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救われ難きは 理知分別の 自覚なきによる

七高僧の1人、善導大師が、何を差し置いても急いで今日の私達に勧めずにはおれないというお心が述べられた書の中に

「道俗時衆等 各発無上心 生死甚難厭 仏法復難欣」
(出家者と在家者、おのおの仏心をおこせども、生死甚だ厭い難く、仏法また願い難し)

とあります。

無上心を皆が起こしても、たちまちに崩れてしまう、個人個人が個人を超えた願いを起こすと崩れて、やがて自暴自棄に陥らざるを得ないとされています。

たまたま年の初めに、親類の墓に参る機会がありました。墓参りとは自らの縁のある方に参る場なのか、それとも参ることのできる身に感謝する場なのか、法務で他家の墓に参ることはあっても自らの縁のある墓に墓に参ることは少ないなと気づかされました。

無上心(仏心)ある顔−分別のある顔で他家の墓に参る身が、一番分別がない、と親類の墓が並んだ前に立って思いました。

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