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仏教の基礎:三帰依 -仏法僧-

2. 三帰依 -仏法僧-

お釈迦様在世の当時から、三帰依、すなわち仏と法と僧という三つの宝への帰依が誓われてきました。われわれ仏教徒にとって、三帰依文は、まさに仏教徒であるという証であり、合言葉なのです。

三帰依文(大内青巒の制定による)

人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。大衆(だいしゅう)もろともに、至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉るべし。

自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道(たいどう)を体解(たいげ)して、無上意(むじょうい)を発(おこ)さん。
自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵(きょうぞう)に入りて、智慧(ちえ)海(うみ)のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理(とうり)して、一切無碍(いっさいむげ)ならん。

無上甚深(じんじん)微妙(みみょう)の法は、百千万劫(ごう)にも遭遇(あいあ)うこと難し。我いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。願わくは如来の真実義を解(げ)したてまつらん。

「三宝(さんぼう)」とは、仏・法・僧のことをいい、仏教そのものです。仏とは釈迦牟尼仏であり、目覚めた人ということでもあります。法とは仏の教説であり、真理をも意味します。僧とは、仏にしたがって法を求める人々の共同体のことです(元々僧伽[サンガ]といい、略して僧、僧侶とは僧伽の侶=なかまという意味です)。

生まれ難くして人間として生まれ、今まさに仏教を聞いています。今この時に救われずして、いつ救われましょうか。さあ、みなさん、まさに「至心に三宝(仏教)に帰依」してください。仏教に巡り合うということは、とても大変なことですが、今、仏教を聞いて、受け入れています。願わくは、仏教によって救われてください。

「三宝に帰依する」とは、仏教を信じ、自分の運命については絶対にこれにまかし、これをたのみとすることをいいます。われわれ浄土真宗においては「三宝に帰依する」とは、まさに「阿弥陀仏に帰依する」ということであります。これを「南無阿弥陀仏」といいます。「南無阿弥陀仏」とは、あなた自身が、あなたのまま、そのまま救われるということです。あなたは特別な能力や修行によることなく、阿弥陀仏の力で、そのまま救われるのです。救われるとは、あなたが自分に目覚め、自分をかけがえのない存在としながら、同時に自分を忘れて他者のために生きることが可能となることをいいます。何とありがたいことでしょう。すなわち、「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀様、私を救ってくださってありがとう」ということなのです。一度、三帰依の世界に入ると、阿弥陀様に感謝せずにはいられなくなるのです。

われわれ浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は、「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」(歎異抄・第二章)と、おっしゃっています。阿弥陀仏を素直に信じればよいと、やさしく教えてくださっています。どうぞ、親鸞聖人の後に続き、三帰依の世界へ、お入りください。

順覚寺 釋義暁


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