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歴史とは つくるものではなく 感得するものである

佛説無量寿経の第三十五願に

「たとい我仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界に、それ女人あって、我が名字聞きて、歓喜信楽し、菩提心を発して女身を厭悪せん。 寿終わりての後、また女像とならば、正覚を取らじ。」(聖典21)
女性は本来、「うたがい深い」存在である故、「厭悪女身(えんおにょしん)」たることを思い知って「変成男子」することが往生の要件であり、男性 中心の秩序社会の中で、女性はみずから女身たることの罪悪感ありさまを思い知るべし、という女性性の自己嫌悪、自己卑下を強制する思想が通低して いることは否めない、とされています。

社会が、世間が差別を言っているからではなく、如来に問い、教えに問い、念仏に問うのが大事なのではないかと思い、京都の本山にこの事を問うてみた ことがあります。返答は
「ただいま、検討中です。」
との事でした。

直ぐには出ない問題を抱えた日々に私は身を置いているということを、知らされました。

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