法話:三味線婆ちゃんを知っていますか

三味線婆ちゃんを知っていますか
正覚寺 釋 智遵(佐合智遵)

三味線婆ちゃんという聞法者がみえたことは聞いたことはあるのですが、よくは知らなかったのです。林暁宇(ギョウウ)さんの本を読み、皆様にもお伝えしようと思ったのです。

昭和26年ころ、真宗大谷派の宗務総長は暁烏敏(アケガラスハヤ)先生でした。先生のもとへ、乞食同然の姿をした三味線婆ちゃんが現れ、布袋に入れたたくさんの小銭をさし出したのです。「これを本山の借金のたしにしてくれ」と。

婆ちゃんは明治23年石川県に生まれ、お父さんはお念仏を欠かさない人でした。何人もの兄弟のため、ひとり芸者置屋にもらわれ、おどり・三味線を習い、エンタツ・アチャコといっしょの舞台にも立つような、はなやかな時もありました。

最初に結婚した男はやくざで金づかいがあらく離婚。二回目に結婚した時、若死にした弟の娘を養女にしていたのです。夫はこともあろうに、その養女に手をつけてしまったのです。一人の男を二人の女でとりあう畜生の生活が始まり、それは地獄の生活でもあったのです。

お婆ちゃんは髪を切り、家を出ました。法話の会があると聞くと、何ごとも放っておいて聞法に出かけました。法話ばかりでなく、集まってくる人との会話が婆ちゃんの力になったのです。

「それからはもう真剣かかって聞いたわ 聞いたわ 聞いたわ 聞いたわ 聞いたわ・・・」婆ちゃんのことばです。

何年かたって、別れた夫と娘は自分を聞法に導いてくれた尊い人かと思わず手を合わせた、というのです。

おまいりにおじゃまするお宅で、親子、兄弟、夫婦、嫁姑などのかっとうを聞かせていただくことがあります。三味線婆ちゃんの話は昔の話ではないのです。似たような話はいくらでもあるのです。すぐそばにあるのです。

罪障功徳の体となる
 こおりとみずのごとくにて
 こおりおおきにみずおおし
 さわりおおきに徳おおし
(「高僧和讃」東本願寺真宗聖典P.493)

こおりというのは罪障、煩悩。みずというのは功徳、お念仏。
煩悩の多い人ほど、お念仏が尊いのです。

参考にした本『坊主は乞食だぞ』林暁宇、樹心社