世界エスペラント大会参加記 - 仏教徒の国際交流

第92回世界エスペラント大会が、8月4日から11日まで横浜市で開催された。日本での開催は1965年の第50回大会以来である。三度目に日本で世界大会が開催されるのはいつのことになるか分からないが、その時は私は生きていないだろう。それゆえ、意を決して参加してきた。私にとっては、1987年のワルシャワ、2004年のペキン以来、三回目の世界大会参加である。本当はフル参加したいところだが、仕事上の事情が許さないので、四日間だけの参加であった。

世界エスペラント大会というのは、会議・セミナー・分科会・コンサート・演劇・観光・晩餐会など、200以上のプログラムがつめこまれた壮大な催しである。初心者からベテランまで、それぞれに応じて楽しむことができるように配慮されている。今回の大会には約2000人の参加があった。日本人はその半分ほど。私がはじめて参加した世界大会(ワルシャワ)では6000人の参加があったが、これはエスペラントの本場でもあり、かつエスペラント発表百周年の記念大会だったから。とりあえず、日本のエスペランチストはよく健闘したと思う。

私が参加したプログラムの数は、非公式のものも含めて14。そのうち下記の六つは、国際仏教エスペランチスト連盟(BLE)およびその日本支部(JBLE)が主催者または協力者として関与したものである。

  1. 国際運動見本市・懇親の夕べ(出店参加)
  2. 教養講座「アジアの宗教」(協力)
  3. 総持寺半日観光・参禅体験(協力)
  4. BLE総会(主催)
  5. 仏教者分科会(主催)
  6. 仏教者交流集会・法要(主催)

一般的にいって、エスペラント界の中での宗教地図というものは、もちろんキリスト教が最大勢力である。中でもカトリックは1300人が加盟するIKUEという組織を有しており、ローマ法王からもお墨付きを得ている。そしてそれに次ぐ勢力が、大本教、バハイ教、圓仏教であろう。これらの宗教は、教団自身がエスペラントを布教のための言語と位置づけているため、学習者が多い。大本教は、出口王仁三郎自身がエスペランチストであった。ザメンホフの末娘のリディアはバハイ教徒であった。圓仏教は、日本では知られていないが、韓国における仏教系新興宗教である。

仏教はこれらと比べると、かなり立ち後れている。BLE委員長のグンナ・ゲルモ、彼はスウェーデンの文筆家で上座部仏教徒であるが、「エスペラントではUEA(世界エスペラント協会)は最大の、そして我々BLEは最小の国際組織だ」と冗談を言っていた。前述の圓仏教は仏教なのかどうか、私が決めることではないが、もし圓仏教のエスペランチスト達がBLEに合流してきたら、BLEはあっという間に、圓仏教にのっとられるだろう。現在のところ、圓仏教からは一人の参加も無いけれども。誰かが、「BLEは圓仏教徒も受け容れるのか?」と尋ねてきたので、私は「もちろんです。もしBLE規約を認めて三帰依を誓うならば」と答えておいた。

世界エスペラント大会に、仏教者としてどのような関わりをもったのかを知っていただくため、四つのプログラムについて、少し説明しておきたい。

「アジアの宗教」は、歴史・文化・言語・運動・インターネットなど、さまざまなテーマに分かれ、一コマ90分よりなる教養講座のうちの一つ。ここでは、儒教・大本教・圓仏教とともに、仏教がとりあげられた。各宗教について紹介する担当者がおり、私はもちろん仏教を担当した。四つの宗教を90分で扱おうというのは、ちょっと無謀ではある。各宗教の紹介は15分で計60分、残り30分は質疑応答に充てる、というのが事前の合意であったが、話はどうしても長くなる。私も15分でおさえるように努めはしたが、20分近くを要した。仏教のような長い歴史を有する宗教を15分でどうやって紹介できるというのか。悩んだ結果、帰依三宝と縁起と三法印が仏教を他の宗教から区別する旗印である、という立場で、これに焦点を充てた。質疑応答の中で、印象に残ったものを一つだけ紹介しておこう。どこかヨーロッパからの参加者だったが、「仏は神ではない、仏教徒は神を崇めないと言われましたが、日本のお寺には神様を祀ってあるのはどういうことですか?」というもの。私の回答「ああ、それは仏教というよりもシンクレティズムですね。日本の仏教の8〜9割はシンクレティズムが支配しています。」これについて、シンクレティズムの歴史や実態を説明すると、それで時間が終わってしまうと思ったので、詳細説明ができなかったのが残念だ。

