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お経を聞く:正信偈

正信偈

草四句目下
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解説

「正信偈」は、正式には、「正信念仏偈」といい、七言百二十句で構成されている偈文です。親鸞聖人が著された「教行信証」は6巻に分かれていますが、その2巻めの「行の巻」の巻末に収められています。
内容は、大きく二つに分けることができて、前半部分では、真宗の教えの根本である「仏説無量寿経」の真髄について書かれています。後半部分は、親鸞聖人に念仏の教えを伝えてくださった、インド、中国、日本の7人の高僧について、それぞれの高僧の偉業を讃える内容が書かれており、真宗の教えの根本が非常に簡潔にまとめられています。
なお、ここで聴くことができる「正信偈」は、「草四句目下」(そうしくめさげ)というお勤めの仕方で、広く在家で朝夕のお勤めなどに、用いることができます。

原文

帰命無量寿如来 南無不可思議光 法蔵菩薩囚位時 在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪 建立無上殊勝願 超発希有大弘誓 五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方 普放無量無辺光 無碍無対光炎王 清浄歓喜智慧光 不断難思無称光 超日月光照塵刹 一切群生蒙光照 本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就 如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪事群生海 応信如来如実言 能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 凡聖逆謗斉廻入 如衆水入海一味 摂取心光常照護 巳能雖破無明闇 貧愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣 一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華 弥陀仏本願念仏 邪見僑慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯 印度西天之論家 中夏日域之高僧 顕大聖興世正意 明如来本誓応機 釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺 龍樹大士出於世 悉能摧破有無見 宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽 顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽 憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩 天親菩薩造論説 帰命無碍光如来 依修多羅顕真実 光闡横超大誓願 広由本願力廻向 為度群生彰一心 帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数 得至蓮華蔵世界 即証真如法性身 遊煩悩林現神通 入生死薗示応化 本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 三蔵流支授浄教 梵焼仙経帰楽邦 天親菩薩論註解 報土因果顕誓願 往還廻向由他力 正定之因唯信心 惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃 必至無量光明土 諸有衆生皆普化 道綽決聖道難証 唯明浄土可通入 万善自力貶勤修 円満徳号歓専称 三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引 一生造悪値弘誓 至安養界証妙果 善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪 光明名号顕因縁 開入本願大智海 行者正受金剛心 慶喜一念相応後 与韋堤等獲三忍 即証法性之常楽 源信広開一代教 偏帰安養勧一切 専雑執心判浅深 報化二土正弁立 極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大非無倦常照我 本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人 真宗教証興片州 選択本願弘悪世 還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入 弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪 道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説

書き下し文(大谷派真宗聖典による)

無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる。法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。五劫、これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。あまねく、無量・無辺光、無碍・無対・光炎王、清浄・歓喜・智慧光、不断・難思・無称光、超日月光を放って、塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。等覚を成り、大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。如来、世に出興したまうゆえは、ただ弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。凡聖、逆謗、ひとしく回入すれば、衆水、海に入りて一味なるがごとし。摂取の心光、常に照護したまう。すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり。たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし。信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、すなわち横に五悪趣を超截す。一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解の者と言えり。この人を分陀利華と名づく。弥陀仏の本願念仏は、邪見驕慢の悪衆生、信楽を受持すること、はなはだもって難し。難の中の難、これに過ぎたるはなし。印度・西天の論家、中夏・日域の高僧、大聖興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまわく、南天竺に、龍樹大士世に出でて、ことごとく、よく有無の見を摧破せん。大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して、安楽に生ぜん、と。難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即の時、必定に入る。ただよく、常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべし、といえり。天親菩薩、論を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。修多羅に依って真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。広く本願力の回向に由って、群生を度せんがために、一心を彰す。功徳大宝海に帰入すれば、必ず大会衆の数に入ることを獲。蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと。煩悩の林に遊びて神通を現じ、生死の園に入りて応化を示す、といえり。本師、曇鸞は、梁の天子常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。天親菩薩の『論』、註解して、報土の因果、誓願に顕す。往・還の回向は他力に由る。正定の因はただ信心なり。惑染の凡夫、信心発すれば、生死即涅槃なりと証知せしむ。必ず無量光明土に至れば、諸有の衆生、みなあまねく化すといえり。道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。万善の自力、勤修を貶す。円満の徳号、専称を勧む。三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅、同じく悲引す。一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむと、いえり。善導独り、仏の正意を明かせり。定散と逆悪を矜哀して、光明名号、因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応して後、韋提と等しく三忍を獲、すなわち法性の常楽を証せしむ、といえり。源信、広く一代の教を開きて、ひとえに安養に帰して、一切を勧む。専雑の執心、浅深を判じて、報化二土、正しく弁立せり。極重の悪人は、ただ仏を称すべし。我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。本師・源空は、仏教を明らかにして、善悪の凡夫を憐愍せしむ。真宗の教証、片州に興す。選択本願、悪世に弘む。生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、必ず信心をもって能入とす、といえり。弘経の大士・宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまう。道俗時衆、共に同心に、ただこの高僧の説を信ずべし。