奥田氏が言う「惻隠の情」(哀れみ)などとは全く次元が違います。 奥田経団連会長でも誤解しているほど、現在はアダム;スミスが市民社会論で提起した市民相互の「共感」という心の結びつきが難しい時代に入っているということです。  新自由主義経済もすでにあらゆる部門、部面で矛盾が噴出しつつあります。特に先頭を走っているアメリカにおいて顕著に矛盾が現れています。 少し長めの歴史的に見ればすでに凋落の流れが現れています。  その歴史的限界に近づき、歴史の弁証法を証明しようとしています。      第7章 ポスト新自由主義経済   新自由主義社会の理論的矛盾、政治的、経済的、政策的挫折がアメリカを中心にグローバル的にあらゆる諸国家に現れてきています。 自由主義経済に少なからず懐疑とその市場主義の暴走とその力の暴力化に反省と脱出の方法を模索いたしております。  市場主義経済は経済社会の成長と発展のためには重要かつ不可欠な社会装置であり、 それが必ずしも常に正義、公平、公正と両立するものでありませんが、現在のところ、市場を通して価格を決定する方法しかない、市場システムよりも上等な制度が見つからない以上、これらのシステムの基盤を修正し、運用を改良するしかありません。 ポスト新自由主義の全ての各潮流は市場経済を認める立場に立っております。  アメリカ本土の中庭にあるラテンアメリカ諸国、それら諸国に新自由主義経済から決別し、脱却を目標にしている潮流があります。これらの諸国は、本来の構造問題の解決を先延ばし、棚上げ、置き去りにしたまま、強者に有利な自由化、規制緩和、供給側重視の新自由主義経済政策をやみくもに強行推進させ、事態をより悪化させてしまった苦い経験を活かして、ポスト新自由主義経済に向けた段階的な移行政策を掲げております。 それらの諸国は「第三の道」のチリ、「社会自由主義国家」のブラジル、アルゼンチン、ヴエネズエラ、また、ラテンアメリカの地域通貨制度を向けての共生:共同運動に参加している諸国であります。 構造問題はこれらラテンアメリカ諸国の共通の問題であります。 大土地所有制、不公平税制、階層的な金融仲介構造、外国特にアメリカ資本の過度な侵食、技術革新体制の脆弱性など、解決なくしては世界の平均的地位への脱出は困難であります。構造問題の解決に眼を配りながら、新自由主義経済の失敗を踏まえて、真に必要と思われる経済的、社会的規制を改めてかけ直し、そこから生まれる官僚支配の悪い側面を市民社会的制御の下で可能なばかりに払拭していく、持続的経済成長の潜在力、ポスト自由主義経済の改革が制度的に安定してものになる事を目標にした運動がラテンアメリカ諸国に拡がりつつあります。   新福祉国家---当初イギリス労働党が目指していた路線でありますが、最近少しそれた方向に向かっております。 市場を重視した民営化一辺倒と産業国有化を脱却できない旧左派路線との二極対立の中間路線に位置する「第三の道」、所得税の増税凍結を継承する一方で、より良い社会の下層:下流に配慮した公正を目指す福祉政策、教育政策、雇用政策を展開して、従来の弱者をネガテイブな依存型福祉政策でなく、自立型福祉への移行を目指した政策を進めようとしています。 いったん制度化された福祉が既得権益の源泉となることなく、モラルハザードに陥る危険を克服して、人々に挑戦のインセンシテイブを与え、社会へ貢献すると云う共感を共有するポシテイブな福祉政策を目指していく、これらはヨーロッパ各国の社会民主主義政党に大きな影響を与えています。 経済政策はケインズ経済学の修正と発展とを追求している人々の力を得て、経済効率、社会的公正、個人の自由を組み合わせた経済的改革をはかる。 科学技術の急速な発展、とりわけ情報通信の進歩は不確実性を減退させると思われていましたが、新自由主義経済の下では効率を追う余りむしろ不確実性を増大させました。 不確実性とそのリスクへの挑戦を通じて、資本主義の活力を源泉にして、資本主義の漸進的修正を重ね、ポシテイブな新福祉国家を建設しようとする潮流であります。  ブロック経済圏:通貨圏を形成して基軸通貨ドル体制からの避難、公平な国際経済:金融機関によるグローバル市場経済の追求--- ここ1990年台に入って基軸通貨ドル通貨危機が激しく起こっております。 