法話:悲


浄恩寺 釋 秀幸(中島秀幸)

時に、どうにもやりきれない気持ちで法要に臨むことがあります。

瑞穂区の斎場で営まれる通夜に向かう車中でこの事件を知りました。
「中学二年生の男の子が、母親の内縁の夫に虐待されて死亡。」
痛ましい事件の報道でした。テレビに映し出された映像を見ると、私が向かっている斎場と一見してわかりました。斎場の駐車場周辺には、黒塗りのハイヤーが何台も駐車されており、報道関係者がカメラを構えていました。異様な雰囲気でした。

御門徒の方の通夜を終えた私は、接待係の女性に尋ねました。
「H君の葬儀も明日ですか?」
すこし困った様子でその女性は答えられました。
「民生葬(福祉葬)なんです。霊安室から、葬儀もなく、八事へ行かれるとお聞きしています。ここだけのお話にしてください。」
母親を守るために、命を奪われてしまった心優しい少年の弔いもせずに、このまま荼毘に付されてしまうのかと思うと、どうにもやりきれませんでした。知らぬ顔をして、ほかってはおけませんでした。館長に読経させてほしいと伝言しました。

親族の方々は、涙を流して迎えてくれました。狭い霊安室に、親族や同級生が肩を寄せてみえました。駄菓子がたくさん供えてありました。
お顔を見つめ、剃髪をいたしました。穏やかで安らかなお顔でした。
通夜の読経をすませ、すこしお話をさせていただきました。
ただただ死を悔やんでいては、故人様は悲しむことでしょう。生前の歩みや心根に思いを馳せ、私たちの記憶に留め、安らかな心で送りましょう。明日は、皆さんと一緒に心を込めて葬儀をしましょう。
話し終えると、その場の空気が少し変わった気がしました。

翌朝七時半過ぎ、身支度をすませ、霊安室近くのソファーに座って時を待ちました。複雑な思いでいた私を見て、出勤して来た人達が明るく声をかけてくれました。それでスイッチが入り、無事葬儀を勤められました。
霊柩車は、母校の中学校に立ち寄り、八事斎場に向かわれると聞きました。
「法名 釋昌己」この名は、私の心に深く刻まれました。