初期仏教から大乗仏教へ

1. 部派仏教と大乗仏教

初期仏教-->根本分裂(上座部/大衆部)-->枝葉分裂-->部派仏教
部派仏教(アビダルマ仏教)は,各々の宗派の伝承に基づき経論律を整備するとともに,
学問的に法の分析を追求した.
これを批判して,在家中心の信仰運動が興り,大乗仏教運動とよばれた.
「小乗」は大乗側からの部派仏教に対する貶称

2. 菩薩の精神

上座部仏教の阿羅漢に対し,大乗仏教の菩薩
菩薩(ボディサットヴァ)
本来の意味は,覚りを求める人
転じて,成仏していないが,次生に成仏を約束された者.仏の後継者(彌勒)
自らの成仏よりも衆生の救済のために働き,敢えて涅槃に入らない者(観音)
菩薩の本質は自己犠牲的な愛と苦悩である
-->宮沢賢治の法華経信仰と『雨ニモ負ケズ』
六波羅蜜=菩薩の実践行
智慧,布施,持戒,忍辱,精進,禅定
慈悲と智慧=自利利他覚行円満=上求菩提下化衆生

3. 空の思想

説一切有部の法の理論(三世実有・法体恒有)
空の思想は「法の理論」に対する批判,「一切は実在しない」という否定の論理.
「色即是空 空即是色」とは?(資料1
金剛般若経「AはAではない,ゆえにAである」(資料2
理論的には,すべての存在には実体が無いことを説き,
実践的には,いかなるもの・ことにもとらわれないことを目指す.

4. 信仰

キリスト教における信仰の二つのありかた
「知らんが為に我信ず」
「不合理なるが故に信ず」
仏教における信仰の二つのありかた
解信(資料3)教->信->解->行->証
仰信(資料4)教・行->信->証
浄土教における信とは自己否定の信(機の深信)である.否定された自己が自己ならざるもの(阿弥陀仏)によって救われる(法の深信).(資料5

5. 仏教と社会

個人の安心立命を求めるだけなら,「小乗仏教」にすぎない.(資料6
縁起・無我説は,必ず世界を自身の問題として見ることを要請する.
宗教とは心の問題か?戦争・飢餓・差別などの問題に仏教者はどう対応するのか?
ただし,自己批判なき社会批判は宗教者のとる道にあらず.
「行動する仏教」(Engaged Buddhism)(資料7
「仏教者国際連帯会議」(INEB)について

資料

1.「物質的現象には実体がないのであり,実体がないからこそ物質的現象でありうるのである」(中村元・紀野一義訳「般若心経」,岩波文庫)
2.「スブーティよ,仏陀の教法,仏陀の教法というが,それは実に仏陀の教法ではない,と如来は説くのであり,それゆえ,仏陀の教法と呼ばれる.」(長尾雅人訳「金剛般若経」,中公文庫)
3.「仏法の大海には信を以て能入となし,智をもって能度となす」(大智度論)
4.「親鸞におきては,ただ念仏して,弥陀にたすけられまいらすべしと,よきひとのおおせをかぶりて,信ずるほかに別の子細なきなり.念仏は,まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん,また,地獄におつべき業にてやはんべるらん.総じてもって存知せざるなり.たとい,法然聖人にすかされまいらせて,念仏して地獄におちたりとも,さらに後悔すべからずそうろう.」(歎異抄/聖p.627)
5.「一つには決定して深く,『自身はこれ罪悪生死の凡夫,曠劫より已来,常に没し,常に流転して,出離の縁あることなし』と信ず.二つには決定して深く,『かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂取して,疑いなく慮りなくかの願力に乗じて,定んで往生を得』と信ず.」(観経疏/聖p.215)
6.「無量寿経を案ずるに,三輩生の中に行に優劣ありといえども,みな無上菩提の心を発せざるはなし.この無上菩提心は,すなわちこれ願作仏心なり.願作仏心は,すなわちこれ度衆生心なり...もし人,無上菩提心を発せずして,ただかの国土の受楽間なきを聞きて,楽のためのゆえに生まれんと願ぜん,また当に往生を得ざるべきなり.」(浄土論註/聖p.237)
7.「瞑想するとは,社会から離れ,社会から逃避することではありません.社会へ復帰する準備なのです.われわれはこれを Engaged Buddhismと呼びます.瞑想センターへ入る時,すべて(家族や社会やすべてのわずらわしいこと)を離れて個人として瞑想を実践し心の平和を求めるのだ,という印象をもたれるかもしれません.しかしこれは幻想です.なぜなら,仏教には個人としてある,ということはありえないからです.」(Tich Nhat Hanh, Being Peace)