「仏教者分科会」はBLEの主催である。各種分科会は、それを申し込んだ組織が、一コマいくら、というかたちで部屋代を払って認められる。一番小さい部屋を一コマ45分で借りて80ユーロ。BLEは毎年赤字続きの貧乏組織だから、これだけを申し込むのがせいいっぱいだった。大本教などは10倍くらいの大きさの部屋を180分借りている。事情を知らない人は、日本人はみんな大本教徒だと思わないかと心配になる。しかしともかく、部屋がいっぱいになるくらいの40人ほどが集まってくれた。仏教者分科会とはいうものの、入場制限があるわけではないので、自分が仏教徒だと自認している人は半分くらいだったかも知れない。私はここでも15分のミニ講演をした。題して「日本仏教の歴史」。教養講座では仏教そのもの、いわば根本仏教について予備知識の無い人を相手に話したのだが、ここでは主たる対象を外国人仏教徒に求めた。正直に言えば、私のエスペラントの能力は、そんなに高いものではない。ゆえに、予め講演原稿を用意してはおいたのだが、原稿を読んでいると聴衆の反応が分からない。思い切って原稿は読まず、いちばん強調したいことを三点に絞って話することに決したのは、昨晩のことだった。一つは国家仏教・貴族仏教の堕落頽廃、二つは鎌倉新仏教が民衆仏教の基礎をなしたこと、三つは江戸幕府の宗教政策が仏教の牙を抜き、その結果が現在に及んでいること、総じて言えば、仏教は他の諸国でもそうであるように、堕落頽廃と復興改革のせめぎあいを繰り返してきた、ということ。昨日は時間を少しオーバーしたので、ここでは私は最初から最後まで、超スピードで飛ばした。今までこんなに早口でしゃべったことがないくらいに。会場からは鋭い(難しい)質問が浴びせられる。「日本の仏教は他のアジアの仏教と比べてどういうところが特徴といえるか」「堕落とか改革という時の指標は何か」う〜ん、これは新しい講演のテーマになりそうだ。残念ながら時間不足を理由に逃げてしまった。やはり倍くらいの時間がほしかったが、まさに時は金なり。いずれにしてもこの部屋は別のグループが次に使うことになっているため、話は尽きないけれども散会しなくてはならない。

「総持寺半日観光」。大会では、期間中にいくつかの観光プラグラムが用意してある。もちろん有料のオプションである。金のあるヨーロッパ人、そして日本人は、大会会場で難しい講演を聞いたり会議に参加するよりも、観光に行きたがる。日本人は特に、参加者数が多い割には大会会場に姿を見せないことで有名だ。今回人気が集中したのは富士山観光であった。総持寺半日観光もけっこう人気があり、二回に分けて催行、各40人ずつの参加があった。私はこのコースで総持寺との渉外およびガイド(通訳)をつとめさせていただいた。ただし、私は総持寺には一度も行ったことが無い。総持寺は永平寺と並んで曹洞宗本山である。横浜ではいちばん大きな寺院といえるだろう。このコースの売りは、単なる拝観ではなく、参禅体験を組み込んだことである。私は坐禅の経験は、高校生の頃に一度きり。しかしBLEの中に坐禅経験の豊富な会員がいるので、なんとかなるだろうと考えた。総持寺案内のため、あらかじめ日本仏教エスペランチスト連盟(BLE日本支部)ではメーリングリストに4人が参加して、共同で拝観ガイドを作成していた。また、坐禅の仕方・作法についても図解入りで説明してある。このエスペラント版ガイドを参加者すべてに渡した。これを読めば何とかなるはずだ。種本は「総持寺拝観案内」。英語版もある。翻訳許可を受けていないので厳密には版権侵害だが、まさか訴えないだろう、とたかをくくることにした(あとで、案内僧から「エスペラント版のガイドを資料として下さい」と頼まれたので、「どうか上層部には内密に」と言って渡しておいた)。

拝観は案内僧が付き、その説明を私が通訳するというもので、なかなか楽しかった。しかし参禅は、やはり外国人には難しいようだった。脚が固くて、結跏趺坐・半跏趺坐はおろか、正座も胡座もできないのだ。もっとも、日本人も似たようなものではある。生活が洋式になっているので、最近は多くの寺で、最初から椅子を用意してある。椅子禅というのは曹洞宗で認めていないわけではないが、修行僧はあくまでも結跏趺坐である。しかしそのうち、永平寺でも総持寺でも椅子を使って坐禅するスタイルが一般的になるかもしれない。

「仏教者交流集会・法要」。これは大会の正式プログラムではない。大会会場外の、真宗大谷派横浜別院を会場とした。総持寺と違って、私の所属する教団の別院だから、なんとなく気安さがある。もっとも、私の近くの名古屋別院と比べると、規模は圧倒的に小さなもので、一般の末寺とあまり変わらない。正式プログラムではないので、大会案内書には一切記述はない。仏教分科会で参加を呼びかけただけだったが、参加者は8か国から11人。ポーランド、ネパール、ドイツ、韓国、スイス、スウェーデン、中国、日本。

私がこの真宗寺院を会場に設定したのは、自分の宗旨だから気安いという理由もあったが、本当の大きな理由は別にある。それは、諸外国においては仏教といえば、チベット仏教、テーラワーダ仏教、そして禅仏教がよく知られている。活動もさかんである。しかし浄土真宗はほとんど知られていない。本願寺派はそれなりに活動していると思われるが、大谷派は圧倒的に立ち後れている。浄土真宗を外国のエスペランチストに知ってもらいたい、というのが私の目指すところであった。

