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本願の歴史の中に 自分を見出す

清澤満之師の著された「臘扇記」に

「天道を知るの心、これ自己なり。天道を知るの心を知るの心、これ自己なり。天道と自己の関係を知見して、自家充足を 知るの心、これ自己なり。自家充足を知りて、天命に順じ、天恩に報ずるの心、これ自己なり。自家充足を知りて、(物を求めず、人と争わず) 天命に順じ、天恩に報ずる(故に心労を厭わず)の心、これ自己なり。自己豈に外物他人に追従すべきものならんや。自己を知るものは 勇猛精進、独立自由(人界の独立なり。天道に対して独立なるにあらず)の大義を発揚すべきなり」
日頃誤って自己としがちなものと峻別して自己を明らかにし、ついでそのことを明確に自覚的に知ってこそ自己であると仰られます。
信即ち「天道を知るの心」には自証性、自足性、自発性みなぎり明確な道理や知恵が貫かれ、どんなに迷っても迷うそのことによって迷いが迷いとして 明らかになると仰られます。

先日、友人を自動車で家まで送った時の事です。友人が言うには
「私には(心身に)障害があるのに、それなのに、頑張っているのに周囲は気付いてくれない。理解してくれない。」と
「では、その事を皆に伝えたことはあるのか。」
と問うと
「そんな事できるわけない、(頑張っているのはあなただけではない、と)攻められるだけだ。」
と応じられました。

「何をか修行の方法となす。曰く、須(すべか)らく自己を省察すべし、大道を知見すべし」(絶対他力の大道)
苦しみを除けて楽になるのではなく、苦しみから自己を学び現実に促されてそこに安んじて生きていく。 理解してくれないと嘆く自身に学ぶ姿勢が、その中を歩んでいける道が開かれるのではないかと思いました。

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