1993年の円急騰:ドル暴落、アメリカの純債務国への転落、1995年の異常円高:円高の異常な速さを何とか日本の協力と犠牲の下で切り抜けてきました。1997年7月のアジア通貨危機、アジア通貨のドルへのリンクが投機筋の執拗な売り攻勢を受けついにタイ政府は自国通貨バーツを買い支えることができなくその努力を放棄してバーツ相場はたちまち暴落しました。それが東アジア経済金融にパニック的状況を拡大しましたが、アメリカ政府はアジア諸国の金融的援助も成す事もできず、日本がIMFを通じてアジア諸国に資本を融通することにより切り抜けました。 その反動でアメリカ国内のヘッジファンドも倒産の危機に巻き込まれました。 それが1998年ロシアへの波及、1999年のブラジルにも波及いたしました。 アメリカの貿易収支の不均衡、経常収支の赤字を対外借入で即ち資本収支によって穴埋め、アメリカのグローバル金融支配の強さと同時に基軸通貨ドルの弱さとの危うい二面性の上にアメリカの金融がバランスしているため、資本主義世界経済は常に世界金融不安定構造の中にあります。 1990年後半2000年代に入って中国が世界の生産工場として働き出し、輸出国として膨大な貿易収支を得るようになりました。 こんどは円高でなく元高:ドル安となり、その資産をアメリカドルとしてアメリカの国債に組み込まれていく状態になっております。  中国としては日本のようにアメリカの財務債権をこれ以上に引き受けているような事はできません。  自国の安全保障の問題等で基軸通貨ドルにのめりこむ事はできません。 明らかに機軸通貨ドルへの信任に疑問を持っているわけです。  私たちがその基軸通貨のモノとして本源的価値は存在していないが、その基軸通貨として価値を持つことは「予想の無限の連鎖」が支配する価値を持っていると信任しているからこそ、貨幣として持っていられるわけです。 市場そのものの危機は貨幣を貨幣として支えている「予想の無限の連鎖」が崩壊していく時であります。 それはハイパワーインフレーシヨンであります。 グローバル市場そのものの解体であります。  中国はいやがおうでも日本、韓国、中国を中心とするアジア経済圏:地域経済圏を考えざるを得ないときに入ってきております。 1999年EU加盟11ヶ国で単一通貨ユーロが導入され、アメリカドルと並びうる国際通貨が誕生しました。それになる前、1950年フランスと西ドイツの石炭の生産を合同の最高機関の下におく、1952年ヨーロッパ6ヶ国による欧州石炭鉄鋼共同体の結成(ECSC)、1958年欧州経済共同体(EEC),1968年EEC内部で関税を撤廃、19963年通貨統合を目指すマーストリヒト条約が発効して、欧州連合(EU)が創設された後にヨーロッパの地域経済圏と統一通貨としてのユーロが、2000年に入って基軸通貨のドルの一部を肩代わりするまでに成長しました。 アジア経済圏とアジア通貨圏の創設は急がれておりますが、ヨーロッパにおいても長い日月と努力の下で成し遂げられました。 これまでASEANを中心に日中韓を含めてアジア経済圏の努力がなされ、また通貨危機の再発防止のために介入資金を融通しあうために、アジャ債券市場の整備に向けた域内協力は進められてきています。 アジア経済地域の世界の生産量、貿易量の拡大はアジア経済圏の構成要件が準備されてきています。 アジア地域通貨創設の条件も中国の経済発展で急がれていますが、日本はアメリカとの関係で、また、中国は国内問題とりわけ国内の地域格差等の問題の解決が緊急の要件になっており、 アジア地域が、将来欧州のような経済:通貨統合に進むかどうか不確定要素は多いですが、アジアが一体になってグローバル経済社会に生きていくには、各国が今後議論を深めていくのは当然です。 世界経済に三つの基軸通貨が存在すれば、各通貨の負担も軽くなり国際通貨情勢もより安定するとともに、アメリカ一国が世界経済の中で覇権的軍事的ヴィヘビアーが取れなくなります。 その他の国々は三つの基軸通貨のバケット方式で、その加重平均とで交換価値を決め自国の通貨とリンクさせて、グローバル経済:金融のリスクを軽減する努力をし、上のようなグローバル経済社会を創出しようとしています。  それが第3の潮流であります。  科学的社会主義改革派---社会主義を標榜していたソ連邦は1991年崩壊しました。