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第1期讃頌会研修会(2006年5月から2007年4月まで)の報告

第4回(2007年4月14日)

2007年4月14日(土)午後2時から、名古屋東別院の名古屋教務所の議事堂において、第30組讃頌会研修会が開催されました。56名の参加者がありました。

これまで「正信と迷信」の全体テーマのもと研修会を行ってまいりました。今回で、第一期研修会は最後となります。

講師の池田勇諦先生には、第4回テーマ「自力・他力」について講義して頂きました。

池田先生は、まず、讃頌会受講者に配っている案内文に書かれている「学びを通して気づかされましたことは、単に正信がよくて迷信がダメという二極構図ではなく、どこまでも迷信(自我を生きる)を迷信と気づかせてくださるはたらきが、正信(念仏を生きる)であり、その気づき(自覚)のみが、いよいよ求道の力となるということであります。今回第4回は「自力、他力」というテーマのもと、あらためて私たちの生活の立脚地をたずねてまいりたいと思います。」の、確認をして、「自力・他力」という問題は、案内文に書かれている、立脚地の問題である。本当の立脚地があきらかでないから、そこに迷信という姿、形が生まれてくる。何を根拠として生きるのか、どこに立って生きるのか、これを問うことではないのか。と、

そして、「自力・他力」ということは、どこにあるのか?と問われ、常識でいえば「自力」とは、自分の力のこと、「他力」とは、自分以外他者の力のことを表しているが、先生は「あなたが今、自力だと思っている自力という力を、それを他力という。自力とは、他力を自力と思っている私の思いである。」と、それは仏法の聞き方の問題になる。

仏法の聞き方について、「身」と「心」で説法されました。「身」は、私の存在を表現する言葉、「心」は「身」を認識するはたらきであり、日ごろ私たちは、教えを「心」で聞こうとする、それでは、いいお話しで終わってしまう。教えを「心」で受け止めている限りは答えがほしくなる。そうではなく、教えというのは「身」で受け止めるのだと。つまり、その事実を見よということ。他力の事実はこの「身」である。事実が他力ということは因縁という。  そして「聴聞」という言葉で、「聴」(きく)は、他者からきく、外からきくからこの字を使い、ところが本当の見開き、目覚めとは内から聞こえる、これを「聞」(もん)という。「聴」はきく、「聞」はきこえる。外からの教えだから聴く、聴くことによって内から、「身」から聞こえてくる世界、それを「聞即信」という・・・

「心」は「身」を認識するはたらきであって、決して「身」を支配するはたらきではない。「身」が知らされると、仏法を聴聞するということは答えを聞く世界ではなく、いよいよ問いをあきらかにしていく道である・・・・

さらに、信心をいただくということは、誰かからいただくのではなく、我が身からいただく、そのわが身から聞こえてくる、それをひらく縁が、教えを聞く縁である。教えによって縁がつくられる。そこに聞こえる世界がひらかれる。

最後に、教えによって自分の常識を問い返す事、これが聞法。自分の持っている常識の延長上でわかることでない。仏法を聞くことは、自分の常識そのものがひっくりかえされること。聞いたことが覚えられたって、仏法ではない。今こうならされております。これが仏法。私たちの立脚地を問う問題。私の立つ根拠、いわば宗を問う。これがはっきりしないと迷信に踊らされる生き方になる。あとは、皆さん方がそれぞれ学びの場で、一つあきらかにしていっていただければ、と締めくくられました。

「正信と迷信」というテーマのもと、「占い」「たたり」「御利益」「自力・他力」と、全4回の研修を終了しました。

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第3回(2007年1月20日)

