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聞とは 善智識の言葉を縁として 心が開けたことをいう

御文の3帖目6通に

その名号をきくというは、ただおうようにきくにあらず。善智識にあいて、「南無阿弥陀仏」の六つの字のいわれをよくききひらきぬれば、報土に往生すべき他力信心の道理なりとこころえられたり(聖典803)
とあります。その道を自ら歩んで生きた先人にあい、納得づく、得心がいくまで聞きうなづく、道理に違いづめの自分を知らされて、道理と一つにさせられていくはたらきを身にうなづかされます。

一念多念文意に

如来の本願を信じて一念するに、かならず、もとめざる無上の功徳をえしめ、しらざるに広大の利益をうるなり。自然にさまざまのさとりを、すなわちひらく法則なり。法則というははじめて行者のはからいにあらず。もとより不可思議の利益にあずかること、自然のありさまともうすことをしらしむるを、法則とはいうなり。一念信心うるひとのありさまの自然なることをあらわすを、法則とはもうすなり。(聖典539)
これからは共生の時代から、心生きの時代であると先日聞いた組の講演で言われました。 自らの行動が問われる時代になったのです。

別院の夏の暁天講座の始まる前に、習っている手話をあるテーマにそって演ずるのですが、今夏はエコロジーにしました。

衣は 暑い時は上着を脱いでネクタイ外して半袖でエアコンに頼らずに。 食は 買い物は計画的に材料は捨てない最小限に。 住は 打ち水や、窓に朝顔などで涼をとる。

自らが動かなければならないとのご縁、気づかされる時期が来たのだと思いました。
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