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我々は 宿業を通してのみ 仏を知ることができる

親鸞聖人が仰る場合の「信ずる」は、わからないけれど、とにかく信じる(盲信する)ではなく、疑っても疑っても疑う余地のない程、確かなものに 出遭うことと言われます。教行信証の信巻に、「信」は

まず真なり、実なり、誠なり、満なり、極なり、成なり、用なり、重なり、審なり、験なり、宣なり、忠なり(聖典223)
とあります。
法然上人から伝えられてきたお念仏のいわれは、自分自身が明らかになるということでありました。もう疑ってみようもないほど 明らかなものは何かというと、この自分自身に他ならないことでありました。
仏を知るのは、この自分自身なのです。

近所で新型インフルエンザが拡がっています。
特に中高大生といった若い世代が多く罹っているようです。
中年に差し掛かった我が身は大丈夫、子供の頃の免疫があるから大丈夫と受け止めずにおるのも自分自身。いや、ひょっとして罹るのでは?と 用心するのも自分自身。
他とは、とって変わることのできない自分自身を生きているのだと知らされました。

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