ソ連邦は社会主義計画経済をであったといわれていますが、社会主義国であると自称している中国、ヴェトナム、キューバのいずれの国々も現在は計画経済を離れて、市場経済であるといっております。 また、社会主義社会を目指している各国の政党も市場経済を認めています。 現在あらゆる経済学の潮流も当面は市場経済を認める立場であります。 第五章のケインズの経済倫理のところで、ケインズは「市場経済が他のいかなる社会経済システムより、経済的効率性を達成するには優れている、〜〜資本の蓄積を促進する上で極めて有効である。 〜〜富の蓄積がもはや社会的に重要なものでなくなるとき、〜〜〜市場経済を喜んで打ち捨てるであろう。」と述べています。 アダム:スミスの「国富論」以来、市場経済のシステム「神の見えざる手」に任せておけば、有効性、効率性を発揮してくれるが、それとともに多くの問題がある事を知りました。 その問題の解決には市場および生産に関わる全ての人々が「決定」に関与すること、参加することが必要条件であります。 ソ連邦の崩壊は市場:生産に関する決定が国家に握られており、一部の国家官僚によってノルマ的に指令され、大多数の国民は国家による決定から排除されていたからです。 決定に参加することは自らの代表者を国会に送り込む、名実共に国会が国家の最高機関になり、大多数の意見が正しく集約され決定される機関になることです。 現在そのような役目を果たしている国家の最高機関を持っている国家はこの地球上には存在しません。 現在の社会主義国と自称している中国、ヴェトナム、キューバは社会主義革命を遂行しようとしているし、また、社会主義国を目指している政党も社会主義革命を目指しています。 しかし、それは所詮無理なことです。社会主義を目指す前に、まず民主主義革命に向かって進むべきです。経済では市場主義、政治では未だ民主化がされていない社会では市場経済と国民との間に必ず矛盾が発生いたします。 自称社会主義国家を初めとして、先進資本主義国も、発展途上国も市場経済を受け入れるのであれば、自らの政治、経済、社会、その他の分野で民主化をしなければなりません。 それによって現在の自称社会主義国が崩壊しても、それはやはり本当の社会主義国家でなかったということであり仕方がありません。経済的開発のために政治的独裁を取っている発展途上国も、開発独裁国家も、先に民主主義革命を国内で実施すべき立場にあります。 市場経済を中心に経済発展をさせるには、社会の民主主義化、政治の民主主義化を遂行することが必要条件であります。 国家にたずさわる政治家:官僚、企業家、生産者、市民:国民はその各々の倫理:道徳観を高め、人間の全面的発達が成し遂げられたとき、科学技術の発達:発展にともない、生産力の飛躍的発展:増大をもたらし、富の蓄積があらゆる人々に保障を与える事が出きるようになる。 生産者達がその社会の主役になり、その生産手段が社会化されたとき、人間が2000年前から求めてきたユートピアな社会がこの世に実現するわけです。 そのために努力している潮流もあります。  4つの潮流を紹介しましたが、これらが互いに影響を与え合い、融合させて次の ポスト新自由主義になっていくと思います。  次のポスト新自由主義も長い歴史の発展段階のひとこまであり、その時代の歴史に制約された状況を作り出します。 また、倫理:道徳もその時代の社会科学に収斂した倫理:道徳であり歴史的制約のあるものです。        おわりに    昨年、「本願他力の宗教倫理」のレポートを書くことができました。これを基本に経済、自然環境、生命倫理等々の勉強を進めたいと思っておりました。 現在、ライブドアー:村上ファンドが勝手気ままに振舞っている経済社会、倫理なき新自由主義であります。 資本主義経済が始まってからのその時代の経済体制の倫理:道徳を本願他力の宗教倫理を基本に見てきました。 各時代の経済倫理はその時代の歴史的制約を受けたものでした。 ここにあらためて、本願他力の宗教倫理がその歴史を超えた、普遍的倫理であることを領解するものです。                                       完                            2006年5月25日  完稿                     郵便番号654-0076                     兵庫県神戸市須磨区一の谷町2丁目8-53