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法話:年頭のあいさつ

年頭のあいさつ
泉稱寺 釋 賢司(成瀬賢司)
『門松や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』(一休)

2007年12月31日午後11時半より、多くの人々と共に除夜の鐘を撞き、終わったのは午前1時頃でした。そして、2008年1月1日午前11時より本堂にて修正会(しゅしょうえ、正月のお勤め)を勤めました。勤行の後、お参りの有縁の人々と最初にかわしたのは、「あけましておめでとうございます」という世間一般のあいさつでした。年が変わって何がめでたいのか。年齢(とし)を一つ積み重ねて、確実に死に近づいている。冒頭の一首は一休禅師のそんな人々の有様を皮肉って詠んだものでしょう。

また『蓮如上人御一代記聞書』の初めに、正月一日に勧修寺の道徳なる人物に向って蓮如上人は「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし。」と諭したとあります。なかなか正月のあいさつで念仏は申せないものであります。

浄土真宗には『ただ念仏』という言葉があります。他宗のある人が「浄土真宗はただ単に念仏だけえてえて他力本願で本当に楽な宗教ですね」と言われたことがあります。ただ念仏―されど念仏です。すべてを捨てて念仏だけをえること―すべての雑行(ぞうぎょう)・自力を捨てて、他力(阿弥陀仏)にゆだねるのは、たいへんなことです。除夜の鐘で、煩悩を払うわけにはいかないのです。

余談ですが、一休禅師と蓮如上人は、同時代の人で親交があったそうです。親鸞聖人の二百回忌の法要に一休禅師が参列した記録があるとか、ないとか。

ところで、年頭のあいさつの続きですが、「昨年(2007年)の正月は、1月1日に二人の方がお亡くなりになり、2日、3日とお葬式をしておりました。人間の生き死にとは、わからないものです。皆様も、与えられた命を大切にして、一日一日を悔のないようにおくって下さい。」というものでした。正月としては、あまりめでたくない話でしたね、一休禅師のように―南無阿弥陀仏。


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