第30組讃頌会(推進員養成講座アフター研修)の第3回目の研修会が、1月20日(土)の午後2時から午後4時まで、名古屋教務所の議事堂にて開催されました。

讃頌会の第3回研修会当日は、晴天に恵まれ、70名ほどの参加者がありました。

正信偈のお勤めの後、30組組長の挨拶があり、年間テーマである「正信と迷信」の第3回「御利益」のもと、池田勇諦先生(同朋大学元学長)の講義がありました。

池田先生は、まず、「現世利益」について、(1)浄土真宗では、「現世利益」を説くのか、説かないのか? 浄土真宗は、「現世利益」を説くとはっきりと言える。それは、利益は利益でも、「真実の利」(大経)であり、すべての人に真実の利益を説くのは、浄土真宗である。(2)浄土真宗は、御利益教をどう扱うのか? 我欲を追求するもの(罪)だから、切り捨てる。(3)しかし、御利益を求めてやまない人間の心は切らない。と、浄土真宗の立場を述べられました。

さらに、『現世利益和讃』(全15首)について、1と2首は、親鸞聖人が和讃をおつくりになった立場。3と4首は、息災延命の御利益。5~12首は、諸々の神々に護られる御利益。13~15首は、仏、菩薩のお護りの御利益。の、3つの利益を上げ、親鸞聖人の求道の深まりをうたっており、それはそのまま、私たちの一人一人の歩みの道行きをあらわしている。

また、和讃の中の、「南無阿弥陀仏をとなうれば」とは、称名念仏のことで、私の唱えものではなく、仏の呼び声である。そして、「現世利益」の問題とは、「現世利益を求めてやまない、私の無明の闇を照らして下さる仏の教えに出会い、何が人間を目覚めさせるものか、何が眠らせるものか、真実なるものと偽りなるものとの、区別をはっきり見極めていく、智恵の眼(まなこ)をいただくことである。」と、講義されました。

その後、質疑応答があり、2時間の研修会を終えました。参加者一同、熱心に聞法しておられました。

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第2回(2006年10月14日)

第30組讃頌会の第2回研修会(推進員養成講座アフター研修)が、10月14日に名古屋教務所の議事堂において開催されました。

讃頌会の第2回研修会当日は晴天に恵まれて、会員、スタッフ合わせて68名の参加者がありました。

今回、池田勇諦先生(同朋大学元学長)のご都合が悪くなり、小牧市で、専修念仏極楽道場を主宰なさっている、古塚正覚先生にお願いしました。

古塚先生は、まず、三帰依(パーリ語三復唱式)を唱和し、テーマである「迷信と正信」について、「迷信」とは、疑わない心で、「正信」とは、疑いを尽くす道である。疑うことがないから、何も信ずることができないと、説かれました。親鸞聖人は、法然上人に出会うまでに、疑いに疑いを尽くして、出会われたと、「恵信尼消息」(三)と、「歎異抄」(二)を引用して、親鸞聖人の「正信」を講義されました。

講義の後は、質疑応答があり、2時間の研修会を終了しました。

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第1回(2006年5月16日)

第30組讃頌会の第1回研修会(推進員養成講座アフター研修)が5月16日に法光寺(昭和区花見通)において開催されました。

讃頌会の第1回研修会当日はあいにくの雨まじりの天気にもかかわらず、会員・スタッフあわせて90名ほどの参加者がありました。正信偈のお勤めの後、島津組長より「推進員養成講座を終えてから、参加者一人一人がどのような聞法の歩みをはじめるのか、この研修会で確かめたい」との開会の挨拶があり、引き続き「正信と迷信」というテーマのもと池田勇諦先生(同朋大学元学長)の講義がありました。

池田先生は「正信と迷信」という問題は、決して宗教の問題とか特別な問題ということではなく、私たちの暮らし方の根底にある生き方(姿勢)が問われてくる問題です。仏法を聞くということは、無明を生きる私自身の生き方がごまかしなく照らし出されるということです」と強調され、参加者は熱心に聞き入っていました。講義の後は質疑応答があり、2時間の研修会を終了しました。

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→讃頌会第1期研修会の開催案内(参考資料)