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はからいが 自分を孤独ならしめる

「挨拶しても、返してくれない(返答してくれない)。こんなのおかしい。普通、挨拶したら返答するものなのに。気に入られてないと思っていても、 私は挨拶だけはしているのに、無視するなんて‥。」
と、ある人を送る車中で言われました。こんなの変だ、寂しいとも。
どう答えたらいいものかと思いました。

御和讃に、

「本願力にあいぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし 」(聖典490)
とあります。
私は大地に支えられながら大地を無視し、自己愛で生きている。自己を中心に生きる私に、支えている大地に目覚めなさいと働きかけているのが 本願力といえましょう。
挨拶したら返答してもらえるのが普通、当然という自己のはからいを破り、挨拶とは自らの心を相手に開くものであると振り替えれば、 返答があろうがなかろうが、左程気にすることはない。
はからいこそが寂しい思いにさせている因ではなかろうか、と答えてみようかと思います。

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