世界仏教 Ecumenical Buddhism への道

仏教の三大潮流

現代の仏教は、(1)上座部仏教(2)大乗仏教(3)チベット仏教、の三者より成るとするのが一般的に思われる。かつて、(1)を小乗仏教、(3)をラマ教と呼称していた時代があったが、これは全く不当である。また、チベット仏教は大乗仏教の流れのうちの一つ、という考えもあるが、用いる聖典がそれぞれに異なるので、三分類するのがより適当だと私は考える。すなわち、上座部はパーリ大蔵、大乗はサンスクリットないし漢訳大蔵、チベット仏教はサンスクリットないしチベット語大蔵を基にしている。(参照:大蔵経(一切経)のはなし

南方仏教は小乗か

日本にいると、かなり誤解をもった人が多いのに気づかされる。先日も、「インドは小乗仏教でしょう?」と聞かれたことがある。まず、小乗仏教なるものは、現在は存在していないというべきである。小乗という語は、三つの点で不適当である。第一に、小乗(hInayAna)という語は、大乗からの貶称であるということ、すなわち大乗は自らを「多くの人を乗せることができる乗り物」とし、相手側を「小さな乗り物」と一方的に批判したのである。この批判の正否は別として、呼称として適当でないことは自明の理である。第二に、大乗が批判対象としたのは主に「説一切有部」(sarvAstivAdin)であり、この部派は現在存在していない。現在スリランカやタイで主流になっているのは、南方分別説部(vibhajjavAda)大寺派の流れを汲んでいるので、北インドで興った大乗仏教はこの部派のことをあまり知らなかったはずである。第三に、現在のスリランカやタイの仏教(上座部仏教)の実体として、個人の悟りのみを追究して民衆教化を忘却している、という批判は的外れである。もちろん、個々には批判されるような僧院や僧侶がいるのは事実かも知れないが、それをいうなら、大乗仏教の側にも同じ問題がある。

初期仏教と上座部

今まで、大乗仏教は自らを誇るあまりに、上座部仏教やチベット仏教を一段下に見てきたきらいがある。そのような心情は、もはや過去のものになった、といいたいところだが、もしそうでないならば、早急に改めねばならない。

ただし逆に、現在の上座部が自らをもって唯一の仏教の正統派であるとし、「初期仏教」を名のるのは問題があると考える。かつて、釈尊直系の仏教が「上座部」(保守派)と「大衆部」(改革派)に分裂し、その後20もの部派に枝葉分裂していったと、仏教史は教えている。インドにおいてイスラム勢力が仏教を完全に破壊(僧侶を虐殺し、僧院を破壊し、聖典を焼くなど)した際、スリランカに伝わっていた分別説部(上座部の一つ)はその難を逃れることができた。分別説部のうちでも唯一生き残った部派(大寺派)として現在「上座部」(teravAda,テーラヴァーダ)を名のることはよいだろう。しかし、「初期仏教」そのものではない。「初期仏教」(early buddhism)は、分裂以前の仏教を指す、というのが大方の了解であろう。また、その聖典(パーリ大蔵)は、第一結集(釈尊滅後に開催された聖典編纂会議)において確定されたテキストそのものである、というのは信仰の問題であって、客観的(学問的)には、かなりの改変があるというべきである。

とはいえ、現在の上座部が、大乗やチベット仏教に比べれば、より初期仏教に近い、というのはそのとおりだろう。少なくとも、出家者の教えや規律としては。一方の大乗仏教は、初期仏教からはかなり変化しており、大乗経典は後代の創作と思われる。ここをもって、「大乗非仏説」という主張がかつてあり、現在もあるわけだが、それは仏教を固定したドグマとする発想であり、私はそれには与しない。

エキュメニカル仏教

どの宗派が正統であるか、釈尊の真意をより深く伝えているか、という議論(宗論)を止めるのは当然のことである。「宗論はどちらが勝っても釈迦の恥」という俚言もあるくらいだ。

ここで、キリスト教におけるエキュメニズム(ecumenism, 世界教会主義)のことが頭に浮かぶ。キリスト教でも、東方正教会、カトリック、プロテスタント諸派に分立しており、それらの宗派を超えて全キリスト教が結束する運動のことを意味する。さらには、キリスト教をも超えて、諸宗教間の対話と協力にまで意味が拡張されることもある。もちろん課題はそれほど単純ではなく、多くの困難を抱えているのが現状であるにしても、この動きは仏教界でも学ぶ必要があるのではないだろうか。