まずは本堂での勤行。BLE委員長のグンナ・ゲルモを導師として、パーリ語三帰依、エスペラント語三帰依、慈経(メッタ・スッタ)を読誦、続いて私が導師となってエスペラント訳嘆仏偈。お経のテキストは予め用意してあったので、参会者ともども読んでもらいたかったが、慣れない人には難しかったようである(私も何ヶ所か読み間違いをしてしまった)。エスペラントによる勤行は以前にも南禅寺塔頭などで二回ほど実践したことがあるが、日本人参加者は「漢文の棒読みではさっぱり分からなかったが、エスペラントで読むことで意味もはっきりし、音楽的な響きが心地よく感じた」と印象を語ってくれたことがある。後ろで聞いておられた輪番さんはどのように感じられたであろうか。

さて、勤行の後は別室にて浄土真宗についてのレクチャーを輪番さんがして下さった。冒頭に、「みなさん世界エスペラント大会の参加者ということで、遠いところからようこそ。実は、私の義理の伯父がエスペランチストでありまして、太宰というのですが...」とおっしゃったので、私はびっくりした。太宰不二丸、JBLEの第二代理事長で、初代の柴山全慶老師(臨済宗南禅寺派管長、大谷大学教授)と共に、戦前の仏教エスペラント運動の中心的人物である。最初に名刺をいただいた時に、何の気なしに名刺入れにしまったのを、あらためて見つめ直した。たしかに太宰さんだ。不思議な御縁というべきだが、このことを、私がエスペラント訳した『仏典童話』の原作者・渡邊愛子先生にお話したところ、渡邊先生とも縁のある方だと知った。ちなみに、渡邊先生御自身、世界エスペラント大会参加者として登録されていた。大会会場のどこかにいらっしゃるのかと探したが、残念ながら名義参加であったよし。そして更に、この翻訳出版の許可を得るために東本願寺出版部を訪ねた時、その出版部長の金松氏もまた、「実は私の義理の父がエスペランチストでして...」とおっしゃったものである。その方は金松賢諒博士、大谷大学エスペラント会の編集長で、のちに大谷大学で哲学を講じておられた。仏教社会学に関するエスペラント書きの論文は、金松博士にしか書けないような、高度に学術的なものであったがため、あまり読まれることもなかったようである。このように、二重三重のご縁に取り巻かれて、今日の集会があるのだと、私は感慨にふけった。

太宰輪番のお話は、外国人仏教徒に分かってもらえるようにとの配慮の込められた内容であった。私が通訳したわけだが、やはり自分の宗旨のことだから訳しやすい。これがチベット仏教の講義を通訳するとなれば、私はとちゅうで投げ出してしまうかも知れない。講義の後の座談で、輪番さんが「阿弥陀仏と釈迦仏の違いを分かっていただいたでしょうか。浄土真宗では阿弥陀仏だけが本尊となっているわけですが、外国の方は阿弥陀仏についてどういうイメージをもっておられるでしょうか?」と問われたので、ネパールの仏教徒が「ネパール大乗では阿弥陀仏は五智如来の一人とされていますが、阿弥陀仏尊崇は主に金剛乗の人たちですね」と答えた。浄土真宗と金剛乗とではおよそ性格的に対極に位置するように私は思っていただけに、意外だった。やはり聞いてみないと分からないものである。ヨーロッパの参加者は、だいたいにおいて聖書・キリスト教の土壌で育っているから、真宗の考え方については違和感なく受け取ってもらえたように思う。たしかに、宗教的罪悪の観念は共通するであろう。もっとも、キリスト教と表面的に似ているがゆえに、欧米では真宗が流行らない理由もここにある、という指摘もあるのだが。つまり、欧米の仏教徒はほとんどが知識人階層で、キリスト教では満足せずに仏教に転向してくるのだから、キリスト教に似た仏教は受け容れられないのだ、と。しかし私自身は、類似性はあくまでも表面的なもので、浄土真宗はあくまでも仏教として、決してキリスト教的「救済」に解消されるものではあり得ない、と感じている。

以上のようなさまざまなプログラムを通じて、私は少数ながらも各国の仏教徒と交流対話ができた。このことが第一の収穫。宗教間対話は今のトレンドであるけれども、市井の仏教徒どうしが国際的交流を深めていくことは、もっと大切なことではないかと思う。今回はチベット仏教と接する機会がなかったので、私は現在、エスペランチストでチベット仏教の僧侶を日本に招待する計画を立てている。ビザ、渡航費用の調達、私の通訳技術の向上、などのいくつかのハードルがあるけれども、一年以内には実現させたいものだ。

(B.E.2550年/A.D.2007年8月12日脱稿)