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この身体は歴史的なものであり、大切なものである

蓮如上人御一代記聞書に

「兼縁、堺にて、蓮如上人御存生の時、背摺布を買得ありければ、蓮如上人、仰せられ候。{かようの物はわが方あるものを。無用の かいごとよ。}と仰せられ候。兼縁、{自物にてとり申したる}と、答え御申し候処に、仰せられ候。{それは、物か}と、仰せられ候。ことごとく 、仏物、如来・聖人の御用にるることは、あるまじく候。」(聖典914)
お子さんが新調してこられた物を「そんな物はうちにあったのに、無駄なことにお金を使ったな。」と窘めたところ、お子さんは「自分のお金で買った のです。」と言われた。この時上人は「自分のお金というものはない。一枚の紙、一銭のお金も仏物(ぶつもつ)−仏様の物でないものはない。 」と厳しく戒められたことが書かれています。
この身体とて同じ事、自分の身体と申しておりますが、そうでなく仏様から授かった身体と思った のがよさそうです。

いつの間にか今年も明け、年を重ねると昔の若い時分のようにはいかないものです。
「いつ逝ってもいい、ぽっくり死にたい」
「では明日ではどうですか?」
「いや、明日は病院の予約があるので、もう少し先に。」
授けられた身体を我が物にしている私がここにおります。

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