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宿業の生活をするものを 凡夫という

蓮如上人御一代記聞書に

「勧修寺の道徳、明応二年正月一日に御前へまいりたるに、蓮如上人おおせられそうろう。 道徳はいくつになるぞ。道徳 念仏もうさるべし」
「されば他力とは、他の力というこころなり。この一念臨終までとおりて往生するなり とおおせそうろうなり。」(聖典854)
とあります。昔は数え歳で、正月が来るたびに年齢を一つ加えました。蓮如上人の御前に年始のご挨拶に行った門弟の道徳に
「明けていくつになるのか、お念仏を忘れてはならぬぞよ。」
と上人はさとされました。
これは正月を迎えていたずらに長寿を祝わんとする心に厳しい無常のことわりを誡められたもので、何よりも尊いお祝いの言葉、愛語ではありますまいか。

正像末和讃に

弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜんひとはみな ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなうべし(同505)
末代無智の御文にも
ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは 称名念仏すべきものなり(同833)
  手紙の挨拶文には
「ますますご健勝のことと‥‥」
と書くのに自分が光に照らされていることは忘れがちです。

先だって、その筋の関係の方達の取り仕切る葬儀を勤めさせていただくご縁がありました。
まるで映画やドラマを見ているような感じでした。私語一つなく統制のとれた振る舞い、決められた時間が遅延することなく粛々と進んでいきました。 ともすれば軽視しがちな儀礼を丁重に取り仕切っているように見えました。
ただ願わくは、如来のみ教えに共に出遭う場としていただいておられたかどうか。
我が身を振り返りつつ、気づきを与えられました。

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