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個人的なものは大きくはなやかであるが 幻にすぎない

仏説無量寿経に

「人、世間の愛欲の中にありて、独り生じ独り死し独り去り独り来りて、行に当り苦楽の地に至り赴く」(聖典60)
とあります。独り生まれて、独り死ぬ。頼りにしてくれる人がいつも連れ立っては死んでくれない、一緒に死んでくれても、それで自分が助かるという ものではないのです。

去年から今年にかけて、幾人もの人を見送りました。中でも40〜50歳代の若く働き盛りの人を、とりわけ多く見送りました。特に、割と年齢の近い従兄弟 を見送った時はこたえました。
親より先に逝くことは最大の親不孝と言われましょうが、「死」は、年齢の順序を 選ばない厳然とした事実を思い知らされました。

「そういや、お寺のお堂は、子供時分は広いものだと感じたが、大人になって最近行ってみたら、大して広く感じなかったよ。」
お骨が上がるまでの時間、別の従兄弟と話しました。
不変の事実を知ることは、真実に出遭う(仏法に出遭う)ということなのかもしれません。
真実は不変のもの、私の思いはその時々によって都合よく変わるもの-幻であることと知らされました。

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