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対話の第一歩は、相手の意見を聞くことです

色々な葬儀の御縁の中に、僅か12歳、小学校6年で亡くなられた方(子供)がありました。お婆様にあたる御門徒から、
「この子は電気関係の事が得意で、電気器具の調子が悪い時にはいつも直してくれて、本当に助かったんです。」
とお聞きしました。この御門徒の中に、生きていた証を遺して逝かれたのだなと感じました。

葬儀には多くの級友が見送りに来ていました。6年生は入学の時から1クラスだけとのことで、クラス替えも勿論なく1年生からずっと同じ顔ぶれで 日々を共にしてきた級友達は、死をどう受け止めたでしょうか。
親鸞聖人血脈文集に、
釈迦弥陀十方の諸仏、みなおなじ御こころにて、本願念仏の衆生には、かげのかたちにそえるがごとくしてはなれたまわず 」とあかせり。しかれば、この信心の人を釈迦如来は、「わがしたしきともなり」(大経)と、よろこびまします。この信心の人を「真の 仏弟子」といえり。(聖典595) 
とあります。自らが仏となって周囲を照らし、遺された方々に、お互いがどうかしたしきともになってくれよと願い続けているのかもしれません。

亡くなられた方を仏(諸仏)としていただくのは、遺された者の中にいのちが生きているからではなかろうかと思います。

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