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第6期讃頌会研修会(2011年9月28日)の報告

第1回(2011年9月28日)

さる9月28日昭和区山中の法光寺で讃頌会研修会が開かれました。

今回の研修会は今年度第1回目の研修会で、高山から三島多聞さんにおいでいただき、「念仏者の生活」と題して講話がありました。

その中で三島さんは「我々にはいろいろな立場がある。社会的立場、夫としての立場、父親としての立場。それらの立場のせめぎあいの中に生活がある。いってみれば、生活の場が修羅場になっている。その修羅場を正念場にしてゆくのが念仏者の歩み。そのためにお内仏がある」と語りかけ、ガンになった幼友達との交流の中で教えられたこと、東日本大震災の現場で遺体安置所にご名号をかけてお参りしたことなど、自身の体験を交えて話されました。

この研修会は三回連続で開催されます。次回は10月28日、法光寺を会場に開催されます。参加は自由ですので、ぜひご参加ください。


第2回(2011年10月28日)

讃頌会の第2回研修会

讃頌会今年第2回目の研修会は、10月28日 40余名の参加者を得て開催された。

講師の三島多聞さんは、我々の日常の意識を問題にされ「やればやっただけのことはある。いいことをすればいい結果になる、悪いことをすればその報いは必ずあると思いたいが、現実はそのようにならないので悩んでいる。しかしお念仏の教えからすれば、この考え方には四つの問題がある。1、何が善で悪か。2、結果は未来。3、結果は不明。4.、責任転嫁。

まず未来の話でない、今が問題。まず、あなたは、うれしいのか、悲しいのか、むなしいのか。あなたが楽しく充実しているなら、あなたはいい種を蒔いてきたのである。悲しくむなしいなら、悪い種を蒔いてきたのである。今を喜べるなら、過去のつらい思い出もありがたい体験と拝むことができる。過去が生きてくるのである。悪というが、一皮むけば結局自分の都合でしかない。そのことを教えてくれるのが善。お念仏の教えに立つ限り、結果はどうなっても善。自分の都合に立つ限り結果はどうなっても悪としか思えない」と語られた。