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人の一生は、仏(真実に生きる人)になっていく過程である

釈尊の教えから約2,500年にわたって伝わってきた仏教、歴史をいただいた者として、伝えていく姿勢を見せることは教化伝道の基本といえるかもしれ ません。

宗教の宗は、むね、真内根(まうちね)がなまって「むね」となったようで、物事の中心、要で人として生まれ生きていく中心とされています。
南無阿弥陀仏によって明らかになるのは、世の盲實です。唯信鈔文意にも

「観音勢至自来迎」というは、南無阿弥陀仏は智慧の名号なれば、この不可思議光の御なを信受して、憶念すれば、観音・勢至は、かならず かげのかたちにそえるがごとくなり。この無碍光仏は、観音とあらわれ、勢至としめす。ある「経」には、観音を宝応声菩薩となづけて、日天子としめす。 これは無明の黒闇をはらわしむ。勢至を宝吉祥菩薩となづけて、月天子とあらわる。生死の長夜をてらして、智慧をひらかしめんとなり。(聖典548)
とあります。仏はどこまでも我が身を照らし続けておられるのです。

自坊の前、玄関先に、猫の里親の募集の知らせを頼まれて掲げております。
直接の申し込みは未だありませんが、時折通りすがりの幼子が興味深くながめています。人間の都合で殺処分されてしまうのはいたたまれないのですが、引き取り 手があるといいと思いつつ、同じいのちを生きる者として、いのちのいとなみを考えることができるのなら、大切な教化となると考えます。

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