そこで私は、仏教諸宗派が対話と協力をしていく、そのようなあり方を「エキュメニカル仏教」あるいは「世界仏教」"ecumenical buddhism"と呼びたい。というと大げさに聞こえるが、何も統一組織を作らねばならない、ということではない。それならば現在でも「世界仏教徒連盟」(WFB)があり、日本からも全日本仏教会が加盟している。そして数年ごとに世界仏教徒会議が開催されている。しかし組織というものはあくまでも枠組みであって、その中身が問われていく。

問題は、「世界」を視野に入れて運動にかかわることができる仏教徒をどう育てていくか、ということである。僧侶でさえ、WFBのことを知らない人が多いのではないだろうか。私自身が自戒せねばならないのだが、ともすれば自分のお寺のことだけを考えがちになる。もっといえば自分一個人のことが関心事であって、それは人間である以上自分が可愛いのは自然であるとはいえ、関心事をより外側に広げていくべきなのだろう。ただ、その志向が教団レベル・宗門レベルに留まることがないようにせねばならない。

そのためには、仏教徒はブッダガヤに参拝するのがいい。実をいうと、私がいまエキュメニカル仏教について書こうと思ったのも、ブッダガヤ参拝が大きなきっかけになっている。頭で想像しているのと、実体験で目にするのとでは大きな開きがある。キリスト教徒はエルサレムへ、イスラム教徒はメッカへ、仏教徒はブッダガヤへ。

初期仏教とエキュメニカル仏教

仏教では、「組織」というよりもサンガが大切にされる。これには現実組織としての現前サンガ(比丘5人以上から構成される)と理念としての四方サンガ(比丘の総体)があるが、今日の諸宗派・諸教団が現前サンガであるとすれば、エキュメニカル仏教が四方サンガに相当しよう。仏教は当初から世界視野に立っていた。エキュメニカル仏教とは、初期仏教の精神に立ち返ることに他ならない。

と同時に、エキュメニカル仏教の指導理念を明確にせねばならない。対話と協力ということは当然であるが、それだけでは仏教にならない。仏教である以上は、「何が仏教であり何が仏教でないか」が明らかにならねばならない。そうでなければ、幸福の科学もオウム真理教も仏教として認めて仲良くしましょう、となりかねない。その理念、すなわち仏教としての旗印=三法印(諸行無常、一切皆苦、諸法無我)が鮮明にならねばならない。

これに対し、「三法印は小乗仏教で、大乗仏教では四法印だ」とか、「法華仏教では一実相印である」とかの議論があるが、これは枝葉の事柄である。ダンマパダが初期仏教をほぼ忠実に伝えていることを認める以上、ダンマパダに説かれた三法印(sabbe saMkhArA saniccA, sabbe saMkhArA dukkhA, sabbe dhammA anattA)が私たちの共通の旗印でなければならない。それ以上の議論(法無我か人無我か、など)は棚上げしておけばよいし、先に述べたとおり、初期仏教=上座部仏教ではないのだから、上座部の比丘がすべて正しいとも限らない、くらいにしておけばよいだろう。

真宗からエキュメニカル仏教へ

真宗同朋会とは、純粋なる信仰運動である。
それは従来単に門徒と称していただけのものが、心から親鸞聖人の教えによって信仰にめざめ、代々檀家と言っていただけのものが、全生活をあげて本願念仏の正信に立っていただくための運動である。
その時寺がほんとうの寺となり、寺の繁昌、一宗の繁昌となる。
然し単に一寺、一宗の繁栄のためのものでは決してない。
それは「人類に捧げる教団」である。世界中の人間の真の幸福を開かんとする運動である。

これは1962(昭和37)年12月号の『真宗』の巻頭言である。ここで私は、真宗の根本精神がエキュメニカル仏教のそれに一致することを確かめる。ともすれば集う人数の多少によって成果を測ろうとする発想が私の中にある。人数はどうでもよいということではなく、寺ひいては教団の量的拡大再生産・組織防衛という発想からどうしても抜け出せないことが問題なのだ。これが宗派根性というものなのだろう。

たぶん...いっしょうけんめい勉強すれば視野が広くなる、というものではないのだろう。いくら勉強しても、ひたすらに理論武装していくだけになってしまう。私自身、理論武装することで自我の肥大化に向っているのではないか、という気がする。そして真宗教団としてもそのような方向に走っていってはいないだろうか。たしかに教義の体系は緻密であるし、多くの学僧を輩出し、読み切れないほどの書物に溢れている。しかし...

何のための同朋会だろうか。何のための法要だろうか。何のための御遠忌だろうか。何のための信仰であろうか。そして...何のための浄土往生であろうか。それが釈尊の説かれた苦の解決への道(四諦八正道)に連なるものであることを、現実に証明しなくてはならない。親鸞聖人が偉い人だったというだけで、苦は解決されないのだ。

(B.E.2554年/A.D.2011年1月25日脱稿)