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外に悪人がいるのではなく、悪人と決める心が私にある

歎異抄に

「それゆえに、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏もうして、地獄にもおちてそうらばこそ、すかされたてまつりて、 という後悔もそうらわめ。」(聖典627)

法然上人の教えを誤解して地獄へ落ちても後悔しない、何故ならば親鸞には念仏より他はないのだということでありましょう。
法然上人はお父様が亡くなるとき、親の敵を討つとは考えてはならない、敵を討つということは報に背いて果てしないものである、とおっしゃられた ということです。
人間の犯す罪の底に、人間であることの罪の深さが感じられます。

御坊御遠忌の団体参拝に、参って来ました。
本心は誰も自坊の参加者は集まらないと思っていたのです。誰もいなかったらどうするかと案じながら、誰も集まらないと決める心がありました。
心配する身と心配される身とは結局、別なものではないと知らされました。
当日、12名の方々が集まり、無事参拝することができました。

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