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自分が融(と)けてゆけば、相手も融けてゆく

仏教には、

「上求菩提 下化衆生。」
とあります。上に向っては菩提、即ち迷いを断ち切って得る悟りを求め、下に向っては人々に信仰の喜びを得させ教化する意味です。

清澤満之と親交があった近角常観(1870-1941)は、心身の疲労から難病になりましたが、

「車上ながら虚空を望み見た時、俄に気が晴れてきた。これまでは心が豆粒のごとく小さくあったのが、この時胸が大いに開けて、白雲の 間、青空の中に、吸い込まれるごとく思われた。‥それから私は、つくづくと考えて、大いに自分の心に解ってきた。永い間自分は真の朋友を 求めておったが、その理想的の朋友は仏陀であるということが解った。人間の世の中に向って、真の朋友を求めたのは誤りであった。」(懺悔録ー歎異抄 講和)
友人も仏も信じられず、挫折と孤独に追いやられながらも、人間の世界を突き抜けた大いなるものを信じる喜びを得たことが、不幸や苦しみを喜びに 変えていったとあります。

今しがた、あるご門徒が住所が変ったからと、わざわざ訪ねてみえました。
月参りの習慣が薄れてている昨今、家が変れば縁も切れてしまうことがある中、またご縁が続くことはありがたいことです。
お内仏に手を合わせていただく、大いなるもののおはたらきを感じ、お参りに伺います。

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