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過去に目を閉ざす者は、現在において盲目となる
(ドイツ ヴァィツゼッカー大統領、第2次大戦後の復興時における講演より)

作家の島崎藤村は

「昨日また かくありけり。今日はもまたかくありなん。このいのち 何をあくせく明日をのみ思いわずろう。」

と言われたとの事です。昨日という日がなければ今日(今)はなく、もちろん明日と い う日もありません。昨日を無いものとするならば、今日あることも明日おきるであ ろ うことも否定することになりはすまいか。

私の家から出て数100メートルも自動車で走れば学校が見えてきます。小学校、 暫く行くと中学校、また暫く行くと高等学校と見えてきます。朝の8時を過ぎると通学時間帯になり、それぞれの学校に通う学生が行き交います。何分かしますと始業 時 間に遅刻してはなるまいと皆、走り出します。信号が赤でもお構いなし、道路を 斜 め に走って渡って行きます。運転しているこちらはヒヤヒヤびっくりで「危ないじゃないか」と口をついて出ますが、よくよく振り返ってみれば、自身も数年前の学生時分には似たような事をしてはいなかったか、無遅刻無欠席を自慢したいがための過去の自分は、現在の目の前を走っている学生達の姿と同じではないかと 思いました。

生命(いのち)は過去と未来を現在の内容として生きていますが、実際の私の心は過去を悔い、できれば見ないようにして、逆に未来に自分の思いを委ね、現在を粗末にしているのではなかろうか、と